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タイムカード 打刻忘れ

仕事で外人さんと働いている。フィリピンの方々が多い。フィリピンにはたくさんの日本人が1900年くらいから移民したという。その子孫で日系3世と言われる人たちの日本での生活のお手伝いをしている。自分は派遣会社の営業の仕事をしている。当然たくさんのスタッフさんがいるので、いろいろなことが起こる。私生活の中でのことは、あまり介入しないことにしているが、職場の問題点にはどうしても正面から解決に向かわなくてはいけない。

そこで今日はタイムカードの打刻忘れだ。タイムカードは、仕事をしたことの証明、お金そのものだから忘れてはいかん、というのに、それが忘れてくれてしまう。もし忘れてしまった場合には打刻忘れの申請書があり職場の長の署名が必要になる。
職長さんにも、いろいろな人があり打刻忘れに対しておおらかな人もいれば、非常にこだわる人もいる。今日のはこだわる人の職場なので非常につらい。打刻忘れはすでに先週木曜日夜勤勤務の退勤で発生しており、週末からキツイこと言われるのだろうなと少し寂しく過ごした。

ということで、先程申請してきた。
お前のところのスタッフだけだ打刻忘れ
打刻忘れのような大事なことを忘れるのは、普段の仕事も工程飛ばしまくってんじゃない?仕事の信用ができん。
急いでいたとか理由にならん、急いでいてもやることはやるだろ。
打刻忘れを繰り返さないような対策はないのか?給料をはらわないとか。
いつになったら、直るのか?この繰り返し何年も続いてるぞ。
などなど。

実際に、なんで忘れるのかはわからない。打刻は、ほんとに重要なことだとわかっていないのだろう。人種的なものだろうか?フィリピンの人は、本当におおらかな気持ちの人が多い、たとえば、よくないことが生じても「しょうがない walang magagawa」とすっきりと終わったことにすることができる。自分の場合だと、あの時、あそこへ行かなければ、あれをしなければ、たられば!人のせい、後悔のかたまりになってしまう、、、みならわなければ。
例えば、蔵開きなどで酒を飲んでいて、非常に奮発した300円くらいの酒を一口啜る前にこぼしてしまったとする。自分は、もう悲しみ、怒り、何かのせいにしたいということが止められない。しかし、フィリピンの方は一言「地面もさけを飲みたかったんだね」と起こってしまったことを肯定する。

その通りだ、クヨクヨしても変わらないなら、すっきり諦めなくてはね。
とにかく申請完了。ヨシとするか。

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