見出し画像

巻き戻せない日々を生きるなんて

久しぶりに日記以外の文章を書こう、と思ってパソコンを開いたけれど、言葉が浮かんでは消えていく。うまく書こうとするほどに自分の考えていることもわからなくなる。作業のおともにするつもりで淹れた紅茶がもうなくなりそう。2杯目がいるかもしれない。

過ぎた日に×印をつけて潰すように毎日を過ごしている。曜日の決まった授業や仕事のないわたしの日付感覚を唯一保ってくれてるのはシェアキッチンのカレンダー。くるくるする日めくりタイプのやつで、毎晩次の日付に回してから寝る。31になったらまた1まで逆回しにして戻すことを考えて怖くなる。数字はいくらでも巻き戻せるけれど、それを回したわたしは戻らない。過ぎていくことに抵抗する術もなく、わたしたちは生きている。

ことあるごとに「こわい」と思う。時間だけが過ぎていくこと、友人たちが就職して働いてお金を稼いで自分の力で生活していること、お金がなくなって逃げる手段すら選べなくなること、誰からもわたしを必要とされなくなること、落ちた体力が戻らないから出掛けても帰ってこられなくなること、時々息苦しさを感じて死んでしまうんじゃないかと思うこと、なにもかも変わっていずれ忘れてしまうこと、このままずっと何もできないままでいること。こわいとか、くやしいとかかなしいとか虚しいとか羨ましいとかほかにも、うまく言葉にならないままの感情たちがぐるぐるぐる~と竜巻みたいにいろんなものを巻き込みながら大きくなっていく。容赦なく襲い掛かってくるからただただ耐えている。どうしようもなくて泣きそうになる。

5月が終わる。春と夏の空気を行ったり来たりしながら徐々に夏に染まっていく。沖縄は梅雨入りしたらしい。もう5月が終わるね、恐ろしいね、とか口にしてみるけれどそうだね、しか返ってこない。その事実を認めているから諦めているのかもしれない。わたしはまだ抗いたくてそのへんでもがいている。6月が来るね、とは決して言えない。

まちを歩きながら、ここで過ごしたことを残したいと思うけれど、どうやって残したらいいのかわからない。感じることは日々たくさんあるけれどうまくまとめられない。全部を残そうとしなくていい、と自分に言い聞かせるけれど、まだ完全には割り切れない。わたしの過ごした時間や感じたこと、自身の存在すら曖昧になって消えてしまうのがこわい。確かにここに存在しているんだ、と必死で声を上げたい。

“PERFECT DAYS”を観た。役所広司演じるおじさんには日々のルーティンがある。平日は早朝に起き働いて銭湯と居酒屋へ行く。自身を取り巻く環境は日々変わっていくけれど、自分はまた同じような毎日を繰り返す。時間は残酷だなと思う。いくら今のままでいたいと願ってもそうはいられない。いつのまにか自分だけ世界から取り残されてしまいそう。わたしのいる萩での日々も、もうすぐ終わってしまうのがこわい。また新しいところに行ったって、期限が来れば終わり。その繰り返しの中でわたしにできるゆるやかな抵抗はなんだろうか。ずっと考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?