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【村人編】第2話 ヨロイが剥がれた話

人は生きるために、いろんな鎧を身に着けます。そしてその鎧を着ている自分を自分だと思い込んでいるのです。
私は、彼女から聞く土地の声や植物の話、自分の“外側”の話であればすんなりと納得するけれど、自分の内側の話をされると「え?そうかなぁ?違うと思うケド」と言葉を受けとろうとしませんでした。

自分に都合のいいことしか受けとらず、外側のことだけしか話さない。
私は鎧を剥がされるのが怖くて、無意識に内側には触れられないようにと抵抗していたのでした。

第1話より

「3歳からあなたが泣いている姿をみたことが、ほとんどない」と母から聞いてびっくりしたのは、今から3年前のことです。
(マジかよ…よっぽどだぜ自分)

思い返せば、授業参観の時に発表する作文を、発表直前に無くしても平然としていたし、
ディズニーランドで迷子になった時も「私はずっとここにいましたけど?いなくなったのはそっちでしょ」みたいな顔で発見されていました。

私は小さい頃から何があっても取り乱さず、怒らず、感情の起伏がない子どもで、それは大人になってからも変わることなく、まるで達観した仙人のように生きていたのでした。

『どんな時も取り乱さず、冷静で、論理的で、達観しているんだ』
『寂しくないし、怒りを覚えることもないけど、なんでみんなはそんなに怒ったり悩んだりするのだろう?くだらないことに時間を使っているなぁ』
『仕事も卒なくこなすし、人生楽だなぁ』
と、自分をそんな風に評価していました。

ところがそんなある時…
2つの大きな出来事が重なり、達観した仙人はどこへやら。
まるで必死に身につけてきた鎧が剥がれるかのように、母の前で泣き崩れ、
それ以来自分の中にはないと思っていたあらゆる感情を体験することになるのでした。(しょうがない、、鎧を着ていたんだもの)

失恋

私が母の前で大泣きをすることになったきっかけの一つ目、それは失恋でした。

その当時私にはお付き合いをしているパートナーがいたのですが、とにかくその人のことが大好きで、もう世界にはその人しかいないのだ、その人なしでは生きていけないのだと思うほどに、その恋愛にのめり込んでいました。
たとえ周りに盲目だと指摘されても、抜け出し方が分からずに途方にくれるほどでした。

まさか自分がこんな大恋愛をすることになるとは…。

そんな大恋愛も、やがて終わりを迎えました。
その人とお別れすることになった時、私は言いようのない絶望感を味わいました。
それはまだ小さな子供の私が母親に見捨てられ、ぽつんとおいて行かれてしまったような感覚でもありました。

その感覚を味わって初めて気づいたのです。
どうやら私は3歳の時に子どもであることを辞めていたようだ…!
理由はおそらく、当時の母には、ダメな自分、困らせてばかりの子どもの自分では愛してもらえないと感じたからでしょう。

良い子でいれば母に愛してもらえる、まだ3歳だった私は良い子でいるために色々な鎧を身につけ始めたのでした。

母に愛してほしくて身につけたその鎧を30年間必死で守り続けました。
それが大好きだったパートナーとのお別れをきっかけにボロボロと崩れ落ちました。
(きっと失恋って人生を揺るがす三大ビックバンの1つですよね)

3歳の私が母にしてほしかったこと。
気づかぬうちに、それをパートナーに求めていたようです。

それでも本当に欲しかったのは母からの愛。
だからどんなにパートナーに大事にされても、優しくされても
心の中にぽっかりと空いた穴は埋まりませんでした。

その穴を埋めるように相手を縛り、ずっと私だけを見てほしいと泣いても
満たされることはありません。(悲しいかなそりゃそうなんです)

この経験は、3歳の頃から私が母にして欲しかった感情の追体験に他なりませんでした。

母の愛

きっかけの二つ目、それは友人が娘についての悩み相談をひとみちゃんにしていた時のことです。

娘から見たら母は不完全でうざったく、自分を理解し助けてくれる存在ではなく、気持ちをわかってくれない、自分を縛る存在だと思い込み、荒れたり逃げたりもがいている様子でした。

でも母側から語られる言葉を聞いてハッとしました。
例えどんなに娘に対して、困惑したり、怒りを覚えたとしても愛しているということには変わりないこと。実は多くの葛藤と愛が存在していたことに、友人の話を聞きながら気がつきました。

この話しの後、この家にある五右衛門風呂に入らせてもらったのだけれど、訳もわからず涙が溢れてきて止まらない事態に…!
こんな姿でみんなの前に出れないと風呂から上がれなくなりました。

なぜかって、私は誰かの前で、そして母の前で泣けなかったのです。

風呂から上がった私を見て見透かしひとみちゃんは
「泣くなら今ここで泣きなさい」と忠告しました。

この時、私は大人になってから初めて(というかほぼ3歳以来)母のまえで泣き崩れました。
私はこの日初めて母を理解、信頼し、だからこそ3歳からの私をやり直す時間が始まったのです。

3歳になった村人

そんな大きな2つの出来事をきっかけに、私が私と思っていたものがすっかり崩れ、何があっても取り乱さない、怒らない、いつも平然としている子はどこへやら。
怒り、嫉妬、恨み、孤独感、無力感…
私の中にはないと思っていた感情がわんさか湧いてきました。
私が今までバカにしてきた感情です。

毎日泣いてるし、取り乱しまくっているし、もうどうやって生きていったらいいかわからないほどの絶望感で自己肯定感なんて0%でした。

着ていた鎧が剥がれ落ちた結果、3歳で止まったままの私に戻った!!
そんな現象だったと思います。

体は成長しているし、いろんな知識や技術を身に付けました。
だから大人になったつもりでいたけれど、本当の私は自立していない小さなこどもでした。

自信があった自分の姿は幻だった、自分を守るために身につけた鎧だったんだ…


「今までバカにしてきた人たちの姿に自分がなっている…もうなんも言えねぇ…」
恥ずかしいやら、情けないやら。もう誰とも関わりなくない。そんな気分でした。

それに気づき愕然としながらも、甘えん坊の駄々をこねる自分で過ごすことしかできず、しばらく母に迷惑をかけました。
夜も不安で眠れず、父をどかして母の隣で寝たこともありました。

「あなたのその姿が人を救うこともある」

そんな時にひとみちゃんは言いました。
「あなたのその姿が人を救うこともある。例えば母親の中にある、あの時こんな風にしてあげられなかった、あの時こんなことをしてしまった。という今も残る罪悪感。母親がそれをやり直す時間でもあるんだよ。」と。

3歳から少しずつ年齢を重ねていった期間は約1年ほど続きましたが、
醜い自分、寂しがりやな自分、お前なんて死んでしまえと思う自分…。
あらゆる嫌いな自分を発見してしまってはガッカリしていました。

でも私が私と合流するためには、全ての自分と出会い、受け入れていくしかありませんでした。

この間に周りの人を心配にさせたり、傷つけたりしました。

その時はわからなかったけど、
「あなたのその姿が人を救うこともある」という言葉の通り、
確かに周りの人へも必要な経験を生み出していました。

そんな自分は見たくない!という恐れのタガを外し、
どこまでの今の自分に素直に行動すれば良いのだと思います。

この経験はいったいな何のために経験しているのかなんて当時はわからなかったけれど、シャーマンはその先をずっと見据えて見守ってくれました。

シャーマンと母と朔太郎(犬)


3話に続く

//お知らせ//
この連載は今後イラストレーターまるちゃんにイラストを書いていただくことが決まりました。予告なく写真をイラストに変更しますがご了承くださいませ。

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