人と話す時、私なりにこだわっていることがある。「相手を指差さない」ことと「『あなた』と呼ばない」ことだ。状況によってついやってしまうこともあるが、大体の場面で、その2点が忘れられない。
それらのこだわりが生まれたきっかけは、ある友達が「私は尖端恐怖症だから会議中でも指やペンを向けないで!」そして「『あなた』と呼ばれることが嫌い。私には名前があるのだから名前で呼んで欲しい。」と公言していたことだ。はっきり言ってくれたので助かるといえば助かる。お互い生きやすい環境を作りあげる上で、配慮しあうことはとても大切だと思う。
最近、「配慮」という言葉を聞く機会が増えたような気がする。時折、突き詰め過ぎてどこまで「配慮」したらいいのか限度が判らなくなるときもある。長年「察し」の文化の中で生きてきた自分にとっては「配慮」という言葉が何か途方もないオバケのように感じられるときがあるのだ。
念の為繰り返すが、「配慮」すること自体はとても大切だと思っている。
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