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人の間に立つとして

お疲れ様です。お疲れ様です。お疲れ様です。

毎日生きるのは大変ですね。僕はお風呂に入ったり、ぐっすり眠ることすら難しかった時期にお部屋に引きこもってて薄暗い布団の中で気づいたことがたくさんありました。

「ああ、毎日みんな生きててえらいな。」
「早く起きて電車に乗って、すごいよみんな。」
「遅れずに時間通りに何かをする、素晴らしいね。」

「昨日脱ぎ捨てたTシャツ、床にくたっと置いたまんまだ。拾ったよ、素敵だね。一歩ずつ進んでいこうね。」

僕は今年の大事にしたいことは「出会いたい自分と繋がりなおす。」

僕は僕のことを癒したい、とたくさん思ってきました。でも、それよりも自分をかっこよく見せようとしたり、結果ばかり見つめてみたり、苦労する方へ随分と長く走ってきたなと思います。

ある日、大好きなアーティストに相談しました。

「GOMESSさん、寂しい自分が好きってどういうことですか?」
「道路の白線みたいにさ、俺寂しいだろ。一本だ、一人って感じだよ。それがさ、似合うんだよな俺に。寂しいのが俺に似合うんだよ。だから好きなんだよ。」
「なんか、満たされない自分でもいいなって思えるっていいですね。」
「うん。でもさ、満たされる方がいいやつだって絶対にいるんだよ。満たされた方がいいやつは満たされた方がいい、俺は満たされなくていいのかもしれないな。」

きっとこれからもこのマラソンみたいな人生は続いていくと思います。数年経って、このマラソンに満足したら、きっと登山のような、もっと苦しいけれど、一つ一つ選んで歩幅を保ちながら、よく休んでは自然の美しさを感じるだけの日々を、送るような気がします。

段々と着飾らずに生きることが上手になってきたなと思います。誰かに自慢話を聞いても、心に波風が立たなくなってきました。僕のことを見てくれてる人はたくさんいるね。逆に褒められすぎると、ちょっと心がむず痒い。前は安心してたのにね。でも、ありがとう。見てくれてありがとう。

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最近描く絵は少し可愛くなった感じがします。以前は綺麗だね、と言ってくれる人は少なかったけれど、みんなの前で絵を描けるようになって、もっとたくさんの綺麗だね、いいね、をもらえるようになったね。恥ずかしくて、何も言われないことが怖くて、人前で何かをすることをやめてたけど、本当は見て欲しかったもんね。いいよ、いい感じだよ。これね、今の僕です。

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一人きりでただ歌を聞いてもらうこともしたね。いつも誰かと一緒にやってたけど、今回はほんとに自分だけ。ドキドキしたね。10年ぶりに緊張した感じ。喉が閉まって最初はうまく声が出なかったね。でも、みんないい時間だったよ、ゆっくりできたよ、癒しがあったよって言ってくれたね。みんな素敵だったね。何か一つ大事な過程を終えた感じがしたね。

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前は大好きだった写真は最近は撮らなくなりました。フィルムカメラが少し壊れてしまって、撮っても撮っても真っ白になってしまうからです。近々修理して、また何か作りたいなと思っています。

自分にとって一番大事なこととして「相手に寄り添いすぎない。」が大きなテーマになって降りかかってきています。自分の意思を示す、自分の気持ちを伝える。相手に合わせることでこの辺楽してきたけど、むしろ話を聞くことがうまくなって相手を癒すことができたり、背中を押すことができるようになったけど、それは神様からの贈り物ってことで。

これからは自分本位とか自己中心とか、そういうトゲトゲしてたり、凸凹してるものとは違って、いろんな瞬間に相手のために、と、自分のために、の間で迷った時に、少し贅沢に迷って、自分のために何かしてあげたいなと思います。

きっと相手のためとか自分のためとかも結局なくなるんだろうな。

相手と自分、その間に僕は立っている。

人として。

人間として。


歌はやっぱりいいね。

真っ直ぐに、ヨレヨレ生きてこう。

人間失格、上等だね。

またね。

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