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一本の横棒を隔ててお隣さんの生と死。

手のひらを太陽に すかしてみれば 
まっかに流れる ぼくの血潮

幼稚園のときに好きだった、やなせ・たかしさん作詞の「手のひらを太陽に」。

そのときは「血潮」の意味も、ましてや「生きる」の意味なんて、ちっぽけも分かっていなかった。

だからよく晴れた日には、手のひらを太陽の方へ向けて確かめた。私の手はうっすらとピンク色に透けて光を放ち、指先もオレンジに光るE.T.の指先みたいに発光し、いつものとは違って見えた。

こんな身体の先っちょにも血が通っていて、いま確かに生きているのだと、この身体に流れる赤い川が、血潮で、私のいのちの証なのだと、幼心にそんなように感じたことを覚えている。

命の危険に遭うと、より「生きていること」また同時に、いずれ「死にゆくということ」を意識させられる。

私は人生で一度だけ死にかけたことがある。



それは3歳のときのこと。100円玉を飲み込んで救急車で運ばれた。夏祭りの日だった。

初めて家族みんなで行くハワイ旅行の3日前。兄たちはテレビでコナンかなにかのアニメに夢中で、母は台所で夕食の用意をしていたのだったと思う。ありふれた休日。

私はぶら下がっていたポシェットの中のがま口を開いて 、お祭りのためのお小遣いが入っていたのか、じゃらじゃらと入っていた小銭の中から100円玉を口に入れた。だけではなくて飲み込んだ。ごっくん。(小さい子のやることって本当によく分からない……)

コインを喉に詰まらせて、苦しそうな私の異変を察知したのか、苦しながらに私が飲み込んだことを話したのか、とにかく母は

やばい!
と思ったらしい。

足を持たれてひっくり返され宙吊り状態にされたり、背中を何度もトントンされた。そうこうするうちに、救急車が到着し、気づけば病院のベットの上だった。(鮮明にとまではいかないけれど、ちゃんと覚えている)

幸い、コインが喉の途中で斜めにひっかかり、わずかながら気道が確保されていたため、息をすることができた。

喉に引っ掛かったコインを取り出してもらうと、その日の晩には帰宅して、もうケロリとしていた。(ハワイ旅行も計画通り。一週間後には、真っ青な海を背景に、アロハポーズで見事に写真におさまっている)

しかし、何年かしてから、もしも気道が塞がっていたら、死んでいたかもしれないという話を母から聞いた。

お腹がキューっとなる気がした。何の変哲もない100円玉が、私の命を奪う殺人犯になっていたかもしれないのだ。



生と死は隣り合わせにあるという当たり前に気づく。

金八先生が「生と死とは横棒一本隔てて同じ境地にあるのだ」(生の下棒と、死の上棒のこと)と言っていたのを覚えている。

死んでいたかもしれないという話を聞いたときは、せっかく助かった命なのだから、めいいっぱい大切にしなくちゃと思っていた。

それにも関わらず、本当はいつやってくるか分からない死を前にしても、心のどこかでは毎日が当たり前のように続いてゆくものだと思ってしまう。

「今日が最後の一日だとしたら、本当にやりたいことをできているか?」

あまりにも有名なこの言葉。スティーブ・ジョブズは毎朝、鏡の中の自分に向かって自分にこう問いかけていたそうだ。私は自信を持って答えることができない。命を今日という一日を大切にしていると言えるのだろうか。

爪に赤いマニキュアをするようになった今日も、
あの頃と変わらず、まっかに流れるぼくの血潮。私は今日もちゃんと生きている。

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