見出し画像

作家と編集者の関係

結構前に読んだ漫画で、作家(漫画家)が担当編集者に対して抱く怨念を妄想の中で爆発させるシーンがあった。

「どうせお前らは俺の作品が売れようが売れまいが毎月決まった給料貰って会社に一生守られながらフリーランスの俺たちのこと無職予備軍とか心の中では蔑んでバカにしてんだろぉぉ!!!」

みたいなことを心の中で思ってるけど実際にそんなこと口にしたら有無を言わさず切られて明日から予備軍どころか完全な無職だからそんなこと言えるわけないと思って、ぺこぺこしながら編集者の適当に思いつきで言ってるとしか思えない修正内容を泣く泣く飲み込み持ち帰るというキレイゴトでは決して描かれない作家の悲哀が描かれていて、めちゃくちゃ面白かったのにその漫画を失くしてしまった私は愚か者でありやんす。

これ読んだ時、確かになぁ、と思ったのよく覚えてる。
どの業界でもそうだと思うけど、大手企業の社員への待遇って半端じゃない。
出版は斜陽産業と言われて久しいけれど、私の知る限り、大手で働く社員たちはそんなのどこ吹く風といったご様子。
編集者は朝9時に出社して17時に退社するなんて生活ではまるでないから、出社は何時にしてもオッケーだし、直行直帰上等、コロナ禍以前からやることやってれば会社に来る必要性なし、逆に校了前とかは徹夜して会社泊まるのも良しっていう何でもありなスタイルゆえに、情熱持ってちゃんと仕事してる人と、給料泥棒ですけど何か?みたいな顔してる人でハッキリ分かれてる。

新人作家に前者のタイプの編集者がつけば、一緒に良い作品作りに向けて切磋琢磨してくれるから、作家自身の成長にもつながるし、本が売れる可能性も上がる(まぁこればかりは、話題性だったりでクソ面白くもねー作品が売れて、傑作だけど売り方がイマイチでなかなか日の目を見ないって場合もあるから、努力すれば必ず売れるってわけじゃないのがなかなか厳しい現実なんだけれど)。
逆に、後者のタイプの編集者が担当になった場合は最悪で、作品に思い入れもないし、本人はなるべく仕事したくないと思ってるから、毎回アドバイスも適当で、生真面目な作家ほど翻弄されてボロボロになって日の目を見ずに描けなくなった人も実際沢山いると思う。
だけど、運も実力のうちって言葉もあるから、表現の世界で生きていくとか、好きなことで生きていく人には、それなりに運も必要ってことなんだろう。

作家と編集者の相性によるところもあるだろうし、フリーランスの作家は不安定であることと引き換えに自由を手に入れていることは確かで、サラリーマンである編集者は安定と引き換えに働く部署を好きに選べないという不自由さを抱えてる。編集者志望で入ったのに営業や人事に配置されるとか、一体何のために苦労してこの会社に入ったんだろうとか悶々とした気持ちを抱えながらも生活のためと割り切って毎日出社してる人も沢山いるだろう。
THEサラリーマンの悲哀。

どっちの方がいいんだろうか。
それも結局、自分がどう生きたいかってことに尽きるんだろうけれど。

最近色んな人のnoteを読むようになって、世の中には、こんなにも「本を出版したい」「どうにかして世に出たい」「何者かになりたい」と思っている人が多く存在することに驚いた。
現代はnoteも含め、YouTube、Twitter、Instagramなどなど、自分を簡単に発信できるツールが普及したから、余計そういう気持ちを抱く人も増えたのかもしれない。

その中の多くの人が、そういったうちに秘めた欲望を抱きながら、日々、したくない仕事に行くために満員電車に揺られたりしているんだなぁと思ったら、頭の中で「生ーきてーる生きているー♪」でお馴染みのあの曲がリフレインして、貪欲に生きるのも、無欲に生きるのも、どちらも人間だよなぁ、と、謎に悟りの境地を開きそうになったから思考を中断した。

みんな幸せになれたらいいのにねぇ。
これこそキレイゴトか?
そうこうしてる間にも、格差社会は進行するばかりでござーます。

「秩序のない現代にドロップキック♪」
どうでもいいけど脳内で無意識に流れ出す曲がいつも古いんだよな(アラフォー女のたわいもない悩み)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?