比較がいかに無意味な事か

過去の私、今の私、みんなに言いたい。比較がいかに無意味なことかを。

私の記事では、日本の社会で生きるために必要な競争で他人に打ち勝つためのすべき選択についてたくさん書いてきた。でも、それは結局は他人と比較して上回るため、人よりも幸せになるための話であって、その比較の渦に飲まれ続ければ、本当の幸せには気付かない。

とはいえ、楽をすれば良い。適当でいい。自己中心的になれとは言っていない。では、どう言う時に、比較が無意味だと言いたいのかというと、【自分が劣っている。】と感じた時だけでいい。だって、相手に勝ってるって時は楽しくない?気持ちいいよね。だから、それはそれで良いんだと思うんだ。でも、あの人よりお給料が低い、あの人より可愛くないとか、自分が劣っていると感じてしまい出した時は、本当にその感情が無意味であることに気づきコントロールしてほしい。

では、どうしたら比較しないで済むか。それは、判断基準を決めること。たとえば、何で私の方がお給料が低いの?と思った時、でも、私が生活に求める物は家族の健康であって、高い洋服や旅行をすることに重きを置いていない。だから、私の人生はこれで十分。そう思うといいの。

まるで言い聞かせてるみたい。本当は贅沢したいくせに。そう、また別の自分の声が聞こえた際は、変化の鐘が鳴ってる。お給料をあげるために、違う仕事を探したり、残業を増やしたり、なにか環境を変える努力が必要だ。でも、もし、自分の判断基準から考えたら十分と思えるのなら、上を見上げるのをやめよう。

私はたまに、何でこんなブスなんだろうと思う。でも、自分の判断基準は夫に好かれること。今こうして、大切にされている私は十分幸せだから、鏡を見てブスだなって思ったら、立ち止まって、そう考える。

過去を振り返ってきても、私は何度、人と比較して生きてきただろう。今思うと、そもそも思い出せない。つまり、その時、その時だけの差なんだ。時間が経つと自分が上回っていたり、下回ったり、人生は上がったり下がったりなんだ。だから、今思うと悩んでいた自分がもったいない。

自分が人より劣っていると思った時は、その判断基準は何か、それは永続的なことかを考えて悩むこと。こうやって、乗り越えて人生を前向きに変えていきたい。

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