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寄せる老いと滅びへの予感

ついに4月になった。ようやく春がきたのかな。

先日自分の姿を客観的に眺める機会があったのだが、すっかり老け込んだ雰囲気になっていて驚いた。老いと疲れが全身から滲み出ていて、およそ晴れの舞台に立った人間らしくない。しょぼ。

この一年がそうさせたんだな、としみじみと感じ入っている。本当に苦しく大変な一年だった。

何が大変って・・・価値観が根底から合わない人と多くの時間を共有し、その人をとことん受容し、その人から「いちばん話を聴いてくれた」と言ってもらうまでには、ここまで心身をすり減らせる必要があったということ。

昔からこの人と接すると自己肯定感が下がるよなあって感じていたのだけど、そんな感情を抱かせる人に一年間寄り添い続けたのだ。

もっとも大切にすべき自分の価値観や尊厳はいったん脇に置いて。自分の存在を否定するようなもので、自殺行為に等しいことをしていたと思う。それなりに辛抱強い性格だと思っていたけど、ここまでくると異常かもしれない。

こんなのは健全な人間関係ではない。
自分の本音を隠して不誠実だとも思うが、残念ながらそうするしか方法がなかった。

精神に毒が入り込むのをあえて見過ごし、その毒を中和していくだけの精神の容量が必要だった。決して毒に侵食されず、感覚や感情を麻痺・鈍化させるのではなく、しっかりと感じとった上で、我を見失うことなく正常を保ち続ける、というのがこの一年の自分にとっての課題だったと思う。

もちろん得るものもあったのだろう。波長がまったく合わないエネルギーを浴び続けることの苦難は言葉では言い表せないものではあったけど、それに立ち向かう(あるいは受け流す)だけの精神力はついたのかもしれない。

年上の部下がいて扱いにくい、とかよくあるマネジメントの悩みがあるが、結局答えなどない。ただ「その人の能力をどう活かすか」という問いが在るだけ。

打算的だけど、そう問い続けることでしか打開策は見えてこないのかもしれない。

この一年の荒行の凄まじさで肉体の衰え、滅びへの予感をまざまざと感じた。人並みにビールが美味く感じるようになり(ノンアルだけど)、サ活で整うことも知った。

いよいよ人生の黄昏時か。心身は摩耗したけど、魂は少しでもレベルアップしたのだろうか。

後輩の足を引っ張るような人にだけはなりたくないな。

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