見出し画像

ジェニーカオリの7年間とこれから

Profile:Jenny Kaori

2013年から東京を拠点に活動。国内アパレルのスタイリスト、アパレルの企画・デザイナーを経てフリーイラストレーターとして独立。「女の子の内面に宿るかっこよさ」をコンセプトに印象的なデフォルメーションとビビッドな色合いを用いた。ファッショナブルに特化したガールズイラストレーションを展開中。

違う観点のピンクを世の中に提示したい

ーーjennyさんは以前「かっこいいピンクを描きたい」と仰っていましたね。ピンクは世間一般に可愛いものという認識ですが、なぜかっこよさなのか理由をお聞かせください。    

jenny そうですね。ピンクの世間一般的な印象が、愛情や恩恵だったりと柔らかくてそよ風のような心地良い安心感のイメージとして世間に広まっている。ピンク自体は好きなんですけど、その一面的なピンクが画一的な女性のイメージとも結びついているから、嫌なんです。女性でもかっこいい女性もいるし、クソみたいな女性もいる。それら全てを、既成概念的なピンク一色のイメージでひとまとめされている違和感があるんです。私は、攻撃的や生意気な女性が性的なツボで、そうゆう人達の自由奔放さっていうのを表現したいときに、ピンクは使うけども、違う観点からのピンクを世の中に提示したいのでかっこい いピンクを印象として与えられるような意識をして使っています。

ーー女性ひとりひとりの個性があって、尊重することが大切だと主張しているんですね。

jenny そうです。いわば差別的な総称でアフリカン・アメリカンの事をブラックていうじゃないですか。それとピンクっていうのがピンク=女性でしょみたいな風潮があるなと。いわばブラックの日本版だなっていうのを思って。女ならピンクが好きなんでしょ、ピンク使えばかわいいんでしょっていうパブリックイメージを覆したい。っていう意味では、お前らが思っているのは可愛い=ピンクかもしれないけど、私はこういうピンクっていう返し方をするぜって。

ーーかっこいいピンクは、女性軽視社会への、問題提起だったのですね。ピンクに限らず、良さっていうのは見方を変えると、沢山あることに気づきますよね。

jenny そうなんです。ただピンクが好きな女性が多いのは事実で。だからこそ、ピンクっていうもののメッセージ性にこだわりたいんです。多様性を安直的に考えて、いろんな色を使う事は別にいんですけど、それだけじゃアテンションにならないっていうか。品のないピンクや、はっちゃけたピンクなどの社会からは求められていないピンクを使って発信することで一人ひとりの個性を認め合い、尊重し合える社会になってほしいと思います。

ーー自分のイラストに満足していること、不満なことを教えてください 。

jenny 女の子をこう描いたら可愛いっていう文法は、jennyの中で完成されていること。それがjennyだけでなく、応援してくれている人がいる事実が、その立証になっていると思う。なんか良い方程式を作れたっていうのはすごい満足しています。不満なことは、作品の中にある意図を糖衣で包みすぎていること。見てほしいものの伝え方をうまくコントロールした方がいいのかなって最近思っています。

ーーあえて表に出さず、隠すことで読者に気付いてもらいたい。そこの意図を隠す程度を、気づかないくらい難しくしてしまうのですね。

jenny 結局こう見て欲しいっていう願掛けを自分なりにして出した作品が、かわいい。と 言われて終わっている事があって。実はその先にある皮肉や渇きを読み解いて欲しかったのになって。それは自分の描き方にも問題があって、皮肉的なものを、甘いもので包んで 出すっていうやり方はいいんだけど、その甘さを甘くし過ぎているかなと思います。 自分たちの予想しえうる、想定内の多様性。LGBT支援とかダイバーシティー的な考え方や互いを尊重して、社会を良くしていこうって思っている人たちがいますよね。私はそんな人たちが、一体どのくらい、多様性というものに対して覚悟と受容と予測があるのか? すごくいつも疑ってしまう。 自分たちが予想できる範疇の多様性は理解もでき、受容できるけど、・・それ以外のおそ らく排他されるであろう 見たことも無いような価値観の中で生きている女性や、人たちが現れた時、その時にでも本当に、言葉通りに尊重とか、多様性って言葉を真向直で言える のか?そんな疑いをもってしまう。 自分は、おそらく世間的に排他されてしまいがちな女性。自分奔放がいきすぎて、自分優 位に生き過ぎている女性が好き。自分にもそうゆう所がある。そんな女性を今まで描いているし、これからももっと描くんだろうけど、いままでは、糖衣に包みすぎた気がしま す。 だから、今年はどうするか考えた時に、伝えたいことに本気で向き合って、パワーアップ する時期だっていうのはすごく感じる。


『キャリアに胡座はかきたくない』

ーーjenny kaoriとしての7年間の活動を振り返って今、何を思いますか。

jenny 一年前とかは全てのことを自分でやっていたんですけど、これからはとにかく制作することに徹しないとjennyはいけないんだって悟りを開いた。

ーーどうしてですか?

jenny ぶっちゃけジェニーだったら、7年間積んだキャリアがある。今の現状に落ち着 き、胡座をかくか、丸く削るか、それかもっと上を目指すか。今年は、これからどうなっ ていくか。自分がどうしたいかの正念場の段階だと思っているんです。今年の1月くらい に、「そもそも自分の作りたいものってなんだっけ?」と自分に問うきっかけが多くあり ました。そして、「そうだった、そういや私はこうゆう事が描きたいんだった。」と目覚めた瞬間があって、その時に私は今は制作において自分の人生や美学をも上乗せして本気 で作品を描く!という覚悟の気持ちに切れた時に、・・やっぱりその自分のキャリアに対 して胡座をかいて「そこそこ」と活動するのはピンとこなかったし、なんなら自分が一番 やりたくない事なのかな・・と思いました。 今あらゆる時間を制作にコミットするには、絵以外の時間、例えば読書の時間も全部削
る。でもインプットは大事だしな、と思ったところ・・私は本からインプットするのが一 番好きなので、色々悩んだ結果、読書代行なんかもやってもらっています。

ーー読書代行とは、jennyさんの代わりに本を読んでくれる人を募集し、読んでもらい、その本のレポートをjennyさんが貰うんですよね。効率化をしてできた時間を絵に当てるというわけですか?

jenny それもだけど、今までにないアプローチでインプットしたいってのもある。自分の 制作意欲、自分の中にずっと秘めていた 絵を通してみんなに、見たこともないけど魅力的で面白いものを見せたい気持ちが年々強くなってきてて。 でも仕事は仕事の比重が年々重くなってくるから、今は自分の中で互いに足の引っ張り合 いみたいのが出てきちゃっています。 新しい世界をまた一から作りたい自分と、一つの世界を築きあげたイラストレーターとし ての周りからの認知や期待。そことのせめぎ合いと今は戦っています。


フリーは意外と時間がない。だから読書代行を始めた

ーーjennyさん含め、フリーのイラストレーターに対してどのような感想を持ちますか。

jenny 常に時間がないですね。

ーーそうなんですね。世間のイメージからすると一日中絵に時間を当てられるわけだから、逆に時間があるものだと思っていました。

jenny  タイムマネジメントが上手な人は、上手くできるんですけど、私1回この作業好きだってなっちゃうとそればっかやっちゃって。今さっきも出ましたけど、読書代行っていうのをやっていて読書してもらっている。

jenny 読みたい本もそんなパパッと読める本じゃなくて少し無骨で噛み砕くのに時間がか かる本が好きなんです。今は社会学とか、人類文化学や経済学、古典など、そんな堅いものじゃないですけど、結局その著者の考え方の面白さを辿っていくと、源泉となったものも読みたいなって思い始めてしまって。そういうちょっと読んで時間がかかる内容を読んで楽しいと思う人をtwitterで募集したら意外とDMが来て、実際にお会いして会話して、 私の絵に対するアドバイスとかも頂きつつ、そこで初めて本を渡して読んで来てもらう。

ーーあっ、そこで初めて本を渡すんですか?

jenny そうなんです。読んで、レポートを書いてもらって、それを私が受け取る。それで私は本を読まなくてもレポートを読めば何が書いてあったのかがわかるし、押し付けがましさはあるけれど、その人に面白い本を読む機会を与えられる。ってことは一人で本を読むよりも。面白いことが結構あるんじゃないかなって。結構楽しんでいます。


身近にいる怒ってくれる人はすごい大事

ーーjennyさんが、7年間の活動してきた中で、
これは大切だなと思ったことはありますか。

jenny 身近に怒ってくれる人がいるのはすごい大事だってこと。結構気をつけていることなんですけど、自分にちょっとキャリアが付いてくると、作家性があるとか、一線でやっているイラストレーターだとかって、おごりができてきちゃうから。

ーー確かに大人になると、子どもの時みたいに自分のことを思って、叱ってくれる人は少ないですよね。

jenny 前に私が凄い尊敬している作家さんのアシスタントに二日間くらい行ったんです。 そこで自分の活動基軸でないことだったんですけど、「そんな姿勢で良いのか」と怒られたことがありました。「あー私、この人に怒られてなかったらジェニーは調子乗ってた わ」と痛感しました。怒られている時は嫌でしたけど、でも今考えるとあの時に怒られて 嬉しかったな。有り難かったと思います。

ーー思ってもみなかったことを指摘された時って、ハッとさせられますよね。普段怒られることは滅多にないんでしょうか。

jenny 7年間ジェニーカオリで活動している中、多分その時初めて怒られたと思う。周り には私に対して期待をかけてくれてる方や先輩・友人・同業者との接点がたくさんありますが、期待はかけてもらってるけど、怒られることや、指摘されるっていうのは全く無くて。そうゆう自分では気づけない愚かさ事こそ、これからも怒られないなら自分で気づいていけないとなとも思います。


亡くなった兄のためにも

ーー jennyさんの原動力はどこから湧き出ますか。

Jenny 私には兄がいたんですけど、自分の生まれる前に亡くなってしまったんです。私 は、兄が亡くなったから自分が生まれたと思っていて。兄が生きていたら、自分は生まれ ていなかった。っていう思いが、自分の人生のベースにあって。生まれていないっていう ことは、もしかしたら、一人の、絵を描くのが好きな女性っていう私の今の人生そのものが存在しなかったと思うんです。と思った時に、今この人生を限りなく、もしかしたら生きれるはずだった兄と共に生きるとするならば、どのくらい限界までこの世を楽しめば自分は気が済むんだろう?って気持ちが仕事でも、プライベートでも常に隣り合わせで生きています。その気持ちが私の原動力かな。 今のご時世、賛否が分かれるのは覚悟の上で言いますが、私は男性の世界への憧れが強い んですよ。仕事等する上で何が自分の中のモチベーションになるかって言ったら、男性の 世界から認められる事なんです。その中で男性の世界の住人に認められることが、自分へ 架せた人生の救いになるっていうか。兄の分まで楽しんで生きてるんじゃないかってその 時に思うんです。だから、女性に可愛いって言われるのは本当に嬉しいんですけど、男性 から絵を見てくれた時に「ジェニーさんの絵かっこいい、面白い」言われた時は何処か特別な気がして。兄の分まで生きてんなーって気持ちになるんです。勝手に。

ーーjennyさんにとってイラストを描くことは、亡くなったお兄さんの分まで生きることに繋がるんですね。jennyさんはお兄さんの分まで、イラストを通して、今何を伝えたいですか。

Jenny 少しでも今の自分よりも自分らしく生きていきたい、自分勝手な生き方をしたいけ ど、社会的なこうあるべき、という啓蒙や抑制もわかってるからこそ身動きがとれない、そうゆう女性を後押しや、トリガーになりたい。
私はハードボイルド作品が好きなのですが、いつも話の中で女性は、話の中心軸に混ざっ ていない、あくまでも作中の`花`的なポジション。守られて救いを待つか、ロマンを追う男を追う役割という事が、凄く悔しくて。 男ばっかりかっこよくてずりいな?女の私にもハードボイルドさせてくれよ!!みたいな 気持ちがいつも燻っている。
社会的に求められていない、理想にもされていない不要とされた女性像ってあると思うん ですけど。例えばですが 女性というものは、後ろに花を背負っていて、いい匂いがして、 髪の毛巻いてて、唇が赤いってことだけが、魅力の全ての要素じゃないと。誰からも求め られていない女性像を魅力的だと言いながら描いて、「ああ、こんな女性像を良いって思 って描いている人がいるなら・・もっと私も思うがままに生きてみようかな!」っていう のを、これからも自分の描く世界から感じ取ってもらえたら嬉しいかな。かっこいい女性 が描きたいです。

ーーみんな全然違った性格や個性を持っている。女性の個性を一括りにせず、尊重してほしい。こうでなければいけないっていう考えは、元を正すと案外おかしいことがありますよね。

Jenny 男女平等に関しては私だってもちろん賛成なんですけど、体質の差とか、ガッツと いうか、精神の性質というか・・互いが変えようのない位置にいるっていう次元の現実を、よく知ったら、一緒くたにはできないと思うんです。 例えば社会的地位の側面に関してですが。男性はその次元に居て良くて。男女平等を考え て、女性には我々はこう(調整をして)迎合しよう!っていう回路をもし作ろうとしているのであるなら、もう全部置いておいてほしい。私が這い上がってもそこまで行くから、来 たその時は、もうその時に黙って手を差し伸べて私を向かい入れてくれよ!と思ってます。どの側面の部分の男女平等を問うのか、それは主題によりけりですが、その男女の次元を行き交うガッツがある人がいるとしたら、その次元に到達した時には、黙って受け入れて ほしい。歪んでますね多分。

ーーjennyさんの性別観は、性別の持つ元々のポテンシャルを認めた上で、個人同士尊重しあって生きてゆこうという考えですね。私はそれに賛成です。たとえ失敗したとしても、その失敗を補い合って助け合ってゆきたいですね。

Jenny そうです。男性が子供を産みたいって言ってもそれはできないですし、女性の痛みを解らせてやれとネガティブな共有を強いてるのも違う。女性が子供を産みながら週5でバリバリ働いて、重い荷物でも自分で持つんだよなあ?みたいなのを、今やろうとしている ならば、それはおかしいと思う。元々のもつ次元性が違うから、それを一緒くたに安直にしてはダメだっていうのが私の意見です。今まで通り重いものは男性が持つべきだし、男 女関係なく、困っている人を助けようっていうのは・・なんていうか言うのもヤボみたいな当たり前のことで、そこに男とか女とかを代入しないほうがいいと思います。あらゆる 対人関係・場所・状況において、紳士淑女で色気あれ!とだけ思います。

ーーその思いの上で、jennyさんはイラストを通して、何を発信してゆきたいのでしょうか。

Jenny 私は、表面的で整頓されてるように見える、男女共同的な社会への啓蒙を常に疑って生きています。
それとは別に、女性に宿る多面性、ギャップの奥ゆかしさこそが、女性、ひいては人間が持つことのできる美しい部分だと思っている。仮に優しい女性がいて、時にその人の中に優しさとはかけ離れた残忍性を秘めていても、否定しない。丸呑みに尊重したいと想って描いているんだろうなと思います。
だから私が絵や作品の中で表現していきたい事というのは、人間の中に秘めた多面を全てを肯定すること。
画一的に「女性だからこうしなきゃいけない」とか、「女性だから可愛いくいなければいけない(価値がない)」「残酷なことやいじわるな事は考えてはいけない」という空気に包括されている現代に蔓延るたった一面の見栄えや体裁に拘った整頓的な抑圧からの解放という事です。アイロニーな、女性の剥き出しな醜ささえもそれが人間的な美しさだという美学を持って、それを全面的に肯定したメッセージを描いていきたい。


ハートを作った人は偉大だなぁ

ーー結局のところ、jennyさんが思う可愛いっていうのは、言葉にするとどういうものですか。

jenny 難しいなー。でも自分の中の救いだとは思っていて、救済みたいな。でも女性が生きてて生活していて、しんどいみたいな社会背景があるじゃないですか。それは貧困だったり、男女差別もそうだし、働き方学び方交友関係とかそういうあらゆるしんどさに埋もれて生きている。そのなかで一番の救済はなんだろうなて考えた時に、「可愛い」っていうことがいろんな人を救っている気がしてて。見た時に一瞬んでも明るくさせられるような尊さはあると思うんですよ。それは他のもので変えることのできない、可愛いということが持ち備えている能力だと思うんです。普通に可愛いものはいいですよね。さっきまで悩んでいたけどどうでもいいや。みたいな気軽さというか、心のなかの救いみたいなところはすごくあると思います。ハートという形を作った人は偉大だと思うんです。どんな国どんな場所にいても、あのハートを見るだけでなんかホッとしますもん。一目見ただけで安心する偉大さみたいなものは、可愛いっていう感情の他に代用が効かないと思います。かっこいいとかも良いんですけど、私は多分女性だからなのか可愛いに執着しちゃう。でも可愛いを全面的に出してやろうっていうのはあんまりないですね。「かっこいい可愛さ」のような、可愛いのみんなが知らない顔を見せたい。

ーー確かに可愛いは他にはない、特別な作用があって、かっこいい可愛さ、甘い可愛さなど、多彩ですよね。それが人間にとってとても救いになっていますよね。

jenny 前の職業柄、アパレル関係の仕事をしていたこともあって、女の子を可愛くするとか、ヘアメイクとかフォトグラファーなどの、より女の子を可愛く見せる、仕上げることで周りも自分も明るくなる。っていう環境がすごく好き。多分それが地盤にもあるかもしれないです。心穏やかになる。そういう作用がね。

ーージェニーさんの可愛いを一言で総括すると?

jenny 救済かな。


「女の子の内面に宿るかっこよさ」を描くことで、女性ひとりひとりの個性を尊重して欲しい。そんな思いが伝わってきた。
人それぞれ性格も好みも笑い方も違う。個性や性別に優劣つける必要はないなんてことは、みんなわかってるでしょ。だからこそ手を取り合って、みんな仲良くしたい。

取材=こや しんのすけ
文=オオクボ ミドリ、こや しんのすけ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?