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★『霧のむこうに住みたい』須賀敦子

人生は物語。物語こそ、人生──かけがえのない時間の積み重ねを
言葉で紡ぎ出す。

この人の作品を、何故に読むのか…と聞かれたら、明快に答えることはできないけれど、新しい作品が読めなくなった今でも、時折無性に読みたくなる、私にとって、そんな作家が須賀敦子です。

『霧のむこうに住みたい』須賀敦子

須賀敦子は、1929年に兵庫で生まれ、日本の大学を卒業後、フランスのパリ大を経てイタリアに留学し、そこで後の夫と出会い、イタリアに魅せられ、長きに渡って当地に滞在しました。

イタリア、というと、かの塩野七海の著作が有名ですが、須賀敦子の作品は、同じようにイタリアに魅せられ、イタリアについて書かれたものであるにもかかわらず、より日本的な情緒や風景を読む人に思い起こさせるのは何故でしょうか。

それはこれまでの多くの日本人の作家が、西欧や諸外国に身をおいて、自らと異質な世界の価値観や精神性と対峙し、その相克のなかで悩み苦しみながら、日本人である自分のアイデンティティというものを否が応でも意識し、
時には再構築しなおさなくてはなければならなかった姿とは、大きく異なる心情であり、作風、といえるでしょう。

須賀敦子は、イタリアに在住し、かの地の人々と交わり、家族さえ持つに至っても、やはり、どこまでも日本人であり、かわらない自分の内的世界を、自らを否定することなく持ち続けた稀有な作家だと思います。

それどころか、イタリアに在住することで、須賀敦子はますます自分らしく、自身の本質を曲げることなく、心地よく生きることができたとさえ、その作品を読んで感じるのです。

もちろん、異文化の中で実際に暮らす毎日の中では、自分にしか分からない違和感や孤独感を抱くことはあったのでしょうが、それも含めて、自分らしく自然に生きることを十分に味わっているように思えるのです。


私が須賀敦子の作品を読んで心地よく思うのは、一つには、行ったことのない外国の風景や、そこで暮らす人々に対して、美しさと親しみを自然に感じる事ができることです。

特にイタリアが好きなわけではないのに、彼女の描くイタリアの街のこと、かの地に住む人々の生活、文化、精神性…それらの一つ一つが、人間の本質にある何か良いものにつながっている、という確信を、彼女の作品は抱かせてくれるのです。

そして、ああ、やっぱり、人間はいいなあ、人と人がどんな形であれ、少しの愛でも抱いて関われることは美しいなあ、という感情が自然に湧いてくることが、私が彼女の作品から離れられない要因だと思います。

物語こそ、人生。いえ、人生は物語。
そんな言葉が、須賀敦子の作品を読んで、ふと思い浮かびます。

一人の人の人生は、他の誰とも同じではなく、それが正当に語られる言葉を持てば、すべての人の人生が、須賀敦子が紡ぎだす言葉のように、かけがえのない時間の積み重ねであることが分かるのです。

なんだか、自分のささやかな生活さえ、大切なものであるように感じさせてくれる作品です。

フィクションではなく、ノンフィクション、というのも違う、そしてエッセイというほど軽い言葉でもない、須賀敦子の作品、としか呼びようのない世界を、ぜひ一度でも、味わっていただきたいと思います。

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