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★『人間の建設』小林秀雄、岡潔
天才二人による知についての高度な異業種対談
評論家・小林秀雄と数学者・岡潔、日本の文系頭脳と理系頭脳の最高峰の二人による、知的刺激に満ちた対談集です。
![](https://assets.st-note.com/img/1702261970656-66942qnXuJ.jpg)
対談の内容は、二人の仕事である学問にとどまらず、教育、芸術、文化、文明、そして人間そのものの本質について、縦横無尽、どこまでも広く、深くとどまるところがありません。
典型的な文系人間の私には、数学に関して語られている部分は、さっぱりわかりませんでしたが…。
しかし、数学や自然科学の分野の学問も、単に理論の部分だけではなく、直観や情熱という人間の心や魂の部分が大きく関係していることが語られていて、理系の世界にも親しみがわいてきました^^
そして、文系であるはずの小林秀雄の言葉が、とても理論的、具体的であり、逆に、理系であるはずの岡潔の言葉が、感覚的、情緒的であるように思えました。
結局、文系、理系というのは、何を探究の対象にしているのか、という違いだけであって、それぞれ、目に見えにくい、人間が意識し難い精神の部分を明らかにしようとしている点では、学問というものの本質においては同じなのかもしれません。
対談の中で、お二人は様々な面において、学問についても、教育についても、文化・文明、についても、すべてが、現代は小さく、浅いものになりつつあることを危惧しておられるように思えました。
そしてその杞憂の根源は、狭い自己にとらわれた、現代人の精神の浅薄さにあるのだということを語っておられるように感じました。
学問というもの、あるいはそれとは別物であるように思われている芸術においても、狭い意味での自己から離れ、表面的に意識できる個性というものに
とどまらないことで、新たな発見に到達したり、新たな価値を表現できたりするのかもしれません。
現在の自分にとって、難しい部分に分け入り、対象そのものの性質や美しさと一体化するほど、そして自分の外にある部分に対する理解や感性を極めると、どこかの地点で、世界がクルリと反転して、ものの本質が少しでも理解でき、それを自分の言葉や技術で表現できる時が来る。
そういう困難さにじっくりと緻密に取り組み、本物の成果が出るのを待てるような、そんな時代ではなくなった、ということでしょうか。
単なるノスタルジィなのかもしれませんが、この対談集を読んで、学問や芸術、あるいはもっと身近な生活の中に息づいている文化というものに、本当に感動する力さえ、現代に生きる私は、失いつつあるのでは…という危惧をおぼえました。
頁にすれば、200頁にも満たない文庫ですが、示唆に満ちた言葉がギュッと詰まった、天才二人による対談集です。
一読、だけではなく、再読、再再読もおすすめしたい一冊です。
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