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私にとって「正常」とは。
水面の揺らめきを見て、綺麗と思えること。
木々や葉にあたる光を見て、美しいと思えること。
建物に移る人や葉の影を見て、残したいと思えること。
横を通り過ぎ、前をゆく知らない人の背中を見て、
「あなたが歩んできた人生の1ページ分だけ、私にそっと教えて欲しい」と思えること。
こんなふうに思うことは変なのだろうか。
人によっては、こんなふうに思う人を「繊細な人」と言う。
であれば、私は逆に問う。
なぜ、揺らめく水面を見て「泣きたい」と思わないのか。
なぜ、晴れた日の木々や葉を感じて「今日も生きている」と思わないのか。
なぜ、公園で無邪気に遊んでいる大人を見て「語りたい」と思わないのか。
昨日までに咲いてた花が、今日には枯れている。
過ぎる。
失くなる。
消えていく。
今ある、この時を大切にしたい。
失くしたくないと足掻くことができる。
誰かが言う「繊細な人」とやらになれている。
これが私にとっての、「正常」だといえる指標。
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