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描けるまで描けば絵を描ける=絵を描けない人はいない

描けるまで描けば誰でも絵を描ける=絵を描けない人はいない。


そろそろ全力でこの説を布教して良いですよね?絵が描けないって悩んでいる人に布教して良いですよね?


きっかけは、留学前にぼくが師事していたカナダ人のアーティストから教えて頂いたことです。


『君は絵が描けないんじゃない。途中で描くのを辞めているだけだ。そもそも絵が描けないというのは嘘だ。描けるまで描けば、誰でも絵を描ける。時間をかければ良いんだよ。いきなり短時間で描こうとするから、世の中の人は絵が描けないと言う。』


『ちゃちゃっと5分で顔を描いて、自分は絵が描けないなんて言ってはいけないんだ。5分で描けないなら、10分。10分でだめなら1時間。1時間でだめなら2時間。それでもだめだな5時間でも10時間でも、描けるまで描けば良い。納得いくまで続ければ、必ず描ける。そしたら後はそれを少しずつ短時間でできるようにしていけばいい。』


この記事でも既出のこの言葉。1回で出来なくても良い、出来るまで積み上げていけば良いこの考えって、絵だけじゃなく当てはまるし、もっと広がったら良いなと思ってるんです。


先生、1回目で100点じゃなきゃダメですか?

1回のチャンスで正解を出せなきゃダメ!って思い込みがちじゃないですか、絵でも何でも。



小学生のときから大学生のときまで、ずっとそういうテストを受けてきて、成績という形でのフィードバックが当たり前だったからでしょうか。


今の教育現場のことは知らないけど、ぼくも恐らくこのブログの読者の皆さんも、テストを返されて、間違ってるところを調べて直して、それを出しても100点はもらえなかったんですよね。



成績は最初の点数で決まる。ワンチャンスしかない。


で、いつの間にかそれが自分のスタンダードになっている。何に対しても、一発で正解を出すことに価値があるって、知らない間にそう思ってる。


でもそれって、本当は全然違う。


時間をかけてやれば良いし、できるまでやれば良いし、どんどん調べれば良いし、間違えていいし、間違えたら直せば良い。



先生から返されたテストの答えを自分で調べてやり直して、それが全問あってたら、それも100点だと思うんです。


世の中の大体のことって、本当はそういう風に積み上げられるものだと思うんです。


算数教室の先生のこと

ぼくは小さい頃に地元の算数教室に通っていました。



近所の知り合いのおじさんが先生をしてくれてるんですけど。決まった授業時間っていうのはなくて、教室が開いてる時間に勝手に行って、先生からその日にやるだけのプリントをもらって、それが全部終わったら帰って良いっていう教室だったんです。公文みたいな感じです。公文通ったことないけど。


で、その先生って、間違ってたらプリントを返してくる。それを直してまた先生に提出する。間違ってたらまたプリントを返してくる。またやり直す。っていうのを何ラリーやっても、最終的に全問正解したら絶対100点をくれるんですよ。


学期が終わると、それまでにやった全てのプリントをファイリングして渡してくれるんですけど、もう100点しかないんです。そこの教室に通ってる子供たちはそこでは100点しか取ったことないんですよ。



今思うと、これ凄いなと思って。めちゃくちゃ尊いことを伝えてくれていたんだなって思うんです。


だから今度は、ぼくがそれをできる範囲で伝えようと思います。


描けるまで描けば誰でも絵を描ける。だから絵を描けない人なんかいない。


時間をかけてやれば良いし、できるまでやれば良いし、どんどん調べれば良いし、間違えていいし、間違えたら直せば良い。それだって100点です。


本当は積み上げられる。1点を100回取ったら、それだって100点なんです。


その気持ち、めっちゃ分かる。

とかまあ色々と偉そうに語ってきましたけど、絵が描けない!っていう人の気持ちはとてもよく分かります。自分もずっとそう思っていたから。


でもだからこそ、あれ自分描けるんじゃないか?って感じ始めたときの興奮は凄まじかったし、それを伝えることが出来ると思っています。



だってその興奮は技術的な支えだけじゃなくて、この記事にあるように考え方や絵に取り組む姿勢がきっかけで生まれたものだから。


だから、あれ自分描けるんじゃないか?っていう瞬間は、誰にでも絶対に訪れる。それを少しでも届けたくてこの記事を書きました。


熱量系の記事が久しぶりなのでしっかり表現できてるか不安だけど、ちゃんと伝わってると嬉しいなと思います。

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