二次創作 やろうとするも 三千里
前置き
黙っていても、いなくても。スマホを開けばチピチピチャパチャパ。定時あがりの弓川と申します。
23日から新しいノベルゲームを読む宣言をしたのに、現行でやってるノベルゲーが未だに読み終わりません。だのにそちらを進めることもせずに私はこうしてなにをやっているのでしょうか。明日明後日は予定があり、本格的に平日をオールインしないと22日に間に合わなさそうです。
それはさておいて雑談回です。本日の話題は「二次創作をすること」について。三千里ってなんやねん。
二次創作、お分かりでしょうか。説明しようとすると論争の火種になる気がしたので、平和を尊び無言の構えを通しておきます。知らん人はこんな記事を読む暇があったら自分でググったり人に聞いたりしてみてください。
さて。弓川は二次創作というものをとんと行いません。精々が「芸能人らが美味しいものとその辺のものを比べてAかBかで判定する年始の某番組の時期に、自分がやっているゲームのあのキャラならこういう感じで喋るだろうという内容を、某SNSにて140字程度で放流する」程度に留まります。
(※以下は一例)
つまり、その某プラットフォームでよく流れてくる、ゲームやアニメのキャラクターらがその書き手独自のタッチによって動き回る文字媒体や漫画……に準ずるものを、私は作ろうとしないのです。
これは何故だろう?という疑問を持ちました。ここから今日も歩き出してみましょう。
導入
別に……全くもってやりたくないというわけではないのです。二次創作。確かに「よし!やってみよう!!」というノリが滅多に起きないのはそうなのですが、人がそうやって書いているものを読むと「私も書いてみようかなあ」という気分には大なり小なりなるものです。
弓川はアークナイツというスマホゲームをライトにプレイしており、そのゲームにこの間「ポンシラス」というキャラクターが実装されました。でですね、弓川の奴がその子をやたらと気に入りまして。
普段からちゃんと遊べているゲームでもないのに、その場で持っていたゲーム内リソースをこれでもかと投入して、フルスペック☆ポンシラスを誕生させました。おかげで元々素材が足りなかったのに余計スッカラカンです。
ツラは……まあ、良い。ソーグッド。アトリエシリーズの不思議シリーズ(ソフィー・フィリス・リディスー)の絵師様が担当されているそうで、不思議シリーズのビジュアル面での評価の高さを考えれば納得の一言。
(※ソフィーのアトリエはアトリエシリーズのなかでもゲーム部分も中身も特に優れている一作ですので、皆さんぜひプレイしましょう)
キャラクターとして与えられた"属性"は「作中人物からも我々プレイヤーからもドン引きされるほど異様なまでに不幸に見舞われる謎体質だが、自分は不幸ではないと言い張ってその場その時に自分が出来ることをする逞しい少女」といったところ。
ただそういうのは、口は悪いですが「どうでもいい」のです。私は実際に彼女がどのように生きているかを短いながらに目にして、それをとても好ましいと思いました。気に入った理由はそれだけで充分です。
そういうわけで、そんなポンシラスについてSNSで検索したり攻略wikiのキャラページを巡回したりして「他の人はこの子のことをどう思っているんだろう」という情報を集める日々が私の中で始まりました。直近だとウマ娘のネオユニヴァースでそれをやりましたね。
そうやって数日経過した今日、こちらの二次創作を見つけました。
鯨と柊さんの『 "can only get better!" 』という小説です。ツイート(※ポスト)に書かれている通り、アークナイツの(こないだまでやっていた)イベントストーリーの後日譚を、ポンシラスを主軸として創作なさったものです。イベントについては先日私が感想?思想?記事を書いたヤツですね。
(補足:ポンシラスはこのストーリーが初出のキャラクター)
仮に私のこの記事が読まれているとして、アークナイツをまだプレイしていない方もいらっしゃるでしょう。上に紹介させていただきました作品については読めない場合もあると思われます。なので弓川が代わりに感想を言いましょうそうしましょう。
とても良い物語でした。イベントストーリーの後日譚としてちゃんとしていましたし、ポンシラスやセイロン周りの描写も違和感がありませんでした。「きっと彼女ならこうするはず(こうなるはず)」という部分も、ある程度以上に私と認識が一致しました。
作者様へはツイッター上でRTとふぁぼとフォローにて応答しましたが、そもそも私はこのように創作物への(純粋な)感想を書く事が非常に稀なので、それだけ良かったのだと自分の中では思っています。
まあまあマァマァ、そういう感じで良いものを読んだわけですから「私もこういうの、書いてみたくなるなあ」となるのは必然といえるでしょう。私は文字書きではなく文字読みですが、読んでいると自分も書きたくなるのは通念だと思っておりますゆえ。
で。じゃあ書くんですか?と言われたら、私はきっと書けないのです。平素より再三と書いている通り、私は文字書きではなくしがない一介の文字読みでしかないので。
どなたかが生み出した物語は本物だと分かっていても、私は私の書いた物を本物紛いとしか認識できていない……とかなんとか、そんなことを垂れている時点で私には書けないのです。
書いてから言え、という方もおられるかもしれませんが、書けない書けないと言いつつ実際のところ書いてはいます。二次創作ではないですが。TRPGのシナリオもいくつか作りましたし、昨年の秋には文フリに出店者として参加しまして、貴重な経験を積めました。
それでもやはり、私は私が二次創作をちゃんと作れるという自信がどうにも持てないのです。何故なのでしょう?
本題
どうしてこう本題までが長いんでしょうね?そういうところが良くないと時折内省しております弓川と申します。
なぜ弓川は二次創作をしようとしないのか。私が私に思う原因はハッキリしております。それは「"使っている"感が否めない」ためです。それが正しいかどうかはさておき、私にとってはここが根本的な原因だと認識しています。
どういうことでしょうか?分かりにくいとは思いますが、私自身は理解しやすいよう3つほど話題を用意してみました。
猫ミームを見た話
少し前からSNSや動画サイトで意味分からんくらい流行ってるものがあるでしょう。アレです、「猫ミーム」とか「猫マニ」とか呼ばれている、可愛い猫の切り抜き映像を使って日々のあったことを表現する短い動画のことを言っています。
アレ、最近はいわゆる政治や陰謀論界隈のプロパガンダに使われ始めたそうですね。有名税というものでしょうか。そしてそういった状況に対して、失望やコンテンツの終焉を嘆く雰囲気が強く感じられるようになりました。
私もどちらかというと冷笑する側に回っています。まあ……なにか伝えたいことがあるのでしょう。内容はともかく、その想い自体を私が嘲笑することはありません。しかしやり方を選ばないと、童話の中の愚かな王様のように見えてしまうというものです。
そしてその冷笑するような感情を、私は自分の二次創作物にも向けてしまいます。馬鹿なことを、くだらん真似を、人を見習え……といった具合に。
なにせ普段から「プレイレポート」などと宣って、創作物に触れたことでその場で私が思ったことを、元の創作物を放っておいて手あたり次第に書けるだけ書き出して、そしてまた読むという行為に戻る……ということをここ3年ほど繰り返し続けている人間です。
私は思うのです。私は、私の考えていることや思ったことを出力するために、誰かの作った大切な創作物を「利用」しているだけではないのかと。これは疑問です、私個人ではまだ否定も肯定も出来ません。
【人は他者を完全には理解し得ない】
2つ目。これは、私がこの世界に理として存在すると思い込んでいる考え方のひとつです。現実世界における対人関係は勿論のこと、創作物の中で生きるキャラクター達にも適用できる考え方です。
創作されたセカイの中で、彼ら彼女らはツラと属性を与えられて生を受けます。(そう、キャラクターという存在は真に「生きている」のです)
「描写」という作者の行為がありますが、これが彼ら彼女らのすべてということにはなりません。それは「彼ならここではこう生きるだろう」という瞬間の一つを切り取って、その場面に表示しているに過ぎないからです。
私が二次創作する話に戻りましょう。そのキャラクターがそのように生きるよう見た目や設定を吹き込んでカタチを設計したのは、少なくとも私ではなく元の作者様であることは間違いありません。
ただでさえ他者は理解できないものなのに、そうやって人様が作ったセカイやその中の登場人物を私が「使う」と、なにが起きるでしょう?
それは「解釈違い」です。私のソレを読んだ人がそう思うだけならまだ良いですが、性の悪いことに私が私自身の書いた物に「それ、”本当”か?そいつは本当にそうやって生きるのか?」となってしまうのです。
【汝、形ではなく魂を愛せ】
3つ目です。これも私が大事にしている標語のひとつです。
キャラクターを見た時、もちろん見た目も設定も大事です。しかしそれがキャラクターの「本質」の大半を占めているとは決して言い難いのも事実でしょう。これらはあくまで容れ物、つまり"形"です。
重要なのは、そのキャラクターがどのように考えてどのように行動しどのように生きるのか、という点です。これらの「どのように」を決めるものがすなわち”魂”であり、その人らしさであると私は言います。
私が二次創作をしようとする時、この”魂”を私がちゃんと把握できているかという確証が持てないのです。以下略以下略。
私がこれまで見てきたような二次創作を私が書けていると、私は思えない。そんな可能性は万に一つもありませんが、傍から見た時に「ちゃんとそのキャラクターが生きている」と評されたとしましょう。
それでも、私から見ればそれが"本物紛い"以上であるという確信が持てないのです。そして、そんなものを完成品としてお出しするのは元の創作物へ向けるべき敬意にあまりにも欠ける。だから「書けない」と言い張ります。
終わり
以上3点、私が何故か思っている「二次創作が出来ない」言い訳でした。ただそれでも……二次創作、やりたいんですよね。
私だって、私が好ましいと思った人間…キャラクター…たとえばポンシラスという存在の行く先が読みたい。でも、それをすることで私の中の大切なものに影響が出てしまうのではないかと勝手に恐れている。
単純であり、難儀なものです。そんなことを考えていると眠くなってきたので、ここで打ち切っておきます。明日の朝には「私は書ける」と思えるようになっていればいいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?