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長屋王の変(729年3月14日-3月16日 [神亀6年2月10日-2月12日]) と 「天平」

長屋王の変(729年3月14日-3月16日 [神亀6年2月10日-2月12日])  

「続日本紀」『天平元年 (七二九) 二月辛未』の項にある、
長屋王・吉備皇女 (吉備内親王) 一族の邸宅が兵に囲まれた2月10日が、
いまの新暦にすると3月14日 (729年 [神亀6年] ) であり、
長屋王が自害を命じられ
(「続日本紀」原文 [《天平元年(七二九)二月癸酉【十二】》の項 ] では
「令王自尽。」とあり、「王を自尽 [自害] させた」と訳されます。) 、
吉備皇女・長屋王一族がほぼ滅亡した2月12日が、
新暦だと3月16日となります。

正確には、この日は前の元号である神亀六年に含まれ、
「天平」(てんぴょう) は、いわゆる「長屋王の変」の直後に定まった元号でしたが、
この続日本紀では年単位で元号を区分しています。

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「天平」という、喜びに満ちたイメージの元号は、
仏教芸術が理想的写実の「古典主義」として結実を遂げた、日本芸術史の一頂点である
美術史区分上の「天平時代」 (政治史区分の「奈良時代」と時期は全く同一) にも使われ、
本来の元号「天平」には該当していない、前後の時期をも
美術史の区分としては指し示す程の代表的な語となっています。

例えば、この長屋王の変で「自害」した、
吉備内親王 (長屋王の正妃・従姉妹。元明天皇、草壁皇子 [岡宮天皇]の皇女。 文武天皇、元正天皇の妹) が創立した「薬師寺東院堂」 (国宝・世界遺産) の本尊・聖観音立像 (銅造。国宝) は
美術史上の「天平前期」の代表作と言われますが
本来の元号「天平」は、吉備内親王が亡くなった直後に定められたものであり、
聖観音像が完成したとされる時期は、未だ「天平」という元号はありませんでした。

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