凧のようにふらりふらりと。
突然ですが、凧揚げをしたことはありますか?
私は大学生になってはじめて、大学のキャンパスで凧あげをした。凧は青く澄み渡る青空の海をゆ~らゆ~らと伸びやかに、気持ち良さそうに泳いだ。強い風が吹けばひょうふっと翻って腹をみせ、かと思えば、またのんびりと風に乗ってあっちへふわり。こっちへふわり…。決まった方向性のないままに、ただ風に吹かれるまま泳いでいた。
「何となく決める」「何となくこう思う」
「何となく」という自分でも説明できないようなあいまいな気持ちでものごとを進めることに対して、よいイメージを抱いていなかった。
決断をするときには事前にいろいろ調べ、確かめ、これでまちがいないと自信が持てるように選びたい。流されて決めたことには責任が持てないから、ひとつひとつちゃんと自分で考えたい。
でも、がちがちに固めた目標や予測が、思い描いた通りにうまく進んだためしがあっただろうか。
風に吹かれろ。
良くも悪くも、人生には訳の分からないこと、自分では説明のできないことがよく起きる。それらは単なる偶然とも、運命だとも言えるかもしれない。
予定通りに進まず、番狂わせだとイライラするかもしれないけれど、大切なのは、そのひとつひとつを「出会い」として気づき、うまく活かすことができるか。その心の持ち様なのだろう。
こだわりを突き通すのもいいけれど、周りにあふれる出会いや可能性、ぐうぜんの数々を見過ごしてしまうのはもったいない。
気持ちのいい風が吹いてきたら吹かれてみよう〜それくらい、こころの余裕があった方が自分に吹いてきたチャンスや出会いに気づき、人生という荒波も、少しばかりは楽しい波乗りになるのかもしれないなぁと、心地良さそうに揺らぐ凧を見て感じた。
凧糸は私の手の中に。
ただ、忘れてはならないのは自分自身の軸は見失わないということだ。
凧はどんなに風に流されていても、遠くに飛ばされていってしまうことはない。それは、凧を繋ぎ止める凧糸が手の内にしっかりと握られているから。
その軸さえあれば、きっと大丈夫。どんなに風が吹いても見失うことはない。向かい風に抗ってばかりいては疲れちゃうから。安心して、ぎゅっと握っていた手を、がちっと固めていた心をゆるめてみよう。
ふわりふわりと軽やかに泳ぐ。しなやかに、身軽に。凧のように私はなりたい。
🪁
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?