映像の未規定性が音楽に出会うとき――島袋道浩「音楽が聞こえてきた」について
執筆:石田裕己
本文
Ⅰ
島袋道浩さんの関東圏では15年ぶりとなる個展「音楽が聞こえてきた」が、2024年7月4日から9月23日まで、横浜の新高島駅にあるBankART Stationで開催されました。島袋さんは1990年代より世界的に活躍し評価され続けている作家であり、本展はここ20年近くのあいだに作られた作品のうち十数点を紹介するものでした。島袋さんの作品をまとまった数、しかもそのキャリアをざっと見通すようなかたちで鑑賞できるという国内では貴重な機会で、それだけでも重要な展覧会であったということができるでしょう。なおタイトルからも示唆されているように、展示された作品はみな、音楽を主要な構成要素とするものです。
島袋さんは、公共空間へとささやかな介入を行うことで、そこに生きる人々から反応を引き出す作品で知られています。松井みどりさんが述べるように、介入のために「使われていないスペースや時代遅れになり忘れられた物を見つけて、そこから人を巻き込む新しいゲームや状況をつくり上げる」(註1)こともあれば、ロンドンの地下鉄で眉毛を片方だけ剃ったり、春に神戸の海岸でサンタクロースに扮したりといった風変わりなふるまいを行うことにもあります。そしてそうした作品を展示するにあたっては、介入それ自体や、それをきっかけとして人々とのあいだで生じた予想外のコミュニケーションを記録した(静画ないしは動画の)映像を、展示空間へとインストールするという手法を採ります。
こうした作風もあって、島袋さんの作品の本質は、えてして介入によって発生する場や状況それ自体に見出されます。介入や状況を記録し、それらに対する事後的なアクセスを可能にする映像は、しばしば二次的・副次的なものとみなされるということです。介入の結果として展示以前に/展示空間の外側で生じる状況こそが重要であるとされ、その記録としての映像や、それらが展示空間のなかで鑑賞者にもたらす感覚や効果が注目されることは少ないように思われるのです。たとえば松井さんも、介入の結果として展示空間の外側に生じる状況に注目しており、介入の記録映像をそれ自体として問題にはしていません(註2)。また、社会に関わる芸術実践を紹介するNPO法人であるCreative Timeによって、20年間のあいだになされたソーシャリー・エンゲージド・アートの実践を多数紹介するべく2011年に開催された展覧会”Living as Form: Socially Engaged Art from 1991-2011”のカタログの紹介文も、島袋さんが公共空間で繰り広げる介入にのみ注目するものでした(註3)
こうした介入を記録する作品は、もちろん本展においてもいくつか展示されています。とはいえそれらは一部にとどまり、上記のような整理ではうまく説明できない作品が多く展示されていました。「島袋さんってこういう作家だよね」という一般的なイメージからは少しずれる作品で構成された展覧会だった、ともいえるでしょう。もちろんそれは、上記のようなパブリックイメージの強固さが、島袋さんの実践の実際の多様性を覆い隠していたということだと考えられるのですが。
そして公共空間への介入に重点を置く作品についても、本展はそこにおける音楽の使用にこそフォーカスを当てます。それらの作品における音楽は、記録映像が鑑賞者に与える効果を調整するべく事後的に付された、介入それ自体とは独立して存在するものです。そうである以上、音楽のこうした使用を前景化させる本展の試みは、島袋さんが展示空間のなかで鑑賞者にもたらそうとする感覚や効果という、従来あまり注目されてこなかった側面を前景化させるものであったのです。
かくして本展は、島袋さんについてしばしば共有されるパブリックイメージを、二重の意味で(典型的な作例からは距離がある作品を中心にして展示を構成することで/典型的な作例に属するといえるような作品についても、普段はあまり注目されない要素にフォーカスを当てることで)刷新するような展覧会であり、その点で重要な機会であったといえるでしょう。
以下ではその「刷新」の内実を具体的に示すべく、パブリックイメージを共有しつつ会場に赴いた鑑賞者のひとりである筆者が、本展から出発して考えたことをそのままに提示するという方針を採ります。島袋さんの記録映像についての思考を触発するそのありようを、筆者個人を例としつつ示すことを試みるのです。その結果として、作曲家の小杉武久さんとコラボレーションで作られた作品(《音楽家の小杉武久さんと能登へ行く(桶滝)》(2013)、《音楽家の小杉武久さんと能登へ行く(見附島)》(2013))や、複数の作曲家に、水滴が空き缶に落ちる音を用いて作曲するよう委任した≪キューバのサンバ リミックス≫シリーズなどといった、本展において重要な近作に言及できずにいることをお断りいたします(註4)。なおそれらは、上記の典型的な作例とは異なる作品です。
Ⅱ
本展を通してわたしが強く感じたのは、展示空間のなかで見ることができる島袋さんの記録映像・写真には、未規定性とでも形容できるような性質が強く備わっているということです。それらはさまざま仕方で鑑賞することができるものとしてあって、それらを前にした鑑賞者は、どうやって見ればいいのかを安定的に確定させられないまま、複数の様態のあいだでゆらぎつつ鑑賞するよう促されるのです。またこれは、記録の主な対象としての介入行為それ自体が持つものでもあるように思われます。作家からの一方的な伝達ではない、人々のあいだでの活発なコミュニケーションを目指すにあたっては、受け取り方を一義的に確定できるようなものではなく、それゆえに多様な反応を呼び起こしうるような介入の方が適している、というわけです。
話を分かりやすくするために、本展には出品されていない島袋さんの代表作≪人間性回復のチャンス≫(1995年)を具体例として取り上げましょう。これはもちろん、かつて鑑賞した同作について、本展をきっかけに改めて考えることになったということです。同作において島袋さんは、阪神淡路大震災の直後の倒壊した神戸に対して、これまた被災した友人宅を借り、「人間性回復のチャンス」と書かれた水色の看板を掲げるという介入を行いました。それによって、行き交う地元の人々からさまざまな反応(絶望的な状況からでも立ち上がることは可能だ、と考えるようになることなど)を引き出そうとしたのです。
そしてこの作品を展示空間へと導入する際には、介入の様子を捉えた一枚の記録写真が、場合によって作家の言葉や状況の説明から切り離されたかたちで用いられます。なおこの写真は国立国際美術館や東京都現代美術館に所蔵されており、独立行政法人国立美術館のコレクション検索サイトなどから画像を確認することができます。
写真のなかの、荒廃しブルドーザーが活動する街に立ち現れる水色の看板がまずもって感覚させるのは、被災という状況のなかに、現代において失われてしまった人間性の回復という希望を見出す人間のたくましさです。他方で、被災の只中にあって即席で作られたためにどこか貧相でもあるその看板のありようは、災害を前にした人間の矮小さ・弱さこそを際立たせてしまっているようにも見えます。また、水色の看板にある、被災地の風景からどこか遊離しているかのような印象は、不相応な肯定を投げかけることで、訪れた過酷な現実を笑い飛ばそうとするアイロニカルな作品であるという解釈を誘発しうるものです。この三つ目の解釈は一見すると一つ目の解釈と同じもののように思われるかもしれません。しかし、看板のメッセージを文字通りの希望の表明として受け取るのが一つ目の解釈であるのに対し、三つ目の解釈はメッセージを、この現実が「人間性回復のチャンス」なわけがないという諦念とともに放たれたアイロニーと受け取るものであるといえます。あるいは大震災というコンテクストをいったん括弧に入れて、荒廃した街と水色の看板のコントラストを、どこか美しい光景として享受することもまた可能でしょう。
このように本作は、その意味・鑑賞を簡単に確定することができない作品です。それぞれの鑑賞者ごとに解釈が分かれるというよりはむしろ、一人の鑑賞者が、複数の意味のあいだでゆらぐような仕方で鑑賞することとなるのです。もちろん、本作には、そこに込められた希望を強調するようなキャプションが往々にして付与され、それがゆらぎを抑制するわけですが。
Ⅲ
「音楽が聞こえてきた」に話を戻しましょう。これまでの記述で示唆し続けてきたように、本展に出品されている映像作品の多くもまた、上記のようなゆらぎを含みこむものであったといえます。とはいえ、本展が最も重視する要素であるところの映像に付される音楽は、映像の未規定性と必ずしも親和的ではなかったように思われます。つまり、音楽が未規定性を促進する方向に機能する場合もあった一方で、むしろ未規定性を手なずけ、作品の意味を収束させる方向に機能していた場合もあったように思われるのです。
音楽が未規定性を手なずけるかたちで機能していた例をいくつか挙げましょう。
《白鳥、海へ行く》(2014/2016)は、昔からある事物としてのスワンボートを通常とは別様の仕方で使用し、それによって公共空間へと介入する様子を記録した映像作品です。その意味で、先述したような典型的な作例に属するといえるでしょう。島袋さんは母の故郷がある岡山で、子どものころに遊んだ岡山後楽園のスワンボートに再会します。そして、40年で旅を重ねてきた自分と、遊園地にある狭い持ち場で動き続けてきたスワンボートとの間にある隔たりを意識した島袋さんは、スワンボートに乗って、後楽園から街中を走る川を通って海へと至る18kmほどの旅を行うことを決意するのです。島袋さんにとってこれはエモーショナルな再会の経験であったようで、それを映したこの映像にも、スワンボートという懐かしい形象によって鑑賞者の郷愁を呼び起こし、感傷を誘うような部分が多分にあります。島袋さんが得た感覚を鑑賞者のなかに再現するような性格があった、ともいえるでしょう。しかしながら、大の大人がキッチュなスワンボートを全力で漕いで動かしていることのおかしみや、複数のスワンボートが遊園地という場所を離れて岡山の郊外風景のなかを進んでいる光景の奇妙さといった要素は、たんにノスタルジックで感傷的なものして鑑賞するうえではノイズであり、映像に未規定性を付与していたのです。他方で、野村誠さんが本作に付したピアノ音楽は静謐で感傷を誘うもので、もともと映像の主要な要素として存在していた感傷や郷愁を加速させ、他の要素や未規定性を抑圧する方向へと作用していたように思われました。実際、本作が岡山芸術交流2022で展示された際の遠藤友香さんのレポート記事は、この曲が「島袋が白鳥のボートに乗って海へ向かうときの高揚した気持ち、そのとき頭に流れていたメロディーを友人の音楽家である野村誠に伝えながら共に作曲し」たものであったことを伝えており、上記の作用が島袋さんの意向によるものであったことが示されています。
また≪Tranquilo≫(2008)と≪I’m Wishing≫(2008)は、ブラジルで活躍する二人の音楽家、カシンさんとモレーノ・ヴェローゾさんとの協働で制作されたものであり、島袋さんがかれらと沖縄を訪れたときに撮影した映像に、かれらによる音楽が付されているというものです。なお上にある作品タイトルは、それぞれの作品で用いられた音楽へのリンクとなっております(註4)。どちらの映像も水の中で浮いている男性を映しているのですが、その様子は落ち着いた音楽とかなりマッチしたもので、ゆえに作品はどこかミュージックビデオのようなものになっています。
他方で音楽が映像の未規定性を促進していた作品もありました。以下ではその例として、≪シマブクのフィッシュ・アンド・チップス≫(2006年)と≪ヘペンチスタのペレイラ・イ・ソンニャドールにタコの作品のリミックスをお願いした≫(2006年)を紹介します。
前者はタラが海のなかを移動するジャガイモが出会う様子を捉えた作品です。フィッシュとチップスの原料が生前に遭遇するさまを描く(いい意味で)ばかばかしい作品で、基本的には笑って気軽に見ることができる映像ではあるのですが、カシンさんが今作に付したメロウな音楽は、どこか詩的な印象を映像に与えます。自然界の神秘を描いた映像であるかのような錯覚が、音楽もあいまって鑑賞者のなかに生じることになる、ともいえるでしょう。くだらなさとエモーショナルさが、どちらかがもう片方を排斥することなく共存する映像を前にした鑑賞者は、笑えばいいのか感動すればいいのかよくわからない状態へと導かれます。
また後者は、サンパウロで出会った路上演奏をするアーティストであるペレイラ・イ・ソンニャドールに依頼し、島袋さんがタコを題材に作った過去の映像作品に曲を付けてリミックスしてもらうという趣旨の作品です。≪そしてタコに東京観光を贈ることにした≫(2000年)を素材とするバージョンと、≪自分で作ったタコ壺でタコを捕る≫(2003年)を素材とするバージョンとがあり、どちらにも同じ曲が付けられていました。
煩雑さを防ぐために、ここでは前者に限定して説明しましょう。≪そしてタコに東京観光を贈ることにした≫も公共空間への介入を記録するタイプの作品であり、しばしば島袋さんの代表作と評されます。同作で記録されるのは、故郷の明石でタコを捕まえてビニール袋に入れたうえで、新幹線にのってタコとともに神戸から東京へと移動し、二日間のあいだ東京中を連れ歩いたうえで、ふたたび新幹線に乗って明石へと帰還し、もともといた海に帰すという一連の流れと、タコを連れ歩くという奇抜なふるまいに興味を持った人々とのコミュニケーションです。明石のタコに東京観光をさせたいという妙なこだわりを、手間とそれなりの予算をかけて実現するそのありようは奇妙でおかしいものでありつつ、他方でそれを記録する簡素な映像は、タコと人間とのあいだで生じたつかの間の交流を、映画『E.T.』に通じるような心温まるかけがえのないものとして捉えています。
記録映像の主要な要素は、上記のような奇妙さとおかしさとハートフルさです。しかし、それらより目立たないけどたしかに存在していて、本作について考えるうえで無視することができない要素がもう一つあります。それが鑑賞へとノイズのように侵入し、ゆらぎを生じさせる、ということです。その要素とはすなわち、タコの心身の危険を顧みず自分の欲求に付き合わせる島袋さんのエゴ(あるいは人間中心主義)です。広大な海から切り離されて狭い水のなかで過ごさねばならなかったタコのストレスは察するに余りあるものですし、映像の最後にタコが解放される浜辺と捕獲された海域(船で向かう場所でした)のあいだに距離があることもあって、その後タコがきちんと元の生活に戻れたかは定かでないのです。この映像を、こうした点にまったく意識を向けずに鑑賞することは難しいでしょう。
そして本作にペレイラ・イ・ソンニャドールの即興音楽がもたらしたのは、上記のような未規定性や、それを受け止める鑑賞者のゆらぎの促進でした。陽気で賑やかなその音楽は、タコを捕まえて人々に見せつけることを生業とする伝説の漁師・シマブクの活躍を英雄譚として語るもので、あたかもブラジルの港町で長年歌い継がれてきた曲であるかのようです。そして自然を支配する人間の勇敢さについての語りはまずもって、映像にもともと存在していた人間中心主義的なトーンを前景化させるわけですが、とはいえそれを映像の真の意味として、他の意味を押し退けるような仕方で露呈させるわけではありません。タコを連れて日本を歩く、ふるまいは少し奇妙だけど姿としてはどこにでもいそうな島袋さんのありようと、英雄的な漁師を称揚する曲の歌詞やトーンとのあいだには明確な(断絶とまではいえないまでも)隔たりがあるからです。かくしてこの音楽は映像の意味を確定させてしまうことなしに、しかしそこに潜在していたマイナーな要素に光を当て、さらに映像にそぐわない陽気で祝祭的な雰囲気を付け加えることで、いくつかの要素のあいだでゆらぐ鑑賞を促進していたのです。
付言すれば、多様な仕方での鑑賞を可能にする作品の方が、鑑賞の仕方が比較的明確に定まっている(=特定の鑑賞の仕方を鑑賞者に押し付けてくるところがある)作品より一般に優れているとする価値判断をわたし自身が採っているというわけではありません。たとえば、特定の政治的効果を鑑賞者へともたらすことを至上の目的として作られた芸術を評価しない、というわけではまったくないです。
とはいえ、島袋さんという作家(より慎重に言えば、島袋さんの本展に出品された作品群)に限って述べれば、その作品の大きな魅力が、鑑賞者へともたらすゆらぎにあることは確かであるように思われるのです。どう鑑賞すればいいのかよくわからないままに、さまざまな鑑賞様態のあいだを行き来していく経験にこそその独特の魅力があり、音楽がゆらぎを促進する方向で作用する≪ヘペンチスタのペレイラ・イ・ソンニャドールにタコの作品のリミックスをお願いした≫のような作品においてこそ、島袋さんの映像と音楽が出会うことの可能性が最大限に展開されていたように思われてならないのです。
註
註1
松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』、PARCO出版、2007年、52頁。本書は松井さんが企画した展覧会「マイクロポップの時代:夏への扉」のカタログです。松井さんは同展および「ウィンター・ガーデン 日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」で、「日常の断片を組み合わせたり、廃棄物や忘れられた場所に新たな使い道を与えたりすることで、独自の表現言語をつくり、世界の知覚を刷新し、新たなコミュニケーションと共生の場を開いていくための方法であり姿勢」(松井、前掲書、2頁)を採る1970~80年代生まれのアーティストをまとめて「マイクロポップ」という動向を打ち立て、そこに島袋さんを含めました。
註2
松井、前掲書、52-54頁, 88頁。
註3
Nato Thompson, ed., Living as Form: Socially Engaged Art from 1991-2011 (New York: The MIT Press, 2012), p.220.
註4
とはいえ、島袋さんの映像の特質を未規定性に見出す本稿の記述は、こうした作品の鑑賞経験から触発されたものでもあります(こうした作品を十全に説明するものでもある、とまでいうつもりはないですが)。特に小杉武久さんとコラボレーションした二作品についていえば、そこで提示される諸要素(小杉さんが(実験的な作品で知られるとはいえ)高名な音楽家であるという事実・奇妙なふるまいをする高齢の男性を見せる映像・小杉さんたちがいる能登の自然の美しさ・小杉さんが生じさせる、そこで録音されたとは思えないノイジーで人工的な音)はうまくかみ合わないものです。結果的に同作の鑑賞は、それらのあいだでさまようような経験となるのです。
註5
ここまでの情報は、ベルギーの現代美術館展WIELSで開催された島袋さんの個展「Instrumental」に際して作成されたパンフレットに基づくものです。また、
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