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支離滅裂につき非推奨

代々木のマクドナルドで雨を凌いでいる。
時刻は18時22分。

放課後の男子高生ばかりいて、ウイイレをやっているその眼差し。
今はもうウイイレではなくefootballと言うらしい。ウイイレはいつからかやらなくなってしまった。
さっきまで近くで一生懸命微分をしていた受験生と見られる彼はマクドナルドという環境を放棄して出ていってしまった。

私はというと、『ナナメの夕暮れ』を途中まで読んだところで眠気に襲われてしまった。
最近、何人かに「note書くかも」と漏らしておきながら、アプリを開くまでは良くとも、読むことに没頭してしまっていた。
今こそ書くときなのかもしれない、と思った。
ミンティアを1粒、口に入れた。

noteを書いていた時は、意識が自分に向くことが多かった。
もっと言うと、自分ではないもの、景色とか街ゆく人々の仕草とかにも目が向いていたけれど、もれなくそれらは「自分が元々興味のあるもの」で「見るだけで済むもの」だったから、結果的には矢印が自分に伸びていた時間だったと思う。

では、note書かなくなった時間はその逆で、自分の外に意識が向いていたのではないか。
もちろん意識を向ける先=興味のあるものではあるが、「見るだけでは済まないもの」に囲まれていた。

就活をしないといけない時期になった。
いわゆる業界研究をし始めたのが5月くらいだった。
そこで得たのが、どのような形で人々の暮らしに関わるかは業界によって千差万別だという基本的なことと、私は、その関わり方の方法で惹かれるか惹かれないかの線引きをしているということだった。

就活というより、むしろ社会人としてのキャリアを考えるということは、部活動とか受験勉強みたいな、自分との戦いでかつ、長くても3年くらい先しか見ない戦略設計しかしたことのない自分にとっては初めてだった。

これまでの軸は内向きも外向きも自分に置かれていた。
しかし社会人はどうだろう。
もちろん自分がどう働きたいか、どんな興味があるかも大事。
でも社会において自分は主役ではなく、歯車とならないといけない。

たまに覇者の人生みたいなことを夢語る人がいるけど、じゃあたとえば総理大臣になったり、孫さんとか柳井さんみたいに稼ぎまくったらそうなれるわけではない。
岸田さんも、柳井さんも、ひいてはホリエモンとかも、権力やら影響力やお金やらはあるかもだけれど、結局は文明の中の「少し大きめな歯車」なのだろうと思う。

何が言いたいのかわからなくなった。
社会人になるということは、自分軸の生き方をある程度捨て去って、社会の構成員という役割に徹するものだと思う。
その事実が受け入れられない自分主義の人がいれば淘汰されるし、仕事ができる人というのはそれを意識の上で全うしているか、あるいは気づくとかすらなくすんなり落ち着いている人かと思う。

就活を始めたら、急に社会人という「見るだけだったもの」が「見るだけでは済まないもの」に思えてきた。
よかった。
自分は何となく覚悟を持って社会人になれそうだ。
どんな風に自分を社会の中に投じるか。
どうやって社会に貢献できるか。
社会の中ではちっぽけであろう自分の夢を叶える歯車にはどうしたらなれるのか。

今は欲張りなただの金属。
来年の今頃は、ハマるべき軸受の上にいて、ただはめられるのを待つだけの状態になっていたい。

とはいえ、自分の内側も研究するのが就活。
何に価値観を置くかはもっと考えて突き詰めないといけない。
言語化が難しい。
とにかく難しい。
自己分析は内向きの研究だと思う。
でもその自己が社会のどの部分にハマるかは外向きの研究だと感じている。

書き始めて30分経った。
雨は弱まっているみたいだから、外に出て少し代々木の街を歩くことにする。
何か知らないものを見つけたい。

昼間は日本橋を歩いていた。

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