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愛の逃避行。

みなさん「愛とは、んぞや?」と一度は哲学してみたことがると思う。私も愛の伝道者として日々「愛」について悩んでいる。そんな私が今までに出会った愛のひとかけらを紹介してみよう。

と言う訳で今日は絹江(仮名)さんの話でもしてみよう。


絹江さんは仮面様顔貌(表情がなくいつも同じ顔をしている症状)で、うつろな瞳をして何するわけでもなく、一日中廊下を歩き回っているのでした。
絹江さんは認知症検査をしても完全無欠の認知症だった。絹江さんはほとんどしゃべらない。声をほとんど聞いたことがない。しかし、意思疎通はできるのである。首を縦に振ったり横に振ったりしてイエス、ノーだけは伝えることができるのである。


声の出ない病気?と思われた方もおられると思いますが、絹江さんは小声で話すことはできるのです。ただ、面倒だから話さないだけなのです。


絹江さんには娘さんがいるのですが、面会に来られるのはまぁせいぜい、月に一回ってところだろうか?


それでも、高齢者施設では子供たちが面会に来る平均値を超えているだろう。


しかし、この絹江さん。面会者が娘さん以外にもう一人いた。年の頃なら、60才前後と言ったところだろうか、初老の男性である。


絹江さんが80才を優に超えているから下手したら親子ほど年が離れている。ここまで話して勘のいい方であればあれ?と思われたかもしれない。


そうです。この男性絹江さんのお子さんや甥御さん、親戚の方ではないのです。つまり、こ・い・び・と。


いや、ちょっと違うな。男性が一方的に絹江さんに恋をしていて、毎日会いに来ていたといった方がいいだろうか。


その男性は昔、絹江さんと同じ職場で働いていた同僚だそうな。当時は絹江さんには旦那さんがいて、男性からすれば憧れの女性だったのかもしれない。絹江さんの旦那さんも何十年も前に亡くなっておられたので、絹江さんは現在、未亡人なわけです。


憧れの女性が未亡人となり、家族(娘)の元を離れて、一人暮らし。もとい、施設暮らしを始めたのだから、誰に遠慮する必要がありますか。ってな感じで、その男性は毎日絹江さんに合いに来るのでした。


は~。世の中にはそんなこともあるのね~。と私は独りで感心しておりました。


事件は突然起きたのです。


その恋人?男性が絹江さんを家に連れて帰ると言い出したのです。一時帰宅。外泊。ではなく、一緒に暮らすと言い出したのです。


当然施設側は大慌て、キーパーソンである絹江さんの娘さんに早急に連絡したのでした。


娘さんは早々に肩で息をしながら施設に駆け込んでこられました。


「どういうことですか?!」


看護師長に駆け寄る絹江さんの娘さん。看護師長も「さぁ?」というように、絹江さんの恋人を指さした。


娘さんが「あなた、いったいどういうつもりですか!!」と男性に詰め寄る。


男性は「こんな、監獄みたいなところに入れられて絹江さんがかわいそうだ。」と応戦。


私は激しく首を縦に振って男性に同意した。


男性の言葉が続く。


「月に一回会いに来るか来ないかの娘より、毎日絹江さんに合いに来ている私の方が、キーパーソンとしてふさわしい。だから、私が絹江さんを引き取る!!!」


と男性は絹江さんの娘に言い放った。まさに正論。至極真っ当なご意見。


「うぐっ!」娘は男性の言葉に言い返すことができず。看護師長や私に助けを求めるように「そんな、赤の他人がおかしいですよね。そんなの無理ですよね!!!」と同意を求めてきた。


私も師長もぎこちなく首をかしげて「さぁ?」と答えるのが精いっぱいだった。


「勝手に母を連れて行ったら、警察に連絡しますからね!!かあさんもどうするの?その人のところに行くの?」


ごってごてにボケ倒している母親に真っ当な質問を投げかける娘。絹江さんは怒り狂っている娘を避けるように男性の背中に隠れていた。絹江さんの態度に業を煮やした娘さんは「もう!!」と憤慨して「もし母を連れて行っても生活費は一切渡しませんから!!!」と捨て台詞を残して娘さんは、帰っていってしまった。


それから、ひと月ぐらいして、絹江さんは恋人の男性とともに、施設を出ていかれたのです。


施設入所のほとんどの人が、死ななきゃ家に帰れない。生きて家の敷居をまたぐことはないのです。それが、それがです。


絹江さんは生存した状態での在宅復帰をやってのけたのです。愛の力で。
在宅復帰率0.5%(死亡帰宅のぞく)の最難関を見事突破してのご帰還です。まさに、アメージング!!!


親子の絆より「愛」が勝利した瞬間です。愛の逃避行。ランデブー。ひゅーひゅーだぞ!!!


絹江さんは頭の先から足の先まですべて真新しい衣服に包まれ、お帽子までご丁寧にかぶせてもらっての門出だった。絹江さんの表情は何一つ変わっていませんでしたが、男性に手を引かれて、開かずの扉を一つ、また一つと出ていく姿は、どこか幸せそうな花嫁さんのようにも見えたのでした。


絹江さんにとって何が幸せかなんて、誰にもわかりませんからね。


お幸せに~~。


といっても、もう15年も前の話ですがね(笑)

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