キャラ愛という免罪符


自己紹介

書き殴るフィールドをたまには変えようと思ったので、noteをちょっとだけ始めることにしました。ありりあと言います。ソーシャルゲームである#コンパスというゲームの1プレイヤーであり、古参大手ギルド( •́ฅ•̀ )24kのお飾りギルマスであり、ただのtwi廃であり、界隈の癌と呼ばれるような炎上毎をAriria.comというブログにまとめていたりします。ここではtwitterで語るよりもう少し丁寧に描き殴りたい話題を、わざわざ界隈の炎上ブログに書き留めるほどでもない話題を、雑感と感想程度に書き殴っていきます。(まぁ気分なので、明日にはこういうのもブログに書き始めるかもしれないし、そもそもブログ自体の書くモチベーションやハードルが常に上がっていく一方なので少し頭を冷やせたら良い)

基本的に#コンパス界隈の話題に触れるのでその前提となる話題や分脈を端折る可能性があることはご承知ください。もしかしたら読書記録や映画の感想を書いたりするかもしれないです。どうぞよろしく。

徒歩ジャンヌ氏の爆死

さて、先日ですが、#コンパスでは「ダンジョンで出会いを求めるのは間違っているだろうか」というコラボがスタートしました。例の如く、コラボ新キャラの実装、コラボURカードの追加、オリジナルキャラのコラボ衣装の実装などがあったわけですが、この徒歩ジャンヌさんは目当ての「ヘスティアジャンヌ」を10万円の課金をしても引けませんでした。

どのくらいの爆死だったのか?

10万円の課金=137000BM(ゲーム内通貨)分になります。5000BMで60連ガチャ、50連でコラボ限定キャラガチャのチケットが1枚もらえるので135000BM分を使い切ったとして27回60連を回し、32枚のキャラガチャチケットを入手できる。

狙いの衣装「ヘスティアジャンヌ」10%を32回の試行回数で外す確率として3.43%という数字が叩き出されるわけです。ソーシャルゲーム界隈においては一点狙いのキャラの引ける確率だけ見ても課金額を見てもまだまだ生易しい方でしょうが、まぁなんというか不運だったとしか言いようがない爆死でした。少なくとも10%もある狙いのキャラ(衣装)を引かせてくれない物欲センサー張り切り過ぎでワロタと言った具合です。

爆死を励ます声と支援

堅苦しい書き方をやめます。
この爆死からTwitter2500前後のフォロワーから7万と少し貢がれて、自分でさらに2万追加しやっとヘスティアジャンヌを引くことが出来たようです。おめでたいですね。

この時点で19万前後の課金でやっと引けたという、、いやぁ確率とは、ガチャとは、、なんと世知辛い。

この話題は基本的には「報われてよかった」「おめでたい!!」「貢献できなかったけど応援していたので本当に嬉しいです」と好意的な反応と応援の声で溢れかえっていました。ただ一方で「否定する訳では無いが不気味な光景だった」「フォロワーのお金でガチャを回したい」「きしょい、人の金で回して、」「貢ぎホイホイ」など少なからず程度に差はあれど、好意的とも言いきれない言葉を濁した反応もチラホラ見受けられました。

この話を踏まえながら少し掘り下げて語っていきます。

美談の線引きと徒歩じゃんぬというTwitterの立ち位置

徒歩じゃんぬさんは、普段TwitterがRTが多すぎて個人的な感想としてあんまり人が見えませんが、基本的には、キャラ愛キャラ推し税の1人であり、身内ギルドの話題が多い人という印象程度しかないです。まぁなんでその程度の印象で何を語れるんですか?と言われてしまうかもしれないですが

キャラコスを当てられなかった人にお金を渡していたり、ポロロッチョ推しな言動など、徒歩じゃんぬさんがフォロワーが多い理由は色々とあると思うんですが、やはりキャラ愛でネット垢を生きるコンパスプレイヤーはある程度の認知を持たれるということがひとつ言えます。過去にもヴィオレッタ上西などが代表的な例ですが、キャラの名前をPNにしている人は、ある程度そのキャラ推し的な認知に意図的かどうかは別に乗っかっていたりする。界隈的には、〇〇使いを名乗ることもその1つだったり、キャラクターとプレイヤー自身が結びついて覚えてもらえるということは印象論としても宣伝効果としても効果的だったりする。

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このキャラ愛、キャラ推し勢的な立ち位置こそが美談の線引きになったんだと思いませんか?**


キャラ愛という免罪符

さて、ポイントを整理しましょう。美談で語られる一方で、今回は貢ぎ行為に対してやその貢がれようと思ってたんじゃないか、フォロワーからお金を貰うこと自体その姿勢について嫌悪的に語られることも多かった。姿勢については少なからず批判ポイントがあっていいような気がしますが、貢がれ行為貢ぎ行為そのものへの批判は残念ながら的違いにしか見えませんでした。

①貢ぎ行為自体は何も問題ではなくその人のあっての事でしかない。単純な羨ましさや嫉妬はあっていいとしてもそこでケチはつかない。

②貢いでもらう意図があったかどうか自体も問題ではない。結果として「同情が金になった」ということだけ。

この2点で叩くことが間違っているのであれば、全体的に見える嫌悪はどこから生まれているのか?という話なんです。お金周りの嫉妬などと一括りにするのではないところで

「不気味」と表現された何かは、一体なんなのか?


はい。これがキャラ愛という免罪符であり、キャラ愛という免罪符の押しつけなんじゃないかなぁと。

「個人の善意」という言葉がかなり使われていたような気がしますが、正直見てる限り、どう考えても文脈としてキャラ愛界隈的な身内ノリの延長なわけです。

「それだけお金を使って自分がもし推しのコスチュームを手に入れることが出来なかったら本当に辛いから気持ちが分かる」

この感情が美談で語られる文脈の大前提の大前提である一方で、少なからず批判的に語る人たちにはこの感情の大前提が存在しません。

「どうしてみんなの善意でしかないのに、徒歩じゃんぬさんの人柄があっての話なのに、批判的に語るのか」

と顔を真っ赤にされていたフォロワーも見受けられましたが、この言動自体が根本的には嫌悪の対象にしかなってなかったんじゃないかなということなんですよ。つまり、このキャラ愛勢としての同情同調の感情の大前提にした押し付けにしかなってない。しかも風呂敷を広げて善意や人柄に押し込もうとしてる。

はい、まぁぶっちゃけありりあさんにはそう見えました。

いや、美談は美談でいいですし、徒歩じゃんぬさんの人柄や普段の行いがあったからこそなんですよ?そこは何も否定してないし、僕は貢がれたことも徒歩じゃんぬさんも否定してはいないんですが、

無自覚なキャラ愛勢同士の媚び諂いのようなものが当人自体にもまた美談で語る人達にも見え隠れするのがまぁまぁなかなかに気持ち悪い。しかも目に見えるお金という形でやりとりされたことがこの感覚を増幅させた感じなのかなー。

というかそこでやっててくれればいいけど、善意や美談で語りたい気持ちを少なくともこっちに押し付けてこないでほしいな〜なんて思ったわけでした。

キャラ愛勢やキャラ推しすることが悪い事だとも語っていないので悪しからず。

今回の1件、そうした人達の身内ノリの自覚がありますか?そのノリ、大前提を押し付けてませんか?

という感想でした。少し言葉足らずな気がしますが、めんどくさいのでこんなところで。


まぁまた書きます。

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