〇〇さん。この呼び方が日本を変える!!!

政治家と教員の共通点

みなさん!政治家と教員の共通点って実はいくつかあることに、今さらながら気付きました。永田町の常識=世間の非常識、学校の先生は一般常識がない。皆さんも良く耳にする話ではないでしょうか。教員の方がもしこれを読んでいたとしたら、、お許し下さい。全ての方がという事ではなく、あくまでも一般に言われている事です。

私の両親は、どちらも教員経験者でした。そして、母親からは事あるごとに、「教員にはなるな!」と言われて育ちました。母がよく口にしたのは”先生は世間が狭い”という事でした。60年人生を生きてきて多くの学校の先生と交流をもつ機会が、他の人より格段に多い境遇にあり、友人もたくさんいます。何人かは腹を割った話の中でその事を自覚し認めていました。

本題です。政治家と教員の共通点の頂点は、お互いを「先生!」と呼び合う事です。実はこの言葉が全てを表しています。最初に結論をお話ししますが、もし政治家同士がお互いを「だれだれ先生」ではなく「だれだれさん」と呼び合うようになったら!!! 学校の先生同士も「だれだれさん」と呼び合うようになったら、間違いなく、間違いなく日本は変わって行くと思います。たかが言葉、ではないのです。物理的に言えば、明日からでも出来る事なのですが、それが中々そうならないところに、日本が変わらない原因があるように思います。

私は、先生という言葉自体が嫌いな訳ではありません。自分の恩師や手術をして助けて下さった医師の方には、感謝と敬意をを表す言葉として、心から先生と言っています。ただ、世間全体が勘違いしているのは、先生と言うのは職業ではないという事です。職業はあくまで議員であり教員なのです。それを世間自体も自分が教わった方でない人を、退職しても先生と呼ぶ風習が、実は本人達にも自分は先生だという錯覚を生んでいるのだと思います。

永田町の常識というものは、お互いを先生と呼び合う特権階級意識(実は知らず知らずのうちにそうなっている方もいるかもしれませんが)から生まれているのではないでしょうか。それが昨今の数々の不祥事を生み出す本質のような気がします。一方、教員は、学校という特殊な世界(数10人の大人が何十倍もの子供の上に立つ上下関係の世界なのです。

ごめんなさい!一方で学校の先生がもの凄く仕事量が多く、不登校、いじめなど大変な世界で頑張っていらっしゃるのはもちろんわかっています。ただ、それとは全く別の問題点なのです。先生が生徒に号令をかける。あれをしろ、これをしろ、おーい!集合、きをつけ!やすめ 子供達の名字を呼びつけ 等々。構造的な特殊な世界なのです。そして今やどんな理由があっても暴力はいけないという時代ですが、かつては心情的には「悪い事をしたならげんこつをもらっても仕方ないか」という時代認識もありましたが、悪い事をしたのではなく、部活で生徒が言う通りに出来ないという理由で怒鳴る、試合で、練習で監督の思う通りに出来ないと怒鳴るという完全な上下関係の世界。だから教員同士はお互い〇〇先生と同格なのです。上手く説明が出来ないのですが、、、、。

お気付きですか? 報道ステーションで松岡修造さんがアスリートを紹介する際に、どんなに若いアスリートでも男女問わず〇〇さんと呼んでいる事を。だれだれクンとは決して呼んでいません。そこからはどんなに年下でも相手を敬う気持ち、尊重する気持ちが伝わります。

かつて土井たか子さんが衆議院議長に就任して、それまでの慣習であった「内閣総理大臣 細川護煕くん」という呼び方を「内閣総理大臣 細川護煕さん」と変えました。画期的な事でしたが、実はやろうと思えばすぐにでも出来る事だったのです。その何年か前にテレビでみた映像、それは衆議院議院運営委員会のものでした。委員長は小沢一郎氏の当時の側近と言われた中西圭介氏。小沢さんの師匠は金丸信氏であり、金丸さんからみれば中西さんはいわば孫。そんな中西さんが、金丸さんの名前を呼ぶシーンが映像としてお茶の間に流れました。慣例通り「金丸信くん」と呼んでいた事に強い違和感を覚えた事を記憶しています。

変えようとすれば変えられる事、みんなでやっていきませんか!一昨日から2年ぶりに高校野球の選抜大会が始まりました。開会式の選手宣誓は、かつては何を言っているか解らない絶叫型でした。いまではすっかり変わりました。調べたところ、きっかけは1984年夏の甲子園大会、選手宣誓が決まった福井商業高校の勘違いがきっかけだったようです。誰もしようとしなかったことが、勘違いから変わった、そして今に至っています。

勇気をだすと出来ないのかもしれません。何気なく、エイっ!と

自分の事を思い出しました。1000人ほどいた田原総一朗さんの講演会。講演の終わりに田原さんの何か質問ありませんか?!の呼びかけに、1000人は互いに殺気を感じるがごとき固まってしまいました。その時、何も考えず、エイっ!と手を挙げた私がいました。私の質問のあと、次から次へと質問者が現れて行きました。

とにかく、政治家と教員の呼び方を変えていきませんか!きっと世の中が変化する願いを込めて!

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