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ありがとう、ティノ!──パヴァロッティの日本ファンクラブ会長からのメッセージ

 9月に発売して以来、多数の読者から熱い反響をいただいている『パヴァロッティとぼく──アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々』。
 熱烈なパヴァロッティ・ファンの声を代表して、日本におけるパヴァロッティのファンクラブ「チルコロ・パヴァロッティ・ア・トーキョウ」会長の小島栄子さんが、『パヴァロッティとぼく』の感想を寄せてくださいました。
 「チルコロ・パヴァロッティ・ア・トウキョウ」は日本独自のファンクラブですが、「世界でいちばん熱心なファンクラブ」と生地モデナのパヴァロッティのオフィスからも認められたほど。メンバーのみなさんはヨーロッパ、アメリカ、アジアなど世界各地のパヴァロッティの公演を観に行かれたそうです。
 小島さんにとっていちばん印象的な思い出は、「1997年のMETの日本公演のさいに帝国ホテルのスイートルームに招かれ、マエストロを囲んでファンクラブのメンバーと一緒にビデオを観たこと」だそうです──。

ありがとう、ティノ!
チルコロ・パヴァロッティ・ア・トーキョウ 小島 栄子

 読書の秋、とても素敵な本に出会いました。『パヴァロッティとぼく』。ページを繰るとともに私の懐かしい時代が鮮やかによみがえりました。
 ティノ、お久しぶり!お元気でいらして何よりもうれしく思います。
 私は1994年、大テノール、ルチアーノ・パヴァロッティの日本のファンクラブ「チルコロ・パヴァロッティ・ア・トーキョウ」を立ち上げ、現在にいたっています。それは、ちょうどティノがマエストロ・パヴァロッティのアシスタントとして過ごした年月と重なります。私たちメンバーがマエストロの公演を追いかけたその先にいつもティノはいました。いかめしいボディガードと違って、控えめに、しかししっかりとマエストロの傍らについていた姿が印象的でした。
 当時、私たちのもとにニューヨークのハーバート・ブレスリンのオフィスからファックスで届いていたマエストロのスケジュール表、本書がまさにその表に沿うように進行していくのには驚きました。著者はさぞ詳細な記録を取り、それを膨らませながら執筆していったのでしょう。これまでにもパヴァロッティにかんする本は出ていますが、興味本位の内容のないものもありました。が、本書には私たちファンが抱いていた理想どおりのマエストロが生き生きと映し出されています。聡明さ、鋭い洞察力、慈愛の深さ、音楽と人をこよなく愛し、オペラのすばらしさを世界中の人々に知らせようとした、そんなマエストロの姿があたたかい筆致で描かれ、私たちにとって納得、満足の内容でした。

1_レストランエウローパ前で

▲モデナのレストラン・エウローパ‘92の前で(1994年)

 「キング・オブ・ハイC」と称賛され、稀有のテノールとして邁進した前半期から円熟の後半期へ。チャレンジ精神旺盛なマエストロは、1990年のローマでの三大テノール公演の前後から声に重みを増したこともあり、かねてよりあたためていたリリコ・スピントにも役柄を広げていきました。《アンドレア・シェニエ》《道化師》《オテロ》《ドン・カルロ》など。世界中が固唾を飲んでマエストロを見つめます。そして、《オテロ》では「風邪をひいて声が出なかった」、《ドン・カルロ》では「声が裏返った」と、わずかな失敗が大ニュースとして即日世界を駆けめぐるのでした。これでは新たな役に挑戦しようにも思い切って歌えない……胸が痛くなりました。その後、体調不良によるキャンセルでも非難を浴び、ティノも気遣いと心を痛める日々が多かったと思います(カードのお相手も大変でしたね!)。が、本書により、さまざまなことがらが明白になり、その点でもファンとしてはうれしいかぎり。このような楽しくも貴重な本を出してくださったティノに、そして世界に先駆けて翻訳してくださいました楢林麗子さんに、チルコロのメンバーとともに、心から感謝しています。

2_帝国ホテル

▲帝国ホテルにて。マエストロの探していたビデオをお届けして、部屋でいっしょに観たことが小島さん(右)の大切な思い出(1997年)

 マエストロ・パヴァロッティは、ファンをとても大切にしてくださいました。
 ヨーロッパの公演では、私たちは、終演後いちばん先に楽屋に通されました。遠い極東の国から来たファンをねぎらってくださったのです。
 マエストロは気軽に電話なさる方だったようですが、私たちにとってはそれは涙が出るほどありがたいことでした。来日時、ホテルにお花や果物などお届けすると必ずお礼のお電話がありました。
 また、同じく大ファンだった私の母が病でコンサートに行けなくなったとき、その旨、孫娘がホテルにファックスを送ったところ、母の家にお電話をくださったのです。本当に驚きました。公演前の慌ただしい時間に、ただ一ファンのために受話器を取ってくださったのです。「僕、パヴァロッティ、ヒロコ、残念だけど身体を大切にしてください」。母はその幸せを胸に旅立ちました。
 1997年の名古屋ドームでのコンサートでは、開演20分前に私たち全員を楽屋に入れてくださり、笑顔で流れ作業のような握手を!
 2004年、最後の来日となったサントリーホールでのリサイタルのさいは、チルコロとしてインタビューさせていただきました。終わりに「引退なさったらモデナのお宅にお邪魔してもよろしいですか」とうかがうと、「もちろん……あ、でも、ペーザロがいい! ペーザロにいらっしゃい」とニコニコ言われました。
 夢は夢のままに終わりましたが、昨年11月、「パヴァロッティ博物館」に私たちのグッズ(肖像画、本など)を納めるため、有志でモデナを訪れました(現在、それらは館内に飾られています)。その後、郊外のモンターレにあるお墓にも。人数分の赤いバラをお供えしてから空を見上げると、晩秋の風に乗って彼方の空からあの声が聞こえてくるようでした。
 「チャオ! みんな来てくれたんだね。ありがとう!」

 マエストロはよくおっしゃいました、「あなた方の応援が僕の力になっている」。これは本書に繰り返し語られるマエストロの言葉──「ファンこそぼくの人生の一部なんだ。もし、いなくなったら心配になるじゃないか」に重なります。華やかなうちにも厳しい人生を送られたであろうマエストロ。そのようななか、誠実なティノの存在はどれほど大きかったことでしょう。
 心を感じる美しい一冊でした。

3_MET楽屋にて(アイーダ)

▲ニューヨークMETの楽屋にて(2001年)

パヴァロッティとぼく
アシスタント「ティノ」が語るマエストロ最後の日々

エドウィン・ティノコ 著
楢林麗子 訳
小畑恒夫日本語版監修

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