八幡神社 (大安寺旧鎮守)

画像1 八幡神社の森を北西から望む。手前の道は大安寺南大門 (画面左先の手前に位置) の南前を東西に伸びていたと見られる六条大路とほぼ同じ。画面中景左が2016年10月の説明会直後の発掘調査地。築地塀跡などが見つかり、六条大路が南大門と南の塔院の間を東西に通っていた可能性が高いと分かりました。
画像2 上述の発掘地 (北東からの画)。向こうに八幡神社の森の西側 (参道部分)。
画像3 八幡神社の鳥居。森の西端に西を向いて立ち、東の社殿への長い参道の入口となっています。鳥居は大安寺の東西両塔の塔院跡の北西隣に位置してます。
画像4 八幡神社 (大安寺旧鎮守。大安寺境内のすぐ南。大安寺東塔跡の北隣) 正面 (西面)
画像5 石清水八幡宮の元宮との説から、元石清水八幡宮の名もあります。大安寺の僧行教が宇佐八幡から勧請し、当初は東僧房にある自坊 (石清水房) に祀っていたとのこと (後述)。 /🔍 元石清水八幡宮 (旧大安寺鎮守 八幡神社) 公式ページ https://hachimanjinja.net/?page_id=263 /
画像6
画像7 大安寺東塔跡 (国の史跡) 復元基壇と八幡神社の森 (南西からの画)
画像8 大安寺東塔跡解説標
画像9 大安寺南門前から北東に歩くと右手 (東) に推古天皇社があります。大安寺と同じく熊凝精舎が前身とも伝わる額安寺の東隣にも推古神社があります。推古天皇の名は額田部皇女であり、額田部の地を本拠とした額田部氏 (額田氏) の氏寺という額安寺が推古天皇の命名によるとの伝承からも、推古天皇と額安寺・大安寺が関連をもって見られていることが分かります。 /📖ブログ内関連記事 (額安寺・推古神社) https://note.com/artandmovie/n/n920b6259e83c /
画像10 大安寺北東にある経楼跡 (南からの画)。画面奥に「大安寺旧境内」碑と解説板。右 (東) の森は御霊神社。
画像11 上画像の、大安寺旧境内 (国の史跡) 解説板。経楼跡の東に東室 (東僧房) 跡。/📖 ブログ内大安寺関連記事 https://note.com/artandmovie/n/n84b9e2e9978e /
画像12 御霊神社の正面 (西面)。経楼跡の東隣、東僧房跡の辺りに位置。かつて東僧坊の北から4番目に行教の坊が有り、傍の「石清水」と呼ぶ井戸が御霊神社境内に残っているとのこと (「七大寺日記」)。水が初めに湧いたという沼地状の龍神池がその手前にあり、囲いも見えないので足元注意では。千葉の「八幡の藪知らず」は沼地故に禁足地になったのかもしれません (傍の石柱に八幡大龍神との刻字が有ります)。/ 2016年11月15日, 2017年3月30日 (推古天皇社解説板) 撮影 (コンパクトデジタル) / 1月22年9月更新

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?