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長屋王邸跡に行った時

長屋王邸跡に行った時のこと
先日、久しぶりに長屋王邸跡に行ったのですが、
また奇妙なことが起きてしまいました。

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実は、長屋王邸の前に法華寺、宇奈多理神社に行き、
近くの阿弥陀浄土院跡に着いた時は日も暮れかけていました。

阿弥陀浄土院跡の広い空間から西には、
すぐ隣の東院庭園の復元した建物が塀越しに見え、

屋根のてっぺんの鳳凰の装飾と、西の夕日がちょうど重なっている瞬間の写真が
偶然に撮れました。

その足で長屋王邸跡に建つ商業施設へと行ったのですが、

この私の行動で、気になる点がないでしょうか。

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数年前、蘇我入鹿を祀る入鹿神社に行った時、
その近辺の人々は特に昔は
蘇我入鹿を倒した藤原鎌足を祀る談山神社へは参らなかった
ということを聞きました。

更に、
神社などに参る場合、その祭神と「対立する勢力」に関連する他の神社などへは
続けて参らない方がいいとの話も以前聞いたことがあります。

私は迷信深い方では無いと思うのですが、

法華寺や東院庭園の方から長屋王邸跡へ行くことに正直、一瞬躊躇しました。

法華寺、宇奈多理神社、阿弥陀浄土院、東院庭園は、
通常「長屋王と対立していた」とみなされる藤原氏の系統と強いつながりがあった施設であることは、
大和路を自由奔放に歩く旅人にもわかっていることであります。

しかし、私はたしか腹が減っていたので、
日も暮れて行き着く商業施設は、長屋王邸跡に建つ、あのビルディングくらいしか思いつきませんし、
距離的には近いところに来ているので
久しぶりに長屋王邸跡自体も見たくて、

その遺跡に建つ「三代目の商業施設」へは初めて入り、
ラーメンを食べたのでした。

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帰宅してカメラのモニターで見ると、
東院庭園の夕日の中に立つ鳳凰は、結構くっきりとシルエットが写っていて、
「これ、案外評判の一枚になるのでは…」
などと下心が湧いてくる一方、

写真そのものは、景色の美しさ自体で見せるというよりは、
それぞれ強い「意味」のファクターが重なる偶然性が目立った
メッセージ色の強い感じになっており、

そのメッセージというのは、
やはり昨今の「長屋王サイドというよりは、藤原系サイドに寄り添った」
メディアの傾向に沿った形だと感じました。

ただ、私はこれまでネットでも
長屋王のスタンスに寄り添った記事も結構書いてきた感じがします。
そうではあるものの、こういう写真があっても良いかもしれない、
と思っていたところ

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改めてカメラのモニターを見ると、
変化が起こっていました。

東院庭園のその鳳凰の写真だけに何故か「バツ印」が重なったのです。

この写真はコピーもできず、いまのところ使い物にならなくなってしまいました。


原因らしきものは一応わかっています。
たしかモニターで画面を「めくっていく」時に早回し的にボタンを押し続けて見た直後にそうなりました。

しかし同じメーカーの、もっと安いコンパクトデジカメは同じ「早回し」で見ても
バツ印なんてついたことがありませんし、
一日に数百枚は撮った中、よりによってその一枚だけにバツがつくとは…


史跡巡りを続けていると奇跡のような良いことも有りますが、
こんなハプニングにも遭います。
史跡巡りというか、
人生そのものがショボい…


(いま投稿しようとすると、初めて画面が動かなくなり、投稿が遅れました。その状態はカメラに撮ってありますが…)



(追伸)
見出しの写真は、記事で述べている時に撮った (上述の「バツ印」がついてない分の) 写真を、 
2020年12月 (noteに私の一眼レフの写真が貼れる形になったことに気づいて直ぐに) 貼ったものです。
見出し写真だと拡大編集が可能なので、その位置に貼りました。


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(随時更新。20年12月21年1月2月更新)


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