中山可穂さんについて

私が中山可穂さんの作品に出会ったのは、何年も前覚えていないぐらい昔。
生まれ育った街の本屋だった。
何年も前に閉店をしてしまったその本屋は色々な作品と出会った。山本文緒さんもだし、吉田修一さんも。
今ほど情報量も多いわけではなく小説コーナーでタイトルに惹かれて手に取る。面白いかはわからないけどあらすじを見て購入するか決める。
私の好きな作家さんとは殆どその本屋で出会い、私にとっては大好きな店だった。

猫背の王子。
表紙も痩せた女性がナイフを手にしている鋭い印象で、あらすじも普段なら手に取らないような内容だった。だけどタイトルと王寺ミチルと言う名前が心に惹かれた。
読んでみて私は夢中になった。
ミチルの魅力に夢中になった。そしてトオルがミチルを裏切ったことが許せなかった。
1冊読んだだけで私は中山可穂さんが大好きになった。
その後読んだ天使の骨の一文が未だに私を捉えて離さない。これほど美しい一文は二度と出会えない気がする。ミチルがトオルのことを思い浮かべる部分だ。
あんなに愛と憎しみとすべてが表現されている部分があるのだろうか。
今でも私は何度もこの一文を思い出す。そしてミチルのトオルへの感情を思い泣くのだ。

中山可穂の作品に出てくる人物を愛せない。
だけど中山可穂の作品を愛している。
中山可穂の作品を読むと涙がでてくる。

燦雨の最後で泣いた。
感情教育で泣いた。
卒塔小町で息が苦しくなり、何度泣いたかわからない。

私にとって中山可穂は涙なのだ。
それも嬉しくて泣くのでは泣く痛みを伴う涙なのだ。
愛よりも何よりも涙しかない。

年齢を重ね中山可穂さんもヒリヒリとした恋愛から徐々に離れられ宝塚シリーズを執筆され、歳を重ねた私もヒリヒリとした恋愛は求めなくなり同じように歩んでいる作家さんだと思っている。勝手な話だけど同士なのだ。
宝塚シリーズのあとがきで宝塚大劇場や東京宝塚劇場へ訪れて見てくださいと書いてあった。
私は先日宝塚大劇場を訪ねた。

そして私は中山さんが書いたように沼に落ちたのだ。
そのまま私の人生に中山可穂さんから受け取ったものが一つまた増えたのだ。

ありがとうございます。


中山可穂さんが今どうしていらっしゃるのか私は知る由もない。ただただ新作を待つ一人ですが、いつか奇跡が起きてこのノートを見ていただけたなら中山可穂さんと人生を過ごしてきたファンもいる事が伝わりますように。