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俺が感じた素朴な疑問

最近、自分の中で引っかかっている疑問がある。どうして多くの人は、自分の好きなことを見つけたらすぐに「これで何者かになろう」とか、「職業にしよう」みたいに考えるのだろうか?まるで、「これでいける」と思った瞬間、何かに向かって全力で走り出すような感じがする。

俺自身も絵を描くことが好きだ。でも、やる気が出たら描くし、飽きたら描かない。絵が売れたり、作家として成功できたらそれはそれでありがたいけど、別にそれを目的にしてるわけじゃない。もちろん、作品を見せることもあるけど、誰かに見せるために描いているわけでもない。

それに対して、世間の多くのアーティストやクリエイターたちは、何かを始めたらすぐにその先に「成功」や「職業化」を見据えて動き出すように見える。SNSのフォロワーを増やしたり、人脈を広げたり、まるでそこに向かって突き進むことが当然みたいに感じるんだ。これが、俺には不思議なんだよね。

右に倣えのように「何者か」を目指す感覚が理解できない


俺はこれが「多数派」の感覚なんだろうと思う。俺が少数派で、世の中の多くの人は、何かを始めるとすぐにそれを手段にして「何者かになる」ことを目指しているように見える。これが自然な流れなんだろうか?

別にその考え方を否定するつもりはない。実際に多くの人が頑張っていて、それが成功につながることもある。でも、俺自身は、その「何者かにならなければならない」って感覚があまり理解できない。好きなことをやって、それで満足するだけじゃダメなのかな?なぜわざわざその先を目指すんだろうか?

俺なりの考察

1. **遺伝子的な本能?**

進化心理学的に考えると、これは「自分を広めたい」「認知されたい」という人間の本能的な欲求なのかもしれない。人間は、遺伝子を残すために自己を拡散しようとする本能があると言われている。その延長線上で、自分の作品や名前を広めようとする欲求が生まれるのかもしれない。

2. **単純な承認欲求**
もっとシンプルに言えば、「他人に認められたい」という承認欲求が大きな原動力になっているのかも。SNSの「いいね」やフォロワー数が自己評価に影響を与えることはよくあるし、誰かに見てもらって認めてもらうことがモチベーションになっているのかもしれない。

3. **社会のバイアス**
現代社会には、「成功を目指すのが当然だ」という暗黙のバイアスがある気がする。何かを始めたら、それを仕事にしたり、地位や肩書きを得たりすることを自然と求められる風潮がある。ピエール・ブルデューの「文化資本」という考え方によると、アートや文化活動も社会的な成功や地位を得る手段とみなされている。それが、人々が「何者かにならなきゃいけない」と感じる理由の一つなのかもしれない。

まとめ

結局、俺が感じる「どうしてみんな何者かを目指すのか」という疑問には、遺伝的な欲求や承認欲求、そして社会的なバイアスが絡んでいるのかもしれない。でも、俺は別にそれが悪いことだとは思っていない。むしろ、みんなが自分の道を進んでいることは尊重したい。

ただ、自分にとってはそれがしっくりこない。絵を描くことが好きだからやる。それで十分満足だ。だからこそ、何かを成し遂げなければならないというプレッシャーを感じることなく、自分のペースで楽しんでいる。このスタンスが正しいとか、他のアーティストが間違っているとかではなく、みんなそれぞれの価値観で生きていけばいいんじゃないかなと思うんだよね。

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