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『音と耳から考える──歴史・身体・テクノロジー』から序文「音故知新 音と耳からの出発」細川周平|その9

 第八部「物語世界論への挑戦」は、映画とゲームのふたつの映像の理論で支配的だった物語世界diegesisの概念を根本から問い直す論考を並べている。両者を読み比べると、一九六〇年代の映画記号学が開拓した物語分析のパラダイムが、半世紀ぶりに革新されつつある感を得る。
 長門論文は、シュルレアリズム的映画作家として知られるヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』が、映像内の世界、映像とつながる外の世界、映像とは別の世界という映画音楽の基本図式を無視していることを微細なレベルで検証している。従来の物語世界論を否定しないが、それでは立ち行かない作品から理論の基本に疑問を投げかけている。仮の結論とするのは、物語世界内外ではなく、同期/非同期で視聴覚性を捉え直す案である。
 吉田論文は、前半でゲームの音響についての約二〇年間の理論ベースを概観している。そこでも物語世界の概念が肯定否定双方から刺激剤となってきたことを知るのだが、著者はプレイヤーと映像の相互反応から成り立つゲームの音響に関して、映画理論は不適切であると強く主張している。ただしその批判の作業はゲームの特異性を明らかにするだろうし、そもそも目と耳から別々に、だが同期して入力された情報が、どのように「同一の物語世界」として知覚されるのか、という長門の問いはまだ残る。著者が目指すのは、ゲーム世界の強調音とエコロジー音の区別から主体参加型の視聴覚世界を考える方向である。映画とゲームの理論は平行線をたどるのか、どこかで握手するのか。
 
 第九部「サウンドの表現者」は、一九五〇年代に興った音を使う芸術表現、サウンド・アートと、一九九〇年代にアンダーグラウンドの(非アカデミックの)造形アーティストやインプロヴァイザーの間から興った電子音響の表現(時には音響派と呼ばれる)を扱う。両者は近い関係にあるが、展示(演奏)の場や哲学、関連雑誌や国際的基盤などの点で混じり合わない。前者についていえば、イタリア未来派の「騒音の芸術」以来、コンサート音楽の専門教育抜きに、音を使った作品や展示は綿々とある。日本の美術界も海外の動向に敏感に反応してきた。一貫した美的宣言や表現技術があるわけではなく、たいていは芸術=アートのレッテルを拒んできた。美術と音楽の融合、ないし両方の約束事の拒絶という出発点は後者も変わりないが、前者の推進力のひとつフルクサスの一世代後の集団として、CD、インターネット、コンピュータを利用し、表現の発表方法や音に対する思考法も違うようだ。
 中川論文は専門的な作曲家や音楽家の世界とは別の美術の世界から、サウンド・アートが始まり、紹介され、評論されたことを『美術手帖』の通読から明らかにしている。海外の動きはあまり時差なしに報じられ、筆者の要点と潜在的な知識、読者の期待、国内のアーティストの反応が見られた。造形・視覚表現が前提だった「美術」界に音楽ではなく音響が持ち込まれたときの困惑や反発、その後の定着や解釈を年代記のかたちにしている。
 柿沼論文が論じる六〇年代のフルクサス運動は、非専門家による音の表現を重視したうえ、リーダーが日本びいきだったり、小杉武久、小野洋子、久保田成子のような中心的な参加者もいて、日本との関連は深かった。日本のステレオタイプには収まらず、禅の美学が好まれた。ジョン・ケージの思想とも深く結びあっている。日常的な行為の音が、どのような思想の下にアートとして枠づけられるのかを語っている。
 横井論文は音響派のゆりかごのように回顧されてきた民家改造のミニ会場、オフサイトの歴史を関係者とのインタビューから再構築し、そこで電子的弱音を特徴とする即興演奏が生まれたという定説を覆している。その実験は別の小会場で既に始まっていたが、閉鎖にともないオフサイトに人は流れてきた。人とメディアとテクノロジーと場所が揃ってシーンが生まれるという経験則を、この場合でも確かめることができる。簡単にCDを自主制作でき、ネット環境が整い、石橋エッセイのいう国内外の「非アカデミックなアヴァンギャルド」がつながりやすくなったメディア状況が、オフサイトの聖地化に寄与したようだ。大友良英のエッセイはオフサイトの常連だった時期を経て、アジアのインプロヴァイザーに人脈を広げた流れを振り返っている。(10に続く)

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