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世界がヒップホップ化した4年間〜『文化系のためのヒップホップ入門3』introduction

長谷川 まず本書について説明を。2018年に『文化系のためのヒップホップ入門2』を出しました。これは11年に出した『文化系1』のその後のシーンの変遷を描いたものなのですが、12年から14年までの3年しかフォローできなかったという……この『3』は15年以降のシーンを描いたものになります。
大和田 この4年で一番大きな変化は、やはりオバマ政権の終わりとトランプ政権の誕生でしょうか。町蔵さんはまだトランプ政権を認めていないようですが。
長谷川 あれ、オバマはいま3期目ですよね?
大和田 え、まだその設定ですか?! それにしてはアメリカはひどすぎませんか?
長谷川 さすがにその設定はもう無理だと思っています(笑)。ぶっちゃけ2020年の大統領選でトランプの再選の可能性は高いと思っていますし。心して現実と向き合いますよ!
大和田 ブレクジットがあり、ハンガリーやブラジルにも大変な指導者が生まれたりと世界はどんどんトランプ化しているわけですが、その中でヒップホップの変化を見つめることになりましたね。
長谷川 それと、アップル・ミュージックがストリーミング・サービスを開始した2015年以降は、音楽の聴き方が完全にストリーミング中心になりましたよね。
大和田 で、僕らの対談で初めてトラップの話が出てくるのも2015年。
長谷川 サブ・ジャンルにすぎなかったトラップが、ストリーミングの力を借りて主流になる過程を語っているのが、この『3』なのではないかなと思います。
大和田 メディアの変化は大きいですよね。それがヒップホップを最大の音楽ジャンルに押し上げることになるわけですし。
長谷川 最近、英国で「25歳以下の音楽ファンの内15%がアルバムを通して聴いたことがない」という調査結果が発表されたって記事を読んで驚きました。
大和田 アルバムという概念の崩壊とプレイリスト・カルチャーの台頭、というところでしょうか。
長谷川 でも考えてみれば、ヒップホップが本質的に持っているゲーム感覚は、自己表現にとっての器といえるアルバムの概念を壊すものだったと思うんですよね。
大和田 アルバムを通してコンセプチュアルな表現をする、というよりは、フィーチャリングを通して1曲の中にコンペティションを導入するというか。『1』で言ったことですが、ヒップホップによって「アーティスト」と「アルバム」が後景に退き、「シーン」と「プレイリスト」が音楽業界の中心になってきましたね。
長谷川 アルバムって音楽至上主義の概念じゃないですか。でもヒップホップは、楽曲とラッパーの実人生におけるニュースの差があまりない(笑)。SNS時代にヒップホップのシェアが伸びていったのは、だからだと思うんですよね。
大和田 マンガ研究者でヘッズでもある岩下朋世さんが言ってましたが、基本的に全部自己紹介だと。
長谷川 そうですね、他者に対してどう自分をアピールしていくか。それは個人表現以上に他者とのコミュニケーションが優先されているんですよね。
大和田 個人の表現というと、昔ながらの「孤高のアーティスト」という常套句がありますが、そうではなく、絶え間ないコミュニケーションを通したマッピングとキャラ化のコンペティション、みたいな感じですよね。
長谷川 洋楽、特にロック好きには、録音物にすべてがあるというヒップホップの考えが通じない。そういう意味で『1』でも言った通り、ヒップホップはロック・ファンの考えるような音楽ではないんですよ。
大和田 曲はどんどん短くなるし、楽曲数はどんどん増えるし、ヒップホップはまさにSNSそのものですね。
長谷川 Spotifyって、リスナーが1分以内に聴くのを止めると再生にカウントされないらしいですね。もしかすると5分って表示してあると「聴くのダルい」って思われるから3分くらいの曲が増えているんじゃないかと。
大和田 そうなんですか。なんかもう曲も「イントロ」とかないですからね。
長谷川 いきなりトラックメイカーが名乗りをあげますから(笑)。
大和田 このシリーズを通して語ってきた「ループ」とも関係しますが、やっぱり同じループで5分はきついですよ。でも黒人音楽ってブルース以来、テクノロジーの影響をまともに受けながら、その中で確実にクリエイティヴィティを発揮してきたジャンルだと思うので、やっぱり面白いのは面白いんですよね。
長谷川 黒人音楽ってロック的な文脈では「魂の音楽」みたいに言われていたわけじゃないですか。でもその遊戯性みたいなものにフォーカスを当てていけばポップ・ミュージックが今までと異なって聞こえてくる。大袈裟に言えば、それがこの『文化系のためのヒップホップ入門』シリーズの目的なのかもしれません。
大和田 まったくそのとおりで、『1』でいったとおり、モダン・ジャズとか完全に遊戯性「でも」聴けるんですよ。ブルースも、12小節AABのなかで、誰が一番カッコよく/泣ける/笑える演奏をできるか競争でもあるわけで。
長谷川 お題もわりと絞られていますしね。サンハウスとかマディ・ウォーターズとか、ブルースマンも名前もラッパー的ですし。ジャズだって「デューク」とか「レディ」とか言ってたわけで。
大和田 前から思ってたんですが、60〜70年代がロックの時代だったとすると、やはり社会全体がアーティスト=「突出した個人」を求めていた時代だと思うんですよ。それがヒップホップが最大の音楽ジャンルになったということは、シーンの中の表現の遊戯性が重視されるようになったということですよね。町蔵さんが『1』で言った「集団でシーンを動かす方が効率的」という言葉を思い出します。社会そのものがヒップホップ化したというか。
長谷川 グレタ・トゥーンベリとか最高のバトル・ラッパーですよね(笑)。
大和田 あの国連で演説のスタイルを選ぶ感じとか、完全にラッパーだと思いました(笑)。
長谷川 バトルのスキルがないと、どんな正しいことを言っても意味がない。グレタさんがヒップホップを聴いているかは知らないけれど、彼女は生まれたときからヒップホップな世界を生きているわけだから、本能的にそう感じているのかもしれないですね。
大和田 『3』では世界がヒップホップ化した4年間を語っているわけですが。
長谷川 15年から18年までの各年の総括に加えて、有光道生さんとの鼎談が入ってます。これがBLMとかトランプ政権下のアメリカを考えると重要で。
大和田 なにしろハーバード大学でアフリカン・アメリカン・スタディーズの博士号を取った人ですから。
長谷川 そもそも日系アメリカ人でも困難そうなテーマを、日本人が学ぶんだからトンデモないですよね。
大和田 でもそう考えると、この本のテーマのひとつであるアフロ゠アジアの関係を彼自身が体現しているといえますよね。
長谷川 黒人コミュニティの政治へのリアクションの話は凄く勉強になりました。
大和田 あと、実は気になっていることがあって。というのは、この本ではヒップホップの政治性ではなく遊戯性に焦点を当てた。でも、トランプ大統領の誕生などで、黒人社会の政治性がより問われる状況になったのはたしかだと思うんですよ。
長谷川 そうですね。
大和田 で、そもそも『1』は、これまでの黒人音楽をめぐる言葉が、過度に政治的になっているという認識から始まっていて。つまり、政治的に正しい黒人音楽でないとだめだ、という主張に対して、いや、音楽を遊戯性で評価してもいいんだという。で、そのことを考えて読み返したんですけど、たとえば僕らは遊戯性をもとにトラップの内省化、自閉化という話を2015年の段階ですでにしていて、オバマ全盛の時にある種の予兆をつかんでいるというか、音楽の遊戯性の分析を通して政治性を見出したとも思うんですよね。なんか自画自賛ですが(笑)。
長谷川 ハードな状況で遊んでみせるというのは、それこそアフリカ系アメリカ人の美意識だと思うんですよね。だから、トラップが現実に向き合ってないっていう批判はおかしくて、むしろ伝統に即したプロテストだと言えなくもない。
大和田 だからメッセージのレベルのコンシャスネスよりも、遊戯性に潜むサウンドの特性に黒人社会の姿が現れている、その政治性をすくい取る、ということはできたとも思うんですよね。
長谷川 もっとも、それを半ば無意識にやっていたので脱線も多いですけどね。というわけで、お楽しみください!

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