寝る前に
ブログ書こうって思うのは寝る前とかシャワー浴びる時とか、ランニング直後とか、なんかそういう時が多い
ブログ書こう!って思って携帯持っても意外に書けないものだ
なんかぼーっとして色々考えとったらこういうこと書きたいなぁってなってくる
最近昔の記憶を辿ることが多い
昔ああいうおもしろいアニメあったなぁとか
あのお店よく言ってたなぁとか
そういうのもあるんですけど
少し不思議な気持ちになるような振り返り方も多くて
例えば昔よく行ってたスーパー内で呼吸してた時にあともう少し長く息を吸ってれば体内に取り込んでたはずの吸いそびれた酸素は今どこに循環してるんかなぁとか
そういうことも考える
自分は小中高大学とどんどん活動の範囲がグローバルになっていって
自分の周りの環境もぐるんぐるん変わってる
けど、一方で、そうじゃない人もたくさんいる
例えば、小学校の時行事であった田植え体験、あれで田植えを教えてくれたおばちゃんはまだ田植えをあの場所で教えてるかもしれない。
学校の先生とかもそう。自分はとうの昔に卒業したけど、まだそこで授業教えてる先生もいるだろう。
自分はすごく環境が変わっている中、自分が小さい頃の環境とほぼ変わってない人、を想像するのが不思議な気持ちになってすごく気持ちいい。
小中の時のあらゆる感動に対して、最近の色んな感動は、ちょっと弱い気がする。
なんでかを考えた。やっぱりあの頃は色々縛られて生きてたし、自由さがなかった。それが逆によかったんだと思う。
たまに学校を休んで見る10時頃のNHKの教育系番組のワクワクであったり、調理実習で食う飯の美味さやったり。
ランドセルこんだけしか入らんのに明日から夏休みやから今日で体操袋とひきだし持って帰らんなんやんけ!やったり。
今は自分の判断で時間なんて基本作れるし、飯も好きな時間に好きなだけ食える、体操袋も引き出し級の大荷物も車に乗っけるなりなんなりとできる。
つまり今は拘束という縛り、が縛られてるのです
そして、最近の自分の生活を振り返ると昔と同じような遊びであったり娯楽ばかりやってる気がする
バスケで例えるならずっとその場でピボットしてる感じ
そしてたまに他のこともやってみるかとドリブルして動いてみるんやけどすぐ飽きて、その場で止まる。そして3秒ルールで反則取られて結局元の場所でピボットみたいな生活。
ピボット人生
的な感じ
自分の行動範囲が狭いっていうのを何かで例えたくてバスケのピボットを無理矢理例に出したのだが、そのせいでこの例えにおけるボールが何に値するのか、例えを出した自分でもわからんが、それはこれを読んでいるあなたの想像にお任せする。
そんな感じ。
まぁ要するに飽きてもいいから新しいことやって刺激感じていきたいよね〜って話。
書き疲れたから急に終わります
おやすみなさい。
PS. PSって何の略なん?
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