透明な軌道を進め

田舎を出るまで、
同じ言語の人間は周りに一人も居なかった。

「私がおかしいから。」
「通じないのが当たり前。」

そう思ってしまうことがどんなに楽だったか。
自罰と諦めの疲労はあるけれど。



今や私は私の言語で思考されることを間違っているとかおかしいとか思わない。

大人になって同じ言語を話す人々に出会った。それは今生きている人間だけでなく、本の中でも。

今、再び同じ言語を持つ生身の人々は
私から遠ざかった。
違う言語を持つ、親しく近しい人々は言う

「理解できないけれど愛してる。」

子どもの頃は救いだったその思いが
私を苦しめる。


理解できないなら愛さなくていい。
愛さなくていいから理解してくれ。


「たかが世界の終わり」という
映画の中の台詞でもあった。

映画をみた友人が言っていた。
それが実感を伴って私のもとにやってくるとは
あの時は思いもしなかった。



感染症が原因の今のような状況にならなければ、
これほど苦しまなかったかもしれない。
だけれど、この状況で今のような虚しさ、
苦しみ、悲しみが訪れたことに意味を見出せ。

偶然起こる事象に意味があるわけではない。
起こったことに意味を見出すことが
生きるということだ。

全てはきっかけに過ぎない。
私が私に還っていく為の。
意味を見出し、生きていることを実感しろ。
偶然が写し出す自分自身を拾い集め、
透明な軌道を進め。

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