私信 許さない人へ
軽蔑します。
最後に会った日の、あなたの言動に対する落胆は、あなたなりの善意を拡大解釈して差し引いたとしても、まだ余りあります。
あれはきっと、出会って数年間、繰り返してきた落胆の総括でした。おかしな期待をかけてしまう私を断ち切ってくれたということであるなら、感謝すべきかもしれません。
もう二度と、会うことも言葉を交わすこともありませんが、あなたが理解しえなかった絶望の手ざわりを、ここに残しておきたいと思います。あなたに関する記憶のすべてが、噛み砕かれ、均一な砂つぶとして撒き敷かれてしまう前に。
あなたと私は、言葉でつながっていました。少なくとも私はそう解釈しています。レストランで別々のメニューを頼んでも、互いに分け合ったりはしない主義でしたし、好む音楽や服装なんかもまったく異なりました。酒や煙草、薬物等の嗜好品を、ともに嗜んだりすることもありませんでした。
私たちはお互いに異物で、一方が考えや価値観を開陳するとき、他方はまるでヘビが卵を丸呑みにするように、それを素のまま受け取る努力をしていました。今考えてみれば、ここからして既に私の勘違いだったのですが。
私たちは分かり合えないながらに、言葉という文明の利器を用いて、平和に関わり合えている。このことに私は絶大な希望を見出していました。共感はなくとも一緒に時間を過ごすことが楽しい。なんて純粋な友人関係を手にしたんだろうと、私はしみじみ感じていました。
しかし最後の日、あなたは言いました。蔑むような溜息をつきながら、「自分と会うと彼氏が嫌がるから辞めた方がいい」と。「彼氏に刺激がなくてつまらないから自分と会うんだろう」と。
真っ先に頭を掠めたのは、これまでのことは何だったのか、という思いです。自分の精神の混沌とした部分に分け入り、星の数ほどの言葉を尽くして、それを伝えてきた相手です。そんな陳腐なストーリーに当てはめて解釈をされるとは思いもよらず、涙が出ました。絶望と悔しさの涙です。あなたはそれを「女の武器」と唾棄しました。
たしかに私は、パートナーの素晴らしさや、彼と結んでいる関係性については口を閉ざしてきました。それは単に、大切なことを言葉にするのが怖かったからです。言葉にするとは、灯りのついた部屋に持ってくるということです。すると必然、暗い部屋に置き去りのものは忘れ去られてしまいます。
あなたはそんな、語られざるものの存在を認めてはくれませんでした。パートナーと私が、自分以外の異性と会うことを制限せず、相手の権利を尊重しあうような関係を築きあげてきたことだって、きっと話しても理解されなかったでしょう。あなたは色付きの懐中電灯で、電気をつけないでおいた部屋を、無理やり照らして踏みにじっていくのでした。
私は何か、あなたを傷つける言葉を吐こうとしました。しかしどんな言葉も掴み取ろうとした瞬間に、さらさらと崩れ、こぼれてゆくのでした。あなたは私の生の言葉を、自分が呑み込めるよう、勝手に形を変えたり改変したりしてしまいます。そしてもし、あなたが理解できる言葉で何か暴言を吐いたなら、つまりあなたの価値観に乗ってしまったなら、それは私をも傷つけることが明白でした。
こうまで断絶があるのなら、きっと私の価値観が、あなたを傷つけることも多々あったのでしょう。これは私に対する復讐だったのかもしれません。あなたではなく、私が先に刃を向けていたのかもしれません。
それでも、あなたの分からない言葉で、あなたの目に留まらない場所で、あなたを一生許さないという新鮮な気持ちを真空保存しておきます。あなたは調子が良いから、数年もしないうちにまた連絡を取ってくるでしょう。その時に万が一、うっかりまた"友達"にでもなってしまったら。想像すると悪寒がします。だからこれは、私信です。あなたではなく私のための。
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