心 明鏡にして、、、、
挨拶を交わすだけでも、違和感が返ってくる印象を持つことがある。
すべてを気にするわけではないが、ヒヤリハットのようなもので、続けて観測していると一つの指標にはなる。個人の感想です。
タイトルの「心 明鏡にして、、、、」は、高校の時に所属していた躰道部で暗唱していた「躰道五条訓」の冒頭です。
何かモヤモヤしたときに立ち返る、このような明文化された規範は、心の支えになっているように思う。家庭においても、このようなはっきりした規範があるとよいのかもしれない。うちでは夫婦で言葉にまでできていないように思う。娘達は、何かしら根っこになるものを、形成してこれただろうか。
昨日、衆議院議員選挙があった。
娘達も選挙権を持つ年齢になり、ようやく今回は思うところがあるのか、それぞれ外出のついでとはいえ投票したようだ。
それぞれどの党に入れたかをフランクに話せる家族関係を見ながら、心の自由は保てているのかなと思っている。
友人が旦那様の御意見にすっかり影響されて、Xのタイムラインも政治一色になってしまったという。私の能天気な態度を、以前の彼女と重ねて「お花畑」といわれたときは、とても悲しかった。
私は自分が大事で、主人の意見に影響されこそすれ、別のものだと捉えている。彼女の心酔を見て、私は主人を信頼していないのではないかと不安になってそのことを主人に伝えたら、笑ってやり過ごしてくれてホッとした。
いざ選挙戦となり、同じ理念で応援しているはずの彼女のタイムラインは炎上してしまったという。彼女にとってもつらい経験だったと思う。
問題意識を持つことは何も間違っていない。私にとっても刺激になった。
今回の投票を通じて、私は何を信じているのか、考えてみた。
「まずは、動こうや」と思い、自分にもできる見守りボランティアを細々と続けている。ボランティアについては、あまり家族の賛同を得られていないので、ちょっと意固地になっているところもある。
そんななかで、地域に暮らして子育てしてきて、いろいろな方にお世話になって、その思いをつなげていきたいだけだ。主人に不信をもっているのではなく、どちらかというと地域の方々が応援されている横顔を見比べて、肌で感じて、あとは直観!?やっぱり「お花畑」かもしれない。
改めて、躰道五条訓その一、、、、
一、心明鏡にして諸行の実相を写し
心位正しきをを得(う)れば惑わされる事なし
、、、、まずは、ここから。