餅飯殿弁財天社・聖宝理源大師堂

画像1 餅飯殿 (もちいどの) 弁財天社 (画面中央。平安前期創建。吉野の天河大弁財天社からの勧請)・聖宝理源大師堂 (しょうぼうりげんだいしどう 画面右。創建時期不明)・宗像社 (むなかたしゃ 左)。奈良市餅飯殿町。餅飯殿商店街のスーパーマーケットが入ったビルの北に接する。写真は東から見た図。 /2019年4月20日撮影
画像2 額絵。ネットで調べても何の絵か分かりませんが、弁財天と中世以降から習合して祀られることがある宇賀神 (由来不明の蛇神) かもしれません。[27日追記] あるいは弁財天と龍神が島へと案内して舞う能楽「竹生島」? / 能「竹生島」を見ると、宝珠 (仏教の象徴) を龍神が捧げ持つ場面があるので「竹生島」でしょうね。参考 http://www.meg-net.com/meg/oh_noh/ohnou-43.html /
画像3 聖宝理源大師堂の正面 (南面)。聖宝は平安前期の僧。光仁天皇の玄孫。東大寺東南院 (寺内の三論宗・真言宗の本拠。明治8年に同地は本坊となる。東大寺境内とは別個に「東大寺東南院跡」として国史跡指定) や醍醐寺を創立。また吉野修験道の中興の祖と言われます。
画像4 (12月27日記事公開。27日更新) / 本ブログ内「東大寺本坊 (東南院跡)」関連記事 https://note.com/artandmovie/n/n5b480b07ac65 /
画像5 (関連) 餅飯殿町の北方、興福寺三重塔の北隣りに残る「窪弁財天」の遺構。餅飯殿弁財天と同じく814年に天河大弁財天社から勧請。当初の位置については複数伝承があるものの大体三重塔の周辺であり、三重塔に祀られている江戸初期の弁財天像は北隣の世尊院 (興福寺塔頭) から移された像で、勧請の伝統に基づいているとのこと。世尊院は1804年頃に同寺の塔頭三蔵院と寺地交換の後廃絶。移転先の建築は近年2015年まで国際奈良学セミナーハウスとして利用されていました / 2018年3月13日撮影 / 22年1月更新

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