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日々の断片 vol.2

2冊目のノートが埋まった。書くことをとてもよくした数ヶ月だったなと思う。考えることはしんどいけれどとても楽しい。
瞬間的で日記的なものじゃなく、わたしの根底にあるものを表しているように思えることばたちを、大切にできるように残していく。

左が2冊目。次は無印の黒ノートにしてみる。


「逃げることを選んでも大丈夫」みたいなことを話した。わたしは人にはいくらでもそう思えるけれど、自分のこととなるとまだそうは思えていない。あの言葉は、わたしがかけてほしかった言葉なのかもしれない。

24.03.01

すごいなって(友人)に思われるような、認められるようなことしたいって思いそうだな。

24.03.09

はたらくことと暮らすことのゆるく混ざり合ったところにあることをしたいと常々思っているけれど、(今は)一時的には切りわけてみても良いのでは?とも思う。暮らしに近い、すごくやりたくてわくわくすることじゃなくて、(めちゃ楽しいわけじゃないけど)行きたくない…とならない(精神的に楽にできる)ことを見つけてみてもいいのかもしれない。
逆だと、もしできなくなっちゃったときに、自分の存在すらも否定してしまいそうだけど、切りわけておけばどちらかダメになっちゃっても心を保っていられそう。

24.03.21

人や風景が変わっていくことがこわいのは、その中にあるわたしの生きた時間や存在がなくなるのがこわいから?
わたしの中にだけ、あるかないかもわからなくなってしまいそうでこわい。いまを生きていないということ?

24.03.27

お金を介さないで築く関係性をもっと大切にしたい。

24.04.04

「『哲学と変態』を感じる。」
「今は内に渦巻いてるものを外に出す穴をつくってる時期なんじゃない?」

24.04.09

わたしは、わたしのために生きている。

24.04.18

“わかんなさとわかんないなりに向き合う期間”かもしれない。

24.04.19

「最初に感じた違和感は大きくなることはあっても消えることはない」という言葉を最近よく思い出す。

24.04.19

「印象的な目をしてるよね、なにかを見ようとする意志を感じる」

24.04.27

自分の中になにか(芯のようなもの?やりたいこと?)持ってそうって言われた。
→わたしを見失わないぞ、とは思っているかも。

24.04.28

みんなとできるだけ仲良くなりたいとか、写真撮りたいとか、インスタ交換したいとか思うのは、みんなから忘れられることが怖いからなのだと思う。短い期間しかこちらにいないことが決まっているのだから余計にそう思う。次にこちらに帰ってきたときに、誰だっけ…?となるのが怖い。相手の記憶の中にもわたしが残っていてほしい、同じ記憶や思い出を持っておきたい。(というより、そうでなければ怖い。わたしの楽しかった記憶も曖昧になってしまう気がする。)

24.05.09

「(ゲストさんは)内側に燃えるものを持ってる感じがする。まゆこさんもそんな感じした。」

24.05.14

(ゲストさんと)話してる途中で外を柴犬2匹が散歩してるのを見てわたしが、うわ〜かわいい!って言ったあとに話を遮って申し訳ないです…と言ったら、いやいや夕日に毛並みが照らされるの美しい、と言って、誰かは(たぶん「美しい」に)笑ったけれど、そう感じたものはそうやって口に出しても良いんだ、と感動した。わたしはすぐ「いいね」とか「かわいい」「きれい」「素敵」と言ってしまう。それはその根本にある「美」が否定されるのがこわいから、それを覆い隠す言葉を使ってしまうのだろうけど、わたしの美はわたしだけのものであるし、自分の感じた「美しさ」にもっと素直になってみても良いのだな、と思った。

24.05.14

わたしはお金がないことを理由にできない、と思っているけれど、ほんとはそうする勇気がないだけなのがきつい。

24.05.21

「なんでずっと今のまんまでいらんないんだろうね」
「結局なにもわかんないまま終わっちゃうんだろうなぁ」
(“PERFECT DAYS”より)

24.05.23

ゲストハウスが好き、というよりは、ある程度まちにひらかれた、流動性を持つ場が好きなだけなんだろうなと思う。

24.05.30

「考えるのをやめたくないですね」
 うんうん、ほんとうに、ものすごくそう。

24.06.01

ずっと心の奥に湧き上がるなにかがある。わくわく、高揚感というか、エネルギーのようなもの。そのエネルギーと自分を苦しめてるものはきっと同じ、と(友人)が言ったとき、うわそうか、とはっとした。

24.06.01

別に写真家になりたいわけじゃないけど、もっと撮ることと向き合ってみたいなと思う。それは上手い写真を撮れるようになりたいとかじゃなく、ただこわいからという理由で残すことを諦めたくないなと思う。特に人を撮ることをわたしは今まで避けてきた。撮らせてもらってるのだから、それ相応のものを返さなきゃいけない、上手く撮れなかったらどうしよう、など。けれど、わたしと相手との間にある空気感や、わたしから見た相手の姿はわたしにしか残せないもので、それを撮ることで残すのってものすごく美しいことだなと思う。わたしは偶々、写真に残すという手段を持っている。そして何より純粋に写真が好き。だから、撮ることへの恐れから逃げないでいよう、と思う。

24.06.02

こわいって話をわたしはよくする。
→(友人)「欠かせないってことだからね」

24.06.07

すごい最近人生が楽しい。うわぁ、って胸いっぱいになる感情。うわぁはそれ以上でもそれ以下でもなく、うわぁ、なんだよね。

24.06.07

建物、特に窓が好きかもしれない。窓って建物の中でも人に近いから好きなのかもな。窓を見るとき、そこから顔出したら楽しいだろうな、とか想像する。おままごと感?
→「おばあちゃんちで遊んだ、子どもの頃の記憶」みたいなものと結びつくのかもしれない。

24.06.09, 26

わすれない日もわすれたくない日も増えていく。

24.06.11

「現実に存在してるから。」

24.06.11

「忘れてしまう思い出もあるけれど、忘れていいと思う」

24.06.13

今のわたしの旅スタイルには都会より田舎のほうが合ってる感じがする。

24.06.19

どんな場所に暮らしたい?
→道に寝っ転がれるところがあるかどうか、がひとつの基準かもしれない。
→自分の足(自転車)で何度もぐるぐる回れるくらいのサイズ感が合ってるのかな。

住む場所って思ってるよりずっと自由に決められるんだ、と思う。

24.06.19-20

どんな自分になりたいか、揺れてるなーと思う。どこにいるかによって、ほんとに自分が変わっちゃう。自分がどういうふうに在れるか、で暮らす場所を選べたらな。

24.06.24


書くことに慣れてしまった。ペンを動かしてながら思考がぐるぐるーってする感覚が好き。逆に書けないときは頭がぼわっとしてる感じになる。もし書かなく(書けなく)なったらわたしは生きていけないだろうな、とすら思う。

日記書いてるの?と聞かれるたび、まぁそんな感じ、と答える。けれど出来事や感情を書き留めるのではなく、わたしの中にたしかにあるエネルギーに触れようとする行為に近いなと思う。そこから、わたしに想像もつかないようななにかが生まれてくるかもしれない。「つくる」はここにもあったんだな、と嬉しい。書く日々です。

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