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画家“ようかい”にインタビュー

ようかい(なかそう)

基本的には水彩やアクリルを好んで使い、人とも妖怪とも取れる異形の者を描くことが多い。時にはパステル、クレヨン、ポスターカラー、墨汁、色鉛筆…支持体も紙、キャンバス、ケント紙、壁紙、ベニア板、床板など、いろいろ使い感情を殴り付ける。至って普通のつまらない生き物


違うものを作り続けてゆきたい

ーー自分の絵に対しての、満足と不満を教えてください

ようかい 満足していることはね、色や形とかは自分でも、自分だけの表現として出来ているかなと思う。フランシスベーコンのような、物体の形を自分なりに変形たり、色の混ぜ方など、自分のスタイルを理解した上で表現出来ているところは満足している。基本的に原色の緑青紫赤しか使わないからそんなに混ぜない上で、結構収まりがいい感じに出来上がっているなあって思っている。

ーー単色を混ぜずに塗り重ねる理由はなぜでしょうか?

ようかい 全体的に見たときの組み合わせ方。両方激しい色だったり、うまく合わさっていないと不協和音になる。そこが丁度上手いこと合わさっているかなって。

ーー色同士が邪魔していんですね

ようかい 不満は自分の絵がパターン化していること。毎回似たような色を使うから、見た人によっては同じ絵をに描いているように見えるって言われる。まだそうやって固めちゃうのは早いと自分でも思う。最近パターン化してきた理由として、頭の中だけで完結しちゃって、具象的な物を描かなくなったからだと思う。本来そこにあるものっていうか。

ーー結果的にパターン化はしていいと思いますか?

ようかい あんまり。見てる側は面白くないじゃん。もしそれを買うってなったら似たようなものの方が前の作品と似ているから、喜ぶ人は多いと思うんだけど、私がやりたいのは、装飾デザイナーみたいなことじゃないから。全然違うものを見せていきたい。でも今の状態の作品がいいって言ってくれる人が多いから、捨てきれないっていうのが現実。でも、とりあえず今は絵を描くしかないから。


無表情に描くことで、見る側が自由になる

ーー絵を通して、何を表現したいと思っているか教えていただけますか

ようかい 生き物の感情を、内面の部分を描きたい。様々な感情を、アプローチの方向を変えてみたりして、見てくれた人に、1枚でも気に入ってくれる絵が出来ればいいなと思っています。

ーー前、お伺いしたのですが、出来るだけ見た人が考えさせられるようなアプローチで絵を描きたいとおっしゃっていましたね。これからも考えを委ねるスタイルで活動をしてゆくのでしょうか

ようかい 最近そこの考え方が変わってきています。今までは、無表情に生き物を描くことでいろんな見え方が出来ると考えていた。でもこれからは、ある程度コンセプトを固めてから、作品に取り掛かろうと思っています。

ーーなぜ無表情に描くといろんな見え方ができるのでしょうか?

ようかい 無表情っていうのは、そこにいろんな感情を結びつけることができる。例えば悲しい時や怒っている時、そのまま表情に出ず、無表情な場合もある。以前、一枚の絵で悲しそうだねっていう人もいたけど、怒っているの?っていう人もいた。無表情っていうのは見る人側が自由なのかなって。笑っている人は楽しそうに見えがちだけど、実は内側で悔しがっているみたいな本当の感情を、人は表情に左右されやすいから汲み取ってくれにくいと思う。そう考えると無表情は見る側が想像を当てはめやすいのかなって思う。

ーーようかいは、無表情に描いたりすることで見る側に想像を委ねていた。これからはコンセプトを固めるなど、絵の見せ方を変えようと思ったのはなぜですか?

ようかい 人に指摘してもらってからです。人に「君は絵はモチーフが面白いから、売れる可能性は十分にある。自分の意思表現は作品の中でしているんだけど、コンセプト自体は無く、見た人に想像することを任せっきりで自分の想いを伝えれてない。妖怪の表現方法が、相手を楽しませるだけで、対話をしていない。自分の好きなものを描いて、それを好きな人が付いてきてくれるみたいなこと。でも美術史とかになってくると話が違ってくる。そこを目指しているわけではないんでしょ?」って言われた。

ーー指摘されてどう思いましたか

ようかい 納得した。人のいろんな内側を描きたいっていう表現目的は決まっていて、これからもやってゆきたい。感情は、全部が全部暗い色ではないのは事実だし、それを今まで通り無表情で表現するのは、提示方法として難しいから、今までの通りの想像を完全に委ねるやり方は難しいかなって。6月の展示ではコンセプトを決めようって思っています。


シンプルについて


ーーようかいの絵は、線や色などが複雑な印象を受けます。反対にシンプルなものは、理解しやすいし絵に入りやすいと思います。なぜ複雑に描いているのか、理由をお聞かせください

ようかい それはそうごもっともだけど難しい所なんだよね。自分もドローイングを描く時、シンプルな形で出すのは好きなの。形を一発で決めることは、考えなきゃいけないことが1つだから分かりやすい。でも、それ以上の考えようが無くなっちゃうんじゃないかなって思う。絵は本に似ていると思っていて。例えば、シンプルなものは、A4用紙に箇条書きで重要なことがまとめて書いてあるから、読んだ人は理解しやすい。絵画は一冊の本で、読見終わるまでに時間が必要だけど、広く書いてあるからより深いところまで理解できる。そんなように僕の描き方は複雑で一冊の本だけど、その分次の作品に繋がるし、作品を見たときの幅が広いのかなって思ってる。

ーーようかいが求めているのは、見る人が絵を見て想像する。考える。その過程ってことですね。

ようかい 基本的に絵を描く人はそういうものを考えていると思う。要はシンプルなものってなると、伝えたいものを伝えるのが仕事なわけで。でもそれを言えないというか、言わないで、それを伝えるときに、どんな人が見ても考えを持てるっていうのが絵や音楽になってくるんじゃないかな。

ーー自分の表現したいものは、線一本とか一直線では完成しない?

ようかい 完成しない。でもそれで完成できる人はそれで良いとお思う。これいいなって思わせるのは画家の力量であって。抽象絵画の人で、ただただ丸を描いている人とか。なのに作品が良いのは、その人の力量なんだよね。描いた絵を画廊に持って行く、展示して見せているその熱量ががすごいと思う。二度と描けないもの。自分の場合、シンプルな作品だと、浅く薄いものになっちゃう。今の自分にあった方法は、複雑さの中での表現なのかなって思う。考え方が定まってなく、自分の中でも探り探りだから、複雑化している傾向はある。


なぜ感情を描きたいのか

ーー以前お聞きした時におっしゃっていた「感情とは、今現在まで様々な環境で、色々なことがあった上で現在眼前にある物事から受け取る自分の気持ち。であって、自身の性格のみに左右されるだけではない。今までの蓄積された時間が大いに影響している」とおっしゃっていましたね。

ようかい ピカソの有名な話で、ピカソは30秒で描いた絵を100万ドルで売りつけ、この絵は年齢と30秒掛かったと言っていたこと言っていたようなもの。喜怒哀楽という言葉があるように、大まかに感情は分類されているけど、もっと複雑で捉えにくいものだとだと思う。それをキャンバスの中で表現し、人に見せる。見る人は、自分の過去を通して作品を遠くから俯瞰して見るようなことで。もちろんそれはこれからどんどんいろんなことが起こっていろんなものが出来上がると思うけど、完全に自分の市場で作品ができるんだと思う。

ーーだから見る側に、想像を委ねるっていうのがしっくりきているのかな?ようかいの感情をただ提示するんでは、ようかいからの視点からな訳だから、共感はあまり見込めないかもしれないよね

ようかい そうかも。私の価値観は、あまり共感はしてもらえない。でも絵を通すことで、私もこういうことがあったわって言ってもらえたことがあった。それが感情をモチーフにした、自分の描く絵の存在意義かなって思っていて。絵を見てくれた人自身、忘れてしまった感情、気づいていない感情に出会えるきっかけになった時は、言葉にできない気持ちになる。


ようかいは、自分の“思い”をしっかりと持つ方だと感じた。現代はインターネットの普及により、検索をすればあらかた情報を得る事ができるから、疑問や知らないことを、長い間持ち歩かなくて済む。そんな現代は、便利で考え込まなくても済む反面、その物事を考えるきっかけも少なくなっていると思う。そんな今だからこそ、考えて、自分の思いを持つことが大切なのかもしれない。


取材・文=こや しんのすけ

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