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細川周平「アメリカでは──カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』を読む」-その4

マニャタン

 彼はアメリカ合衆国をブラジルの反転と見る一方で、ニューヨークだけは特別扱いしている。八〇年代に初めてこの「アングロサクソンの世界帝国の首都」へ行った時、イベリア半島やイタリアよりももっと親しみを覚えたのは、そこがサルヴァドールや生まれ故郷サントアマーロと同じ「アメリカの領土」にいると実感させたからだった(489ページ)。そこにはブラジルと同じように「運命的に混血の現実」が動いている。混血は決してフレイリらブラジルのナショナリストが主張するようにブラジル独自の特質ではなく、北米でも、人々が認めたがらないが現実には起こっていると彼は観察している。彼は「マンハッタン」が先住民の言葉から来ているのを知って、一九世紀末の詩人、ソウザ・ジ・アンドラージ(ソウザンドラージ)の「ウォール・ストリートの地獄」が、ポルトガル語風に「マニャタン」と訛っていたのを思い出す。地名が時の古層を掘り返す。マンハッタンを歌った歌は限りなく多いが、そのなかでヨーロッパ人が到着する以前の情景を「カヌー」という単純な言葉ひとつで呼び起こした音楽家は、カエターノしかいないだろう。「一艚のカヌー、カヌー/朝、北から南に渡っていく/舳先には伝説の女神が/手に松明を掲げている/世界中の男がみんな、その方向に目を向ける/風の味を感じ/ガラス窓のなかで、乙女の優しい名前を歌う/マニャタン……」(「マニャタン」)。「乙女」と訳した「クニャン」cunhã はツピ語に由来し、「マニャタン」と韻を踏んでいる。高層ビルのガラス窓は村の小屋のようだし、自由の女神は部族のトーテムのようだ。彼は摩天楼の背後にアメリカがアメリカ合衆国とそれ以外の国々になる以前の太古を透視する。
 ツピの娘がマンハッタンに現れる──この幻視が拒絶しているのは、「アメリカとそれ以外」という二〇世紀の政治図式をそのまま文化図式に重ね合わせる考えだろう。『熱帯の真実』の終章で、彼はハンチントンの『文明の衝突』が、西洋を豊かな白人の国々に限定し、世界を合衆国対それ以外の図式に還元していると批判している。文化までもがブロックごとに孤立しているというのは、トロピカリスタが奇襲をかけた文化帝国主義の単純粗雑なテーゼと何も変わらない。カエターノは、熱帯文化、とりわけブラジル文化が、温帯の道徳の上に築かれた哲学や感性(ハンチントンはその最近の例にすぎないが)を変革する使命を帯びていると期待している。それは「事実上不可避なファンタジー」(486ページ)なのだ。ブラジルは「海外戦略における米国の自然な味方と、新たな文明のアウトラインとの間を、永遠に行ったり来たりし」(484ページ)ながら生きている。「不確定」という言葉はここでも使われている。アメリカ文化に圧倒されているように見えながら、それを「食べて」アメリカ中心ではないオルターナティヴな西洋を示唆することが、彼の考えるブラジルの使命である。
 現代の仮面の下に太古を見る──これは『シルクラドー・ライブ』のなかの一曲「一人のインジオ」では、もっと予言者的な言葉で表現されている。「一人のインジオが色あざやかに輝く星からおりてくる/星はおどろくような速度でおりてきて、アメリカの南半球の心臓=ど真ん中に、はっきりとおりてくる/先住民族が皆殺しにされたあと/すみきった水のわく泉から鳥の霊が蘇る……一人のインジオが全身そのまま保存されている/すべての固体、気体、液体に/原子に、言葉に、魂に、色に/身振りに、香りに、影に、光に、すばらしい音に、保存されている/太平洋と大西洋のちょうど中間点に/インジオが輝く物体からおりてくる」。植民者の虐殺の後にも、インジオの霊が彼らがかつていたところすべて、我々の五感のすべて、身振りのすべてに今、生き残っている。血の歴史を暴くというよりも、霊能者の眼で南米大陸の太古と未来を見ている。あらゆるものに超自然的なインジオの痕跡が残っている。トロピカリズモの特徴である太古のものとマス文化の魔術的な攪乱は、インジオを「モハメッド・アリのようにおそれ知らずで……ブルース・リーのように沈着無比」とたたえたり、ブラジリアを暗示する一節に現れている(この首都は南米大陸のど真ん中のユートピアとして計画されたが、UFOの飛来地としても知られている)。
 インジオの形象を借りて、ブラジルのシュールレアリズム的なアレゴリーを歌っている点で、マリオ・ジ・アンドラージの『マクナイーマ』と共通している。カエターノはモデルニズモの代表作と同じく、神秘主義や未開主義に囚われることなく、むしろ現在を力強く肯定している。ブラジルはアメリカ文化の暴力によって破壊されるほどやわではない。むしろそれを「食べて」ますますブラジルらしくなっていく。カエターノがポップ・ミュージックで伝えるのは、貪欲さを武器として矛盾を飼い馴らしていくブラジル文化の方向である。[了]

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