可笑しいお菓子の冒しかた第一話『食欲』

『続いてのニュースです。先月行方不明になっていた○○ ✕✕さんが、一部白骨化した状態で発見されました。
遺体は損傷が激しく、噛み跡があったことから、警察は"カトラリーによる食人事件"として、捜査を進める方針です』 

0

 猫毛の黒髪。少し三百眼気味の緑色の瞳。クチを大きく開くとわかる、ギザギザの歯。
 彼の名前は仄森 雫(ほのもり しずく)。
 この物語の主人公である。

1

 4月27日。まだ新学期になったばかりで、桜の花がよく目立つ時期の朝。
「うぃーす仄森ィーッ!」
「仄森おはよ〜…ふあ〜ぁ」
「染井(そめい)、吉乃(よしの)、おはよう。…吉乃は今日も凄い寝癖だな」
「な、今日も傑作だよな!何とかしとけよ吉乃それ!」
 染井はケラケラ笑いながら、鳥の巣みたいになっている吉乃の頭を軽くたたく。
「おれは1秒でも長く寝ていたいんだよ…あ〜まだ寝たい」
高校の通学路。俺、仄森 雫(しずく)はこの2人と登下校する。いわゆるイツメンだ。

2

「せんせーおはよーございまーす」
「はい、おはようございます」
「みつせんおはー」
「はい美都嶋(みつしま)先生ですよ、おはようございます」
 高校の校門前。
「おい見ろ仄森!今日の校門はみつせんだぞ!」
 染井が茶化すように俺に言う。
「…おう、そうだな…」
「なに緊張してんだよ!さっさと行けって!ホラ!」
「ちょ待て、押すなって…!」
 染井に背中をグイグイ押され、俺は一気に美都嶋先生の前へ。吉乃は寝ぼけ眼で、とぼとぼと後ろからついて行く。
「仄森君、おはようございます」

ボンッ

 俺は一瞬で顔が赤くなるのを感じた。
「あ、お、おはよぅございますッ!!」
『ぅ』が裏声になった。

3

「元気出しなよ〜」
「そうだぞ、元気出せ」
 教室で机に突っ伏している俺の頭上から声が聞こえる。吉乃と染井だ。
「みつせんの顔、眩しかったな」
「まぶしかった」
「名前も呼ばれたね〜」
「よばれた」
「…みつせんのおっぱい、デカいよな」
 染井がボソッと言った。

ギンッ

「邪な目で先生を見んな…ッ!!」
 顔だけ上げて染井を睨んだ。
「おーこわ。一番邪な目で見てるヤツが何言ってんだか」
「ぐッ」
 まったくもって本当におっしゃる通りです。

ガラガラ…

「おーい席着けー」
 教室の扉が開き、担任と副担任が入って来た。

ガタガタ…ガタン…ギィー…キュッ

 扉が閉まる音、椅子をひく音、少しの話し声。
「おーし、じゃあホームルーム始めるぞー」
 担任が話し出す。これを真面目に聞いているヤツはいるのか。少なくとも俺は聞いていない。顔こそ担任に向けてるが、俺の意識は担任の隣にいる副担任…美都嶋 凛理佐(りりさ)先生に向いていた。

4

 初めて先生を見たのは、1年前の入学式。先生は当時、教師2年目だった。…一目惚れだった。
 淡い金色の髪、少し切れ長の青い目、色白の肌、俺よりもスラッと背の高いところ、…染井が言った『胸が大きい』も否定できないが…ともかく、美都嶋先生の全部に俺は惹かれたのだ。

5

 そして俺は1年以上、美都嶋先生への片想いを拗らせている。このことを知っているのは、1年前からよくつるんでた染井と吉乃の2人だけだ。親には当然言えない。

「ヨシ、ホームルーム終わり!1限目の準備をしとけよー」
 担任が話を終え、美都嶋先生と一緒に教室を出た。
 今日の時間割は好きだ。だって3時間目に、美都嶋先生が担当する授業があるから。
(ん…?)
 …なんか、頭痛いな。

6

 3限目。美都嶋先生が教壇に立ち、教科書を開く。
 俺も教科書とノートを開き、シャーペンを手に取る。眠気はまったく無い!
「はい、では前回の続きを。第三次世界大戦から始めていきましょう」

7

 今から約230年前。
『増えすぎた人類と国家を減らす』
というどこかの国が言ったそれが、戦争の始まりです。
 その国が、人工的に作ったウイルスを、ミサイルに仕込んで世界中に放ちました。
 呼吸で、皮膚接触で、体液で、多くの人間に感染しました。
 感染して変化が起きたのは、約7日前後とされています。
 人間が人間を食べるという、猟奇殺人事件が世界中で頻発しました。
 ウイルスに感染した人間は、3種類に分かれたのです。
 デザート(菓子)、カトラリー(食器)、プレート(皿)。
 カトラリーの食欲を刺激する匂いをもつデザート、
 味覚を失うもののデザートのみに極上の味を感じられるカトラリー、
 デザートでもカトラリーでもないプレート。
 猟奇殺人の被害者は全てデザート、加害者は全てカトラリーでした。
 世界は混乱しました。
 当時200以上あった国家内ほとんどが崩壊・消滅し、100億人以上いた人類は7割弱が死亡、または行方不明になりました。
 唯一ウイルスを解決する策を知っていた筈の、ウイルスの生みの親である国も崩壊しました。…国民全てが死亡したと、後の歴史研究で明かされています。
 中世ヨーロッパの『黒死病』越えたそのウイルスに、当時の人類は『デザートリバース』と名付けました。
 結果を述べると、デザートリバースを人類から取り除くことはできませんでした。
 感染した人間の遺伝子に、強く影響を与えていたからです。親が感染すれば、そこから生まれた子供、そのまた子供も、デザートリバースに感染しているのです。
 …そこで人類が出した結論は『デザートリバースとの共生』でした。
 デザートにはカトラリーを刺激する匂いを抑える薬と、匂いを誤魔化すための煙草や香水の推奨を。
 カトラリーにはデザートへの食欲を抑えるための薬と、一時的に一般的な味覚を得られる薬を。
 デザートやカトラリーを支援・保護する制度・社会が数十年かけて整えられ…

8

「…そして、今に至ります。この辺りは中間テストで出しますから、覚えておくように」
 …妙だ。眠くないのに、何だか集中できない。
 教室のどこからか甘い匂いがする。…どこからだ?
 あー、集中できなくて匂いがどこからなのかもわからない…!そんで匂いがどこかわからないから、余計に集中できない…!
「仄森君」
「は、はいッ!?」
 急に先生に名前を呼ばれて、身体がビクッとなった。
「ここの『デザート・プレート・カトラリー共通の制度』の項目を読み上げてください」
「あ、は、はい…」

9

「仄森、みつせんの授業中なんかボーッとしてなかったか?」
 昼休み、3人の机を集めて一緒に弁当を食べてると、染井にそう言われた。
「染井にもわかるレベルだったのか…俺…」
「そうそう、いつも絶対シャキッとしてるのにさ」
「寝不足〜?」
「吉乃にだけは言われたくない」
 …まだ甘い匂いがする。美都嶋先生の授業の時よりは弱くなっているが、それでも落ち着かない。
 それに…何を食べても味がしない。
 白米も、肉団子も、ゆで卵も、好物のベーコン巻きも。"美味しい"と感じない。今日の朝食を摂った時は、こんなことなかったのに。
 食べることはできる。だが、味がしないモノを流し込むような感じだ。
「…何かあったら言えよ?」
「ん、おん…ありがと」

10

 放課後。
「あ、俺借りた本を返却しなきゃ」
「そうか、行ってら」
「校門前で待ってるから〜」
「うっす、行って来る」
 染井・吉乃と別れ、図書室に向かう。

11

 扉を開け、図書室に入る。節電のためか、電気は点けられていないが、窓から夕日が差し込んでいるおかげで十分明るい。
 図書委員も司書もどうやら留守らしく、他に生徒も見えない。滅茶苦茶静かだ。
 そんじゃ、借りた本を返却ポストに入れて…
「ッ!!」
 俺は鼻を抑える。甘い匂いが、鼻腔を刺激した。決して不快じゃない、絶妙な甘ったるさ。
「ッ…」

トッ…トッ…トッ…トッ…トッ…トッ…トッ…

 俺は無意識に、ゆっくり"匂いの正体"に向かって歩く。

 この学校の図書室は、蔵書が多い。校舎3棟のうち1棟の、2階の半分を使うほどだ。それほど広いと当然、本棚が多い。

 そのため自然と、窓からの光も差さない、本棚で隠れた暗い場所が生まれてしまう。

「!あ、仄森君、こんにちは」
 暗いところに、美都嶋先生がいた。どうやら本の整理をしていてらしい。
「美都嶋、先生…」
「…どうしたんですか?具合、悪そうですけど…」
 先生は作業を止め、本をブックトラックに置いた。
 先生から甘い匂いがする。お菓子みたいな、甘い匂い。
「大丈夫、です」
「…大丈夫そうに見えません。一緒に保健室に行きましょう」
 先生が俺に歩み寄って来る。

 ああ、美味しそう

 食べたいなあ

12

「痛いッ!!」

「!!」
 先生の叫び声で俺はハッとなった。
 あ、あれ…俺、何して…?
「やめて…ッ」
 俺は目の前の光景を疑った。
 先生が、肩から血を出してる。服にも染みて真っ赤だ。
「ぇ、せん…う」
 口に何かが入っていて、上手く喋られない。思わず…飲んだ。ゴクンと飲んだソレは、甘くて美味しかった。
「何だ…」
 口元を手で拭うと…血が付いてた。
 …誰の血だ?俺はどこも痛くないし…。

 あれ

 あれ

 あれあれあれあれあれあれあれ?

 何で先生、床に倒れてるんだ?
 何で俺、先生の上に乗ってるんだ?
 何で先生、肩から出血してるんだ?
 何で俺、口に血が付いてるんだ?
 何で先生、俺に

 怯えてるんだ?

「せんせい…?」
 俺は先生を床から起こそうと思って、手を伸ばした。

「い、嫌ッ!来ないでッ!」

 先生は俺の手を弾いて、ずりずりと身体を引きずって、俺から少し離れたところで身体を起こした。
「ヤダ…やめて…噛まないで…ッ!」
 先生は出血した肩を押さえて、縮こまってガタガタと震えていた。
「かまない…で……って…」
 俺はここでようやく、思い出した。

 先生を食べたいと思って、
 先生を力任せに押し倒して、
 先生を服越しで、

 噛んだ。

「あ…ぁぁ…」
 自分でやった目の前の恐ろしい光景に、血の気がひき、頭が真っ白になる。
「す、すみませんッ!!すみませんッ!!」
 俺は堪らず、図書室を飛び出してしまった。

13

「おう仄森、遅かったな…ておい!どこ行くんだよ!?」
「仄森〜ッ!?」
 校門を飛び出し、俺はひたすら走った。
 早く、早く先生から、離れなきゃ。

14

「ハァ…ッハァ…ッハァ…ッハァ…ッハァ…ッウプ…ッ」
 家まで休まず一直線に走ったから、動悸と息切れが酷い。吐き気もする。急いでトイレに入った。
「ぶ…オ"ウ"エ"ェ"」
 俺は思い切り吐いた。胃の中のものが全部出たんじゃないかってくらいに吐いた。

"美都嶋先生を襲った"

 その事実にまた吐きたくなる。涙も出てきた。
 吐きたいのも、泣きたいのも、きっと先生のほうなのに。
 何で、俺が吐いてるんだ、俺が泣いてるんだ。
 俺は先生に、ちゃんと謝ることもできなかった。
「うぁぁ…っ」

『…雫?』
「!…」
 ドア越しに母の声がした。
『吐いた?』
「…うん」
『…ご飯、食べられる?』
「…わかんない…たぶん、むり」
『…治まったら、ベッドで休みなさい。明日もダメなら、学校は休みましょ』
「…うん」

15

 翌日、俺は学校を休んだ。
 母が仕事に行った後、俺は重たい身体を動かして、リビングでテレビを点け、母作り置きしてくれたサラダや卵焼きを、昼ご飯として食べた。
 …でもやっぱり味がしない。母の料理がおかしくなったんじゃない。間違いなく、俺の味覚がおかしくなっている。 

"あの時"は甘い味がしたのに

「ッ!!」
 恐ろしいことを考えてしまい、再び吐き気を催す。コップに水を注ぎ、飲んで無理矢理吐き気を抑える。
『変化する事例があるんですか』
 体調が最悪で、点けたテレビの内容が、まったく頭に入ってこない。
『そうなんです。世界人口の約0.01%が、この症例を経験しています』
『1万人に1人の割合ですかぁ。となると…日本ですと、大体8千人ほどですかね?』
『そうです。
デザートがプレートやカトラリーになる、
カトラリーがプレートやデザートになる、
プレートがカトラリーやプレートになる…
そういった変異が、ある時突然起きるのです』
『突然…変化した人は、きっと物凄く混乱しますよね?』
『当然。自分の人生が大きく変わってしまいますから。デザートやプレートとして生きてた人が、ある日カトラリーに変化し、突然目覚めた"衝動"を抑えられずにデザートを襲ってしまう…そういう事件は、今でも起きてしまうのです』
『解決すべき課題、ということですね』

〜♪♫♬

「!!…電話…」
 そういえば、昨日帰って来た時から端末を見ていなかった。手に取ると『染井』と出ていた。
「…もしもし」
 電話に出る。
『やっっと出たな。昨日から全然出ないし。…どうしたんだよ仄森』
『あっ、おれもいるよ〜』
 吉乃の声もする。
「…具合が、悪くて…」
『具合が悪いィ?…その割には、昨日の夕方はスゲー全力疾走だったよな』
『2人で頑張ったけど、全〜然追いつけなかったもんね〜仄森め〜っちゃ足速いもん』
「…ちょっと、吐きそう、だったから…」
『走ったら、余計吐くだろ』
「…」
『………………………………………………そういえば、みつせんがさ』
「!…美都嶋先生が、どうかしたのか?」
 2人に気付かれないよう、小さく深呼吸した。努めて、冷静に。
『…昨日、保健室に入ったのを最後に、いなくなったらしいんだよ』
「え」
保健室…保健室?
『みつせんの荷物は職員室に置きっぱなしで、車も学校の駐車場にずっとあってよー…家にも帰ってないんだと』
「な、何だよそれ」
なんで…"あの後"、何が起きた?
『学校は今日警察を呼んで捜すらしい。…ちなみに全部、全校集会で聞いた内容だ。真面目に聞いたのは今回が初めてだぜ』
「…見つかる、よな?」
『…祈るしかねーよ。オレらじゃ探せないからな』
「…」
『…染井、先生来るよ』
『ん、やべ!…仄森は身体大事にな、じゃあなッ』
 ピッ…ツー…ツー…ツー…と電話が切れる。
「…俺のせいだ」
 俺が、先生を傷つけなければ。
 俺が、図書室に行かなければ。
 俺が、そもそも先生を好きにならなければ。
 先生は、保健室に行かずに済んだ?
 先生は、図書室で怪我しなかった?
 先生は、今日も普通に授業をしてた?
「ッ…またこの"匂い"…!」
 昨日帰って来たた後もずっとする、先生の"匂い"だ。
「………………………………………………………先生に、会わなくちゃ」
 …先生は、きっと俺に会いたくないだろうけど。
 …先生を捜して、先生にちゃんと謝らなきゃ。

16

 町を歩いてると、そこら中から甘い匂いがした。チョコレート、抹茶、チーズ、苺…他にも、もっとたくさん。色んな人から、千差万別様々な匂いがする。
 その中から、たった1つの濃い匂いを目指して、俺は歩いていた。
 先生の匂いだけが、俺を動かしていた。
 果たして今の俺に、理性は働いてるのか。
 警察や学校関係者に任せればいいのに。
 俺は何もしないほうがいい筈なのに。
 俺は動いていた。

17

「…初めて来たな、ここ…」
 俺が辿り着いたのは、小高い丘の上にあるホテルだった。城とも、洋館とも言える3階建て。10年前には既に廃業して、建物だけが取り壊されずに残っているそうだ。
「…」
 半開きの正面入口の両開きの扉から入る。随分ほったらかしにされているため、蜘蛛の巣や苔、雑草がたくさんある。今は暖かい春なのに、建物の中はひんやり冷たい。
「…?」
 なんだか、鉄臭い。この建物は草の湿気た匂いだが、どこからか鉄臭い匂いがする。
「…こっちからか…?」
 階段を昇り、2階に行く。

「!?」

 2階は、真っ赤だった。廊下、そこら中が真っ赤だ。床も壁も天井も。
「こッ…れ…全部、血…ッ?」
 こびりついたその大量の血らしきモノから、ほんのり甘い匂いがした。町で嗅いだ匂いに、少し似ている。
「ッ…」
 恐る恐る床を踏むと、ベチャッと水溜まりみたいな音がした。

ベチャ…ベチャ…ベチャ…ベチャ…ベチャ…ベチャ…ベチャ…

 俺はゆっくり歩きながら、2階の部屋1つ1つのドアを開け、中を確認する。廊下と違い、部屋の中は蔓や蜘蛛の巣こそあるが、血は見当たらず、小綺麗だった。
 血の鉄臭さが目立つが、2階からは先生の匂いもした。先生は2階のどこかにいる筈だ。
 最後、2階の一番奥、廊下の突き当りの部屋に着いた。
「?開かない」
 なぜかドアが開かない。今までのドアは全部開けられたのに。建て付けが悪いのか、それとも鍵がかかっているのか。
 かかっているとしたら、何故このドアだけ?
「ん〜…鍵なら、探すか…?」

「そこで何してる」

18

バギンッ

「ダァッ!?」

ガッシャーン

「い、痛デェ…ッ」
 背後からドアごと蹴飛ばされ、その勢いで部屋に入ってしまう。部屋にあったタンスに、強く身体がぶつかる。蹴られた背中と、タンスとぶつかった顔が物凄く痛い。
「お前…誰だ…?」
 のっそりと、俺を蹴飛ばしたヤツも部屋に入った。
「ここは私の隠れ家だぞ」
 威圧的な、女とも男とも捉えられる声。俺は身体に鞭打って、声のするほうを見た。
「何で『カトラリー』がいる?私が捕らえた『デザート』の匂いを追って来たのか?」
 声の主を見て、俺はギョッとした。
 尖った耳、耳まで裂けた口、ゴワゴワした毛むくじゃらの身体。四足歩行である筈なのに、後ろ足2本で立っている、1匹の大きな動物。
「お、狼が、喋ってる…!?」
「私は狼じゃない、人間だ」
自称"人間"の、狼の姿をしたソイツは俺を睨む。
「私の獲物を横取る気なら、お前を殺す」
『殺す』…。俺は震えた。
「よ、横取る?ち、違う。お俺は、人を、探しに来た、それ、だけで…」
「…そこにいるヤツをか?」
 狼は、俺から見て左側を指差した。
 そっちを見ると、廃ホテルには不釣り合いな、やたら清潔なベッドがあって、ベッドの上には、
「美都嶋…先生…?」
 先生が横たわって眠っていた。俺が噛んだせいで出血した肩は、包帯を分厚く巻いて手当てはされているみたいだ。が、服は血が錆びて、茶色っぽくなっている。
「"これ"の名前を知っているのか。…昨日捕まえたんだ」
「つかまえた…?」
 しかも何だ?先生を"これ"って。物みたいに。
「可愛い顔をしているだろう?今から食べようと思って、この隠れ家に帰って来たんだ。もちろん可愛い顔からな」
「"たべる"…?」
 これ?捕まえた?食べる?何だ、それ?
 何でコイツ、先生を"食べ物"みたいに言うんだ?
「ここと私について、黙ってくれるならば静かに出て行け。無理ならば殺す」
「…ダメだ」
「…はぁ?」
「先生は…食べさせない」
 俺は顔を強打して出た鼻血を垂らしながら、情けなく背中を丸めながら、何とか立った。
「…何でお前に、私の食事を左右されなくてはならないんだ?」
 狼の声色は、間違いなくキレていた。
「先生は…お前の食事じゃないからだ」
「…『話が通じない』な、もういい」
 フッ…と目の前から狼が消えた。
「?

!!うげッ」

 グワッと狼に首を掴まれ、持ち上げられた。フワリと身体が宙に浮く。
「な…ん…で…」
 急に消えたと思ったら、今度は急に現れた。
「私は、全身を透明にする血殻(ちから)を持っている。お前にはあるか?血殻が」
 ちから?力?
「デザートを食べたカトラリーへのギフト…お前には無さそうだな」
 食べた?食べたっていうのは…。
「が…ッあ"…」
 息が苦しい。呼吸できない。視界がだんだん暗くなる。身体が動けなくなる。必死に逃れようと、狼の腕を掴むが、ジタバタするだけでは、もうどうしようも…

……………………………………………………………………………………………ボギッ

「…イダァッ!!」

ドンッ

「うっ」
 突然狼が首を締めていた手を離し、俺は床に落っこちた。
「ゲホ…!ゲホッ…!ハァ…!ハァ…!」
 息が楽になり、何とか酸素を取り込もうと、激しい呼吸を繰り返す。
「ほね…腕の、骨が…ッ!」
「??」
 狼が腕を押さえ、痛めている様子だった。押さえているのは…俺が掴んでいた箇所だ。
「お前…お前ェェェッ!!」
 狼が鋭い鉤爪のついた手を、俺に向かって振りかざした。

 でも、どうしてだ?

 俺の視界には狼の挙動が物凄く、スローに見えた。

19

 目の前のガキがヒュイッと最小限の動きで、自身の爪をかわしたことに狼は、内心動揺していた。
(なん…ッ!?)
 ついさっきもそうだった。首を締めて殺そうとしたら、腕を掴まれて骨を折られた。
(バカな…ッ!!)
「私がこの血殻を得るのに、いくつのデザートを食べてきたと思ってんだッ!!」
「…?」
 ガキは狼が何を言いたいのか、よくわかっていない様子だった。それどころか、両手の指を広げたり丸めたりしている。狼のほうが優勢で、ガキには余裕がなく追い詰められている筈なのに…ガキの挙動に狼は心底腹が立った。
「お前…いくつデザートを殺した?いくつ食べた?」
「…1人」
「!!…嘘つけェッ!!」
(たくさん食べてなければ、腕の骨を折るほどの力がつくわけがないッ!!)
「ついて、ない…本当に、1人なんだ」
「〜〜〜〜〜〜〜…ッ死ねクソガキイィーッ!!」
 苛立ちで冷静さを失った狼は、ガキに向かって両手の拳を振り上げた。が、

ガシッ

「ハ」
 あまりに一瞬だった。屈んだガキが、狼の両足首を掴み…投げた。

ブオンッ

ガラガラガラッバリイイイイイイイイイイーンッ

 窓どころか、部屋の壁ごと割れ、

 狼は外に放り出された。

(ありえないッ!こんなことありえないッ!

よほど"上等なデザート"か、あのガキ自身にとんでもない"素質"でも無い限り…

あんな血殻に目覚めるわけが…ッ!

ああ、そうか。

私に素質が無かったのか)

20

 壁にぶつけて気絶させるだけのつもりが、窓や壁ごと狼が落下してしまった。ここは2階だから、よほど打ちどころが悪くない限り、死んではいない…筈だ。
「なん、だよ、これ…ッ」
 身体中が熱くなって、頭がぼんやりして、妙に力が湧いて…おかしい。味覚の次は身体もおかしくなってしまった。
「…いや、俺のことはいい。先生…先生は…」
 ベッドを見ると、美都嶋先生はどうやら大きな音で目を覚ましていたらしく、身体を起こしていた。
「ほのもりくん…」
「!先生、だいじょ」
「ひ…っ」
 先生が、俺に怯えた目を向けた。
 あ、ああ、そうだ。俺は先生に謝りに来たんだ!
「先生ッ!俺ッ」

ドタッバタバタバタバタバタバタ

「!?」
 廊下から足音がして、振り向いたら今度はちゃんとれっきとした、人間の女性が部屋に入って来た。
 黒のストレートヘアに凛々しい赤い目、金属製のマスクで口元を隠している。真っ白な軍服っぽい格好をしており、帽子もそれっぽい。ミニスカートと膝上まであるロングブーツを履いている。腰には…刀?
「誰!?」
「いやアンタが誰よ」
 至極真っ当なことを言われ、俺は女性にゴンッと問答無用で頭を殴られ、倒れてしまった。
「"人狼(じんろう)"がガラスやコンクリと一緒に降って来るし、事前情報に無い子供がいるし…何これ、どういうことよ?」

パタパタパタパタパタパタパタ

 また新しい足音が聞こえ、今度は男性が入って来た。短い黒髪に褐色肌、糸目。軍服の女性より少し背が高い。白衣を着ている。
「雨乃(あまの)さん、人狼を確保しました…って、そこの男の子は?」
 褐色の男性は俺を見下ろした。
「部屋に入ったらいたのよ。とりあえず拘束しといて」
「はッ!」
 …その声を聞いたのを後に、俺は意識を失った。

21

「ベッドのアン…ん、貴方。貴方は美都嶋 凛理佐、で間違いないわね?」
「?どうして私の名前を…」
「アタ…んん。私達は貴方を拐ったカトラリー犯罪者…コードネーム"人狼"を確保しに来た…警察です」
「警察…警察、ですか…」
「…おつらいでしょうが…少し、お話をうかがっても?」
「…はい」
「雨乃さん、男の子を拘束しましたが…どうしましょう?」
「…現場にいたし、話は聞くわ。車に」
「かしこまりました」
「…あのッ!」
「…どうしました?」
「…その男の子は、私の…

 教え子です」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?