◆モノは本当に「物」だろうか…

こうやってパソコンを使っていて、こういうのも何だろうが、モノは本当に「物」なんだろうか…と最近思う。というもの、長年(2012年夏~)使っている愛用のノートパソコンの調子が劇悪なもので…^^;

もちろん、パソコンの調子が悪いのは、パソコンのせいではありません。はい、持ち主である私の使い方が乱暴なせいです(笑)そこには、私が分かっている原因もあれば、システムエンジニアさんにしか分からない高度な?原因もあるでしょう。しかし、パソコンは「物」なので、つきつめていけば、必ず明確な不調の原因というものは解明されることでしょう。

しかし!本当にそうだろうか?と最近思うのです。モノ(この場合、対義語は人間や動物、昆虫、植物などのように「生命」あるものです)は本当に、その存在すべてが確定しているのだろうか、と。

モノも、生命あるものと同じように、その物自体の性質としても、また、それと人との関係、他のモノのと関係性も、実はかなり流動的な性質をもつものではないかと…。分かっているはずのモノでも、まだまだ分からない部分があるのかもしれません。

私は理系はサッパリで、また特定の宗教を篤く信仰しているわけではないのですが、モノも突き詰めれば(原子のレベルか、それ以下)エネルギーそのものだという説もあるそうなので、私が個体として認識しているモノも、目に見えないレベルで、日々変容しているのかもしれません。そしてそのエネルギーは、関係をもった人間の期待(思い)通りに反応する、とまで言われているそうです。

こういうことを思ったのも、冒頭に書いたみたいに、パソコンの調子が、劇悪だと思ったら、瞬間、正常になったり…まるで、人間の晩年を見ているような感覚に陥ったわけでして…。不謹慎かもしれませんが、本体に入ったウイルスをやっつけようとしたり、ファイルゴミ屋敷を片付けようと苦闘したり、そのかかわりにおいて、あまりに人間的な対応をせまられ、なおかつ、その反応も、一瞬良くなったり、ああもうこれまでか、と思ったり、あまりに人間的なので…表題のように感じた次第なのでした。

モノと人間、AIの出現もそうだと思いますが、ますます境界性があいまいになってきたのかもしれません。


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