【タカハシシュウヘイ】#101 ピスタチオの食べ方を未だによくわかっていない。(しゅ)

※こちらは2019年8月10日に掲載されたブログのアーカイブになります。

やあ

更新頻度落とすわ〜って言って

次の日にはもう作文を書いてる

それくらい作文は好き

小2の時に書いた作文が褒められてから好き

たまに「ちょっと面白いよね」って言われるから好き

毎日言われるとプレッシャーかかるし

ちょっとってのもまたいい

作文というのはとてもいい

途中で口を挟んでくるやつがいないから

昔から1人の世界に入って考え込むのが好きだ

それがこの作文だったり音楽作品の一片と

なっている。

誰かの作品の中に入り込む

2次創作なんてのを妄想するのも好きだった

だから「アンパンマンのキャラでおりそうなやつしりとり」はかなり強い。

ルールはいくつかあって

「◯◯マン」はセーフ

マンの前の言葉でしりとり続行

これくらいしか思い出せなかった

いかんせんアンパンマンを真剣に見てないから

固定概念が存在しない。

いくらでも出てくる。

しかもこのしりとりの利点として

後乗せ設定をいくらでも付け足せるところだ

「そりゃないだろ」という意見に

「こいつはこう、こう、こう言ったようなバックボーンがあってだね」

と説明する。

これがすごく楽しい。

相手は決まって「なるほどな」という

顔をする。

子供の頃熱心にアンパンマンを見ていない俺は

アンパンマン世界の常識、秩序、法則を知らない

だから俺のアンパンマン世界は無限なのである。

俺は子供の頃熱心に「きかんしゃトーマス」

を見ていた

今でも森本レオのナレーションを

脳内再生することができる

聞くところによると

今の職場の店長の息子もトーマスに

ハマっているという。

20年の時を超えても愛されるトーマス。

昔トーマスのおもちゃを持っていた

毎日それを走らせて遊んでいた

劇中のトーマスは線路の上でしか

移動することはできないが

俺のトーマスは線路なんて関係ない

時には空をも飛べる。

無敵だった。

俺とトーマスがいれば

それ以外何もいらなかった。

あの頃の俺にとってトーマスは

アンディにとってのウッディだった

ある日俺はベランダの斜面でいつものようにトーマスを走らせていた

俺の頭の中ではそこは急勾配の坂で

トーマスと俺は力を合わせて

一生懸命登って下った。

多分下りだったと思う。

子供の小さな手には少し余るトーマス

俺は一瞬トーマスを離してしまった

トーマスの車輪はちゃんとした車輪だった

トーマスは斜面を下った。

排水溝一直線に。

俺は斜面を下るトーマスの背中を今でも覚えている。

その時のトーマスは1番早かった。

誰よりも早かった。

俺はトーマスを失った。

涙は不思議と出なかった。

呆然としていた。

どれだけ手を伸ばしても届かないものがある。

とその時悟ったのかもしれない。

その後トーマスがどうなったのか

俺の記憶にはない。

厳密に言うとトーマスがいなくなってしまったところから覚えていない。

それほどショックだった。

もしかしたらその後トーマスは帰ってきて

トーマスと俺の友情は続いていたのかもしれない。

俺のトーマスは今どこで何をしているのかわからないが

きっと元気にしているだろう。

そんなことを考えながら

店長の息子の誕生日に1000円くらいの

トーマスのおもちゃを買った

俺と同じように悲しい思いをして欲しくはない

だから車輪が動かないやつにした

20年経った今でも

トーマスと友情を育む彼らがいる

きっとトーマスは今も誰かの線路を走っている

ありがとうトーマス。

そういえば

アンパンマンも戸田恵子か。

トーマスも戸田恵子なんだ。

そういえばトイストーリーのボーも戸田恵子だ。

俺は戸田恵子で育ったと言っても過言ではない。

俺の人格が形成される際に

戸田恵子が一枚噛んでおり

戸田恵子と友情を育んでいたり

戸田恵子に諭されたり

戸田恵子に元気付けられたり

していたと言うことだ。

ありがとう戸田恵子。

戸田恵子に育てられた男。

どうもタカハシシュウヘイです。

それじゃまたチャオ〜

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