強い子になってほしいと願う名前

幼稚園の頃、いやもっと小さい頃から僕はめそめそ泣き虫でした。
母はよく「強い子になれ」「辛抱せぇ」と言ってました。
特に「辛抱せぇ」は子供ながらに「よーし、これが『しんぼう』なんやな」と思っていました。
小学校に入っても全然強い子ではありませんで、おっちょこちょいで怪我をよくする子でした。
ある時学校の授業で「君たちの名前はお父さんお母さんの願いが込められた名前なんだよ」ということで、家に帰って「名前の由来を聞いてくる」のが宿題だった。
母が「強い子になってほしいから」という事を言っていたが、剛と児がどう繋がるのかわからなかった。
そしてずっと運動の出来ない子でした。

中学校に入ってもいじめられっ子で、よく泣いていたものでした。

高校に入り、「漢字の意味」という授業の中で古田先生が「剛児=強く逞しい子に育ってほしいという願いが込められていますね」と言ってくれた。
当時、ボート部に入っており、小さいけれど筋肉ばかりの僕は周囲から「おー確かにそうなってるね」と言われていました。(笑)

その後、理容の修行に入り、自立して自分の店を持ち、師匠のところに顔を出した時、師匠から「あんたは店を持ち、子育ても頑張ってる。あとは親の送り出しが大きな仕事やで」と言ってもらいました。
お客さまからも「親が生きている間は一人前じゃない」とか「親の死が最後の子供への教育」と教えてもらっていました。
数年後の今、父が介護施設に入所して一年。
母が急死し、いろんな事が自分に舞い込んできています。
これまで相談できたことや教えられてきたこと。いろんな事が全て自分でやらねばならなくなりました。
いろんなことの決定を具体的に自分でやらねばなりません。
墓の掃除、実家の片付けもそう。
もちろん優先は自分の家族なんですが、その合間を縫ってそういったことをやらねばなりません。
たまたま今は以前からやろうとしていた案件でお店を出店すること。
夏の同窓会幹事もあって、順序立てをしたとしても今は母の五十日祭と店の出店を同時進行しなければならなくなっています。
それでも父の介護請求は来る。
頭の中は「順序は大丈夫か?」ということで自分のコントロールをしています。

ふと、今朝のバス停まで子供を送り出した帰り道。

「母ちゃん。いつの間にか僕は強くなってるかもしれんわ」
と思った。
「ただ、これを乗り越えられたらだけどね。」


もうちょっと頑張って一つ一つこなしていけた時、親の死の悲しみを実感できるんだろうか。

さて、今日はnoteを書く時間だけ作っていました。
今から出店の準備と五十日祭の返礼品の準備だ。

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