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青い部屋

 こんな日に飛行機が飛んだら跡形もなく吸い込まれてしまう、と思うほど紺碧の空だった。擦り傷から滲み出す血を彷彿とさせる、黒々とした青。背の低い雑居ビルの上には、百貨店のショーウィンドウを飾りつけるバルーンのように、入道雲が景気良く迫り出していた。このところ、毎日入道雲を目にしている。夏の真っ盛りではなく、終わりの時期に発生しやすいのだろうか。二十余年を生きていても、空模様という至って素朴なテーマにさえ新たな発見があるという事実に、わずかな爽快感を覚える。挑発するように揺れている陽炎もいい加減に見飽きて、もはや道路標識と変わらないような存在に成り下がる晩夏、私は今日も一人で歩いている。脳内に友人を召喚し、好き勝手に話したいことを話しながら。

 一人暮らしを始めて知ったのは、孤独を実感する瞬間は思いの外、食事や睡眠といった生活のシーンではないということだ。たしかに、暖色LEDのどこか嘘くさい灯りに照らされて、半額で買った惣菜と、三日前に炊いた米を口に詰め込んでいく間、またはその日一日当て所なく漂流した体を、いかだのように広いベッドに横たえる瞬間、自分がまるでよく使い込まれた機械であるような気分になる。しかしそれは、一人であることによって気づいたことで、一人であることそのものとは全く別の引き出しの話だ。私は孤独をもっと、単純で、うつくしく、手触りのあるものとして捉えていたい。

 私が孤独に触れるのは、一回性のある時間を体験した時だ。何かが自分をざわめかせ、風のように通過していく。そして後には何も残らない。そんな体験をする時、私は決まってマグリットの鳥の絵を思い出した。絵の背景は、雲が重く垂れ込めた海で、その上へ巨大な鳥が翼をひろげている。ただしそれは実体を持たないかのように、体一杯にちぎれ雲の浮かんだ晴天を映し出している。タイトルは何だったろうか。その絵をじっと眺めていると、ふいに回路がつながったように、今私は一人であるのだ、とひらめくのだった。

 例えばそれは、真昼の暑さの名残りをアスファルトに感じつつ、駅向こうのスーパーに自転車を漕いでいく時間だ。ペダルは重たく、空気中の水分量を物語り、車道に流れ出したなんらかの液体の一筋が、テールランプに赤く輝いている。背後から風が吹き、湿気を吸って重たくなったTシャツが体に絡みつく。一歩遅れて、車道脇に自生したオシロイバナの、その名の通り化粧品に似た香りが追いついてくる。視界の限りの信号が、一斉に青に変わる。

 あるいは通院の帰り、十八時過ぎ。ふと思い立ち、家までの道のりを地図で調べ、なんだ三十分程度かと歩いてみることを決めた時。坂を降りて行く途中、オパールのように複雑な模様を描き出す夕焼けが、城の形をしたホテルの尖塔の鋭角に、夏の光を滴らせていた。私は急速に、かつて並んでこの道を歩いた人を思い出す。私たちはまるで夜露を背負った草のようにやわらかく寄り添っていた。けれどあの二人を構成した内の一人である私はもうここに居ないし、彼も存在しない。三歳の私、八歳の私、十五歳の私、十九歳の私、二十二歳の私。私はいったい何人の私を見送ってきたのだろうか。下り坂で跳ねる足取りに合わせて自分の息遣いが揺れている。何もかも移ろっていく。記憶だけがまだここに、人質のように縛り付けられている。さざなみのように街を往来する人々は、皆旧友の顔をしていた。夜が訪れる前の最後の光は、遠近感を狂わせる性質を持っている。

 逆張りでお酒を飲まないと決めている私は、自販機で南国風味のCCレモンを買い、口につけた。缶ジュースを一つ手にするだけで、やる気のないデニムとビーサンの組み合わせがご機嫌に見えるから不思議だ。ほとほと歩くのにも飽きた頃、森と形容しても過分無い大掛かりな公園に行き当たった。驚くべき密度の枝葉に覆われて、内部は時差ぼけを起こしそうに暗い。すれ違う親子は頭に懐中電灯をつけており、ざくざくとキャベツを切るような大股で進む。蝉の声がオルガンの高さから降り注ぐ。歩くことを目的にして歩く私に、回し車のハムスターのような滑稽さを感じながら足を運びつづけていると、にわかに視界がひらけた。湖のように唐突な空のかたまり。その淵に、カラスが鳴き交わしながら集まり、みるみるうちに溜まっていく。ここがどこだか分からなくなりながら、雲の流れをながめるためにベンチに座った。隣には誰も居ない。これは誰にも共有されない時間なのだ。それが体を通り抜ける時、私は森に、場所になる。夕風で冷えた、鎖骨のあたりに触れてみる。その向こう側に、暗くなりはじめた空が透けて見える気がした。

 私はきっと、ずっと被害者のつもりで生きてきた。私だけが被害者、という訳ではない。誰もがこの所与の世界の決まりを多かれ少なかれ押し付けられて生きている。だから、私にとっては、自分も含め生きとし生けるもの全てが被害者でしかなかった。加害者が居るとすれば、この世界の仕組みそのもの。

 そんな世界観にもとづいて、絶えず生まれつづける理不尽を、滅ぼすことこそできなくとも、せめて承認することが、正当な手続きのように思えていた。だからこれまで、心に襞や傷が生まれれば、それについて言葉を尽くして訴えつづけてきた。言葉を重ねる度に、結局この目の前の人は私とべつの生き物として生きているのだと絶望もした。理解されないのであればせめて理解したいと、紛争地帯の動画を見漁っていた時期もある。最初は、麻酔も無しに腕を切断される子供たちの映像を見てさえ、指一本も痛まない自分の体に吐き気を催した。しかし繰り返し再生する内に、やがて爆撃での死者数を見るだけで涙腺が刺激されるようになった。義足のように、拡張された自我を獲得したのだ。勿論そんなことには何の意味もなかった。

 数羽のカラスが枝先の巣に帰っていく様子を携帯で撮影して、ベンチから腰を上げる。粒子の細かい土埃を軽くはらい、空き缶を左手で潰した。空はぼんやりと鼠色を溶かした水色にひかっている。蟻に噛まれた足先が、少しの痒みと熱をもって、私を帰路へ向かわせる。

 一人で歩くこと。頭のなかで擦り切れるほど再生されて、もはや亡霊に近い誰かの声と会話すること。自らの記憶のなかにのみ残る時間を過ごすこと。それらは私の輪郭を、少しずつ回復させる。

 かつて、理解される権利を有していた苦しみは、いとも簡単に私を蹂躙した。怒りや悲しみが心を一枚の布のように染め上げてしまうと、もはや私になすすべはなかった。私の口は熱に浮かされたように自分の苦しみを語りたがり、目からは大粒の涙がしきりにこぼれた。嵐が過ぎ去るまでに出来るのは、ただ膝をかかえて待つことのみだった。しかし、苦しみを分かち合うことを諦めると、世界は少し変わりはじめた。おそるおそる目をこらし己の傷を直視してみれば、至極当然のことだけれど、それは私をはみ出さずに存在していた。ただ皮膚の一部が裂けて、そこから新鮮な血が流れ出している、それだけのことだった。

 公園を抜けると、今どき都内には珍しいような広大な空き地が広がっていて、延々とつづくフェンスの彼方に背の低い電波塔が見えた。夕焼けは徐々に追いやられ、もう足元の太い鉄骨に余韻を残すばかりだ。今までに、数知れぬ人々と、ときには向き合い、ときには隣り合って座った。そして彼らは残らずその席を立っていった。父母、兄妹、友人、いとこ、恋人、先輩、後輩、同級生、すれ違っただけの人。今、私の隣には誰も居ない。人の代わりに部屋がある。東向きのその室内には朝日の気配が留まっていて、畳に散らばった洗濯物がひそやかに呼吸している。その世界は常に日曜日の昼過ぎだ。時折ラジオから台風の予報が聞こえるけれど、決まって日本に上陸する前に消える。時間が止まったように静かで、階下の商店街さえも億劫そうに目を閉じている。私は顔に羽虫の当たるのを感じながら、鉄塔の方角へ歩を進める。家へ向かう曲がり角はもう過ぎてしまっただろうか。街灯を一つ過ぎるごとに、ボウリングのピンが規則正しく降ってくるように、視界の一番奥にまた新たな街灯が滲む。夏の暮れは、夜になるともう秋だ。あらゆる虫の声の波紋が、幾重にも重なって拡散していく。その響きに眩暈がした瞬間、アスファルトを踏むサンダルの裏が、芯のぶれた脳よりも先に確信した。私は今日帰るのだ。あの青くまどろんだ空白の部屋へ。


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