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アンジール あとがき

大人になりたくない。

「大人」というのは曖昧な表現ですが、これを読んでいるあなたは「大人」に対してどんなイメージを持っているでしょうか。

社会に出て働くこと、お金を貯めること、恋愛をすること、結婚をすること、ルールに従うこと、"子供じみた"言動はしないこと、、、、

その意味は様々ですが、僕たちは日々色々な場所で「大人」であることを求められます。それは会社であり、学校であり、家庭であり、そして友達同士でも、恋人同士でも。僕たちに求められる「大人」というものは、とても曖昧で便利な言葉です。

そして「大人」であることが大多数の世の中では、その枠から外れた人を指さしてこう言うのです。「お前は子供でいいなあ」と。

でも、きっともっと昔は、周りのみんなが「子供」の頃は、こんなことは無かったはずです。むしろあの頃は、僕たちをコントロールしようとする大人たちからある時は逃げ、ある時は一丸となって立ち向かっていく、そんな気概を持っていたはずです。

それがいつしか敵に寝返る者が一人二人と現れ「大人」の称号を手に入れ、今まで嫌っていたはずのその称号が少し羨ましくも思えて、自分はどうしたいかと悩む心とは裏腹に体は成長していき、気付けばどっちつかずの中途半端な状態に。

そんな状況の人は、決して少なくないと思います。周りが大人になっていく寂しさ、大人になれない自分と世間への失望、そんな現状に浸っている自分を救い出してほしいという悲哀。今まで僕が音楽で伝えたかったのはこういう気持ちでした。

今回も作中で主人公が「大人になんて、絶対なってやらない!」と言うシーンがあります。
でも、大人にならないって、きっととても難しいことです。僕たちがどれだけ抵抗しても心と体の成長は止められないし、体の成長に心が追いつかないことだってあるでしょうが、それだっていずれ大体の人が仕方なく、心では抵抗しながらも社会に適応していくものでしょう。そして、明日がとめどなく押し寄せるうちに、いつしかそんな鬱屈した気持ちを抱えていたことも忘れてしまうのだろうと思います。

僕はそれが嫌です。これから、普通に大人になって普通に社会の一員として生きていくのだとしても、かつて自分が何を考えていて、いかに子供じみていたのかを、ずっと覚えていたい。そうでなければ、次第に社会に溶け込んで、自分の存在が自分ですら見えなくなってしまう気がするから。

曲名の『アンジール』は、ペルシャ語で「無花果」を意味します。無花果は、外から見ると花を一切咲かせない果実です。でも実はその内側には、誰にも知られずにたくさんの花が咲いています。

無花果が内に花を咲かすように、それが誰にも知られないように、かつて自分が自分であったことを、自分が子供であったことを内に秘めていたい。外から見たら普通の大人になっても、その内には花を咲かせていたい。

そして、その名を冠したこの曲こそが、僕の内に咲く花です。

願わくばどうかあなたの内にも、見えない花が咲きますように。

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