病院3次マッチング大変録

  皆さん初めまして、アリクです。 
 今週病院が決まってとっても嬉しいです。(当時)

 このnoteを読まれているということは
・真面目なマッチング生が春から夏にかけて見てる
・アンマッチという結果に頭と心が揺さぶられながら見てる10/28くらい
・覚悟が決まっていよいよ3次マッチを考えはじめた2月中旬
辺りが多いんじゃないんかなと思います。

 そういった方たちに、自分の失敗を判断材料の一つにしていただけたらと思っています。

 マッチングってそんなに大変なの?って真面目な人たちは思っているかもしれませんが
      
 マッチングは今後絶対に難しくなり続けます

その理由を今からお話していきます。

 そもそも、3次マッチ、2次マッチが大変な理由としては大きく2つあります。

  1.  毎年厚生労働省が定数を絞っていっている

  2.  情報が少ない

 1はシーメック(メックの持ってるマッチング部門です。見るだけ見ておきましょう。)のデータを見ればはっきりすることではあるんですが

敵は厚労省かぁ

 このように医学部生は増えているのに、定員が減っているので結果として以下のようになります。

グロ画像だ…

 このように、
 医学部生は増えているのに、定数は減っている
ため、どのようにあがいてもこれからマッチングは難化し続けます。

 先輩のたわごとも、先生の楽観も信じてはいけません…

 自分も含めて人の言うこと信じないでください…


その年のマッチングにはその年の難しさがあります。信頼できるのはデータだけです(内定も信用してはいけません)。

 次に2番ですが、マッチング、特に3次まで言ったような人は3月めっちゃ忙しいです。自分も友人の下宿に転がり込んで生きてます。

 そんな人たちがnoteを書く暇があるかということです。
 
 医学生なら何となくお分かりになるかもしれませんが
 ・都内の第一希望病院に1次マッチした人のマッチングnote
 ・成績がいい人の勉強法note
辺りは何となく過ごしているだけでも結構目にする機会は多いかもしれませんが

 ・学内成績ギリギリを生き続けた人の勉強法note
 ・アンマッチのnote
 ・臨床研修中断した人のnote
 ・国試浪人、留年、卒留etc…

は割と意図的にこれらを探そうとしないと見つからないのではないでしょうか。

 それは当然のことで、上の人たちは概して真面目で、勤勉で、余裕があります。そのうえで穴のない対策をしていきます。そしてそのあふれたバイタリティがnoteに漏れるのです。
 対して下の人たちは、多くは余裕がありません。余裕がないので色んな事が場当たり的になったり、一度しっかり休んだりしないといけません。そうなるとnoteを書く余裕はなくなります。Twitterには情報というか、当時の大変そうな記録がありますが、大変散文的で、必要な情報が得づらいです。(since、untilを使う羽目になります)

 このように

厚生労働省が意図していることに加え、情報が出回りづらく、苦労して得た情報も古くなっていて使い物にならないことがおおい


のがアンマッチが大変になってしまう重要なポイントです。

 と、ここまで書いたのでまずは自分のアンマッチ大変録を書き、その後、アンマッチの人向けのサイトや、おすすめの過ごし方をまとめていこうと思います。

 まずは自分のスペックです。

 現役合格 留年なし 6年生
 部活は中高で部長を経験し、大学では体育会系部活の部長を務めた
 在学中は新しくサークルを立ち上げて、週1で活動していた
 試験委員をしていた(再現、クラウド管理担当)
 成績は国試模試偏差値45前後 CBTは77%くらい
 バイトは家庭教師を半年だけ
 大学は地方(非都市圏)

 自分で言うのも何ですが、成績以外は割といい感じだったので、行けるかなぁって思っていたのですが、予測の甘さが重なり、3次マッチング(3次では4病院落ちました)となってしまいました。

 それでは振り返っていきましょう。

 

6年春


 この時点でほぼ病院というか方針は決めていました。
 その方針は
 「1次マッチングは少なめでも絶対に行きたいところに挑戦して、ダメだったら、お酒のおいしい新潟とかご飯のおいしそうな北海道、それかどこかの温泉地の研修病院にしよう」
です。
 だいぶこの時点で楽観がにじんでいますが、この判断自体は間違っていなかったと思います。
 というのも、春先は最後の国試とかを気にせず遊べる国試前の時期、だと感じていたので、「体力と時間を使う見学の数を特定の病院で積みつつ、だめだったら、空き枠の多そうな地方に飛ぼう。」
と決めていたわけです。

 というわけで、メインの2病院(倍率は5倍とか7倍とかです)と筆記一発の病院の3病院にほぼ絞って見学や筆記対策を積んでいました。

6年夏

 ここで何となく生きてきた自分に超重大イベントが発生し、「実家の周辺にこだわらないといけな」くなりました。

 それでも正直、5倍と7倍の病院でしか見学を積んでなくて、対策したとはいえ偏差値45前後で挑むという筆記一発という環境でも

なんとかなるかな

という風に考えていました。見学もすごいいい感じでしたし、面接もいい感じでしたからね…

6年秋

 アンマッチです。正直、第一希望めっちゃいい感じだったので受かると思ってました。今でも何がダメだったのか分かりません。恐らくですが、志望診療科がかぶっててスペックがめっちゃいい人がいたとか、性別とか、系列大学の実習きてた人に枠を割いたとかその辺じゃないかなと思ってます。

 ただ、その辺は一次で受かった人たちのブログを見てください。なんか色々言ってると思いますし、多分それが正解です。

 ここで、2次マッチがはじまりますが、自分は2次マッチには参加しませんでした。

・そもそも2次募集のシステム上、卒留国浪の枠以外で都市近郊で空く病院は何かしらの選ばれなかった理由を抱えている。
・妥協して受けようとした病院もあったが、三次でさらにいいのが出る可能性に賭け、そこで利確をしようとしなかった。

のが主な理由です。心配で押しつぶされそうだったり、地方に全然出ていくつもりの人は2次で利確したほうがいいのではないでしょうか?

 ここで自分はまず、
 「実家の周りのすべての行きたい病院に、卒留が出たら面接したいですメール」を送りました。

 ここからはもがいてもがいて病院側に気づかれないと何にもできません。なので、まずは必死でもがくことにしました。

 毎日変化もないのに、二次募集病院掲示リストを確認し、毎日少しずつメールを送る偏差値43の秋…

 最初は食事ものどを通らず、ベッドで横になって、遭難事件や行方不明事件や未解決事件の解説動画を二日くらい見てましたが、国試90日前くらいということに気が付き、とりあえず、講義動画を見直し始めました。

 ここからは毎日昼と夕方に二次募集病院が新しく出てないか確認しながら、国試勉強をする日々です。
ちなみに、年が変わるまでの間で
 姫路 2枠
 大阪 2枠(北と南で1つずつ)
 京都 1枠
がそれぞれ市中病院では出ていました。
東京もたまにスッと上がってきて一瞬で消えていったりしました。東京都北医療センター?と東京女子医大足立医療センターと他にもあった気がしますが定かではありません。
 なお、この時点までで実家の周辺及びその郊外は二次募集で2枠募集があったのみでした…(この辺は1次マッチングの資料の定員割れを見たら分かるはずの情報なのでご自分で調べられてみてください)

 6年冬

 勉強しましょう。病院もあまり募集は出してきません。このへんは受かればいいのでなんだっていいです。ボーダー上でなければ‥‥

 国試後

 自己採点で偏差値43くらいでした。禁忌じゃなければまず合格ですね。(国試はどれだけ合格点が高くなろうともパンリン75%以上にはならないようにするそうです。偏差値だと37?なんかそこくらいだったはずです。必修との差別化が困難になるから、とのことです。)

 ここからが勝負でした。

 当落線上でまだ病院に連絡していない人もいますが、はっきりと落ちた人は今の時期から連絡を入れ始めます。そのため、たま~に、ぽつっ、ぽつっと募集が出ます。勿論病院も早く雇い入れたいので分かったらすぐ出すところもありますし、国試の合格発表後にまとめて出す場合もあります‥‥

 自分はこの時期に行きたい地域の病院にメールしたり電話したりしながら、

 新規募集は自病院サイトで行うのか、それとも二次募集病院を羅列したページに出すだけなのか、可能ならまた一報入れてもらえれば必ず試験を受けに行きます。

 といった内容の連絡を入れ続けていました。この連絡は一応は奏功し
2施設は表立った募集がないまま連絡をもらって受験することができました。

 だいぶ長くなってきたので、国試後~就職するまでは後編ということでまた後日記載いたします。

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