僕とONETOKYOの出会い
おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
前回の初投稿では自己紹介に加え経歴、これまでのサッカー人生の出来事を大まかに紹介したものになっています。見てない人は是非前回の投稿をみてから今回を読んでほしいと思います。
前回の最後に
ビッグニュースが飛び込んできた‼︎‼︎
というフレーズで終わりました。
今回はこの続きから書いていこうと思います。
そのビッグニュースとは、本田圭佑さんがTwitterで"サッカークラブを作る"というものでした。
その時の告知写真がこちら。
↓
タイミングが良すぎた。
これはもう受けるしかない。
仲の良い高校のクラスメイトからLINEきたり、
大学の同期の筌口拓とLINEをしていたのもあって、
すぐに応募しました。
まず最初に一次選考として、書類選考がありました。
募集要項を記入し宛先にメールをして数日間返事を待ったけど合否が来ませんでした。
書類で落ちたのかな。
そう思ったので拓(大学の同期)にLINEしたら合格通知がメールで届いていて2次選考の詳細が送られてきたと返信が来ました。
メールアドレスを間違って送ってしまったかもしれないと思い、拓に合否通知が届いていないことを運営の人にに伝達してほしいとお願いをしたところ、合否通知は連絡済でやはりメアドを間違えてしまったか迷惑メール拒否をしてしまっていたのです。
結果として、拓(大学の同期)経由で連絡が来て合格でした!
2次選考に進み、次はゲーム形式の実技試験でした。
指定された日時の指定された時間に行くと、大勢の人がいました。
11人制のチームが10チーム。計110人。
運が良く、拓と同じチーム。
多少の緊張をしながら出番を待っていると、本田圭佑さんが会場入り。
サッカー姿はスタジアム観戦で何度か見たことあったが、私服姿の"KEISUKE HONDA"は初めてでした。
オーラが凄い。
幼少期から憧れの存在であった為、興奮がおさまらなかったのを今でも覚えています。
そしていよいよ出番。
本田さんから伝えられた選考基準は、
『簡単に倒れない。』
『最後まで勝利を目指して貪欲に戦える人。』
一語一句覚えていないが確かこんなことをおっしゃっていました。
自分の武器はまさに、倒れない。
いつも以上にピッチを走り回ることを意識したが、引退してから久々のゲームで、思ったように動けず、ミスも連発。
正直言って自信はなかった。ただ、最善は尽くした。
『合格者は数日後、本田さんとの面談があります。』
そう言われてその日は終わりました。
そして数日経っても連絡は来ず。
きっと、落選した。。
3日後にハワイ旅行が待っていたのでサッカー人生が終わったし存分にはっちゃけようと気持ちは切り替えてました。
一応念のため拓に連絡をしたら、もう面談終えて入団内定したとLINEで告げられた。
もしかしたらまたメアドを間違えてたり迷惑メールで連絡が届いていないのかもしれないと思い確認したところ、またしても拓から『合格してるらしいよ』との通知。
良かった‼︎
ホッとした。
サッカーを続けられる環境があることにここ最近で1番の喜びを感じました。
しかし、本田さんが多忙であるのと自分が数日後にハワイ旅行が控えていることもあり、本田さんとの面談を経験することができず終わってしまいました。
(本田さんをはじめ運営陣には最初の印象が悪いに違いない。指定された面談の日に訪れずにバッくれたのだから。バックれたという言い方は違うように思うけれどメールが届いていないということを知らない運営陣からしたらそういう表現が適してるであろう。)
それと同時に本田さんとの面談を経験できなかったのは人生の中でも断トツで上位に入るくらい悔しい。
あのスーパースターと対人でお話できるチャンス。
想像するだけで手汗がかけるくらいのあの緊張感。
悔やんでも時間は戻らないのはわかるがしょうがない。
ハプニングばかりでありましたが無事に入団することに決定。
おそらく筌口拓という男がいなければONETOKYOに入れていなかっただろうし、なんならサッカーも辞めていたと思う。
まさに奇跡の連続。
そうして僕とonetokyoのストーリーが始まっていきました。
始動前日まで金髪だった僕はしっかり黒染めをして、当日を迎えましたがハワイとプーケットでの日焼けで顔が真っ黒に焦げていて、おそらく、みんなにやばいやつきたと思われてしまったと思います。笑
始動日には武井壮監督はじめ乙武GMが出席して、それぞれ自己紹介(主に出身校、出身チーム、自分のプレースタイルをプロサッカー選手で例えるなら誰?)をしました。
ちなみに僕は、プロサッカー選手で例えるなら
フランス代表エンゴロ・カンテと答えた気がします!
こうしてONETOKYOがSTARTしていったのです。
今回は、ONETOKYOと僕の出会いを細かく伝えたものになりました。
このnoteで伝えたいことは、
"自分の将来なんて想像してもわからない。将来こうなりたいと思ってもなれないことの方が多いし、あの時こうしとけばよかったとか後悔することもある。だけど、自分がやりたいと思ったことにどうせ無理だろうと自分自身でフィルターをかけないでほしいと思います。実力が伴っていなくても運や縁で叶うことも稀にあると思う。でもそれは沢山色んなことに全力で挑戦してきた人にしか訪れない。だからこそ僕は死ぬまで一生『チャレンジャー』で生きていきたいと思います。"
以上です。
次回のnoteはONETOKYO発足初年度、1年間の活動について書きたいと思います。最後まで読んで頂いた方々、ありがとうございます!
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