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「あんた、わたしのおすす(お寿司)食べた?」

とても印象に残っている、愛すべき患者さんを紹介してみよう。


私が初めて認知症患者さんたちと接するきっかけになった、介護老人保健施設に入所しておられた。Iさんの話をしてみよう。


Iさんは、これでもかーーー!というぐらい腰が曲がった88才の淑女である。そんなに腰が曲がっているのに、杖も用いず、いつも独歩で施設の中を縦横無尽に歩いておられた。


歩いている目的はただ一つ、彼女は自分の「おすす(お寿司)」を昼夜問わず探し回っているのだった。もちろん。実際にはお寿司なんてどこにも存在しない。


一日幾度となくIさんと廊下で出会う。


Iさんは、消火器の入っている棚や掃除箱、他人の床頭台。トイレのドア、ドアと言うドアを開けまくって、「おっかしいわねぇ。わたし、ここにおすす、いれてたんだけど~」と、小首をかしげながら、起きてから寝るまでの間、ひとしきり存在しない「おすす」の幻影を追いかけるのだった。


廊下で出会う度に彼女は私に「あんた、私のおすす食べた?」と聞いてくる。その都度私は「いえ、食べてません」と一日何百回と答える。すると彼女は、「おっかしいわねぇ」と小首をかしげて、どこかの部屋に消えていく。彼女のお寿司探索の旅は延々と続くのだった。


お寿司を食べに行くと不意に彼女のことを思い出すことがある。


「あんた、わたしのおすす食べた?」


彼女の声が私の耳によみがえる。

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