秋深く隣は騒音一家だった
突如として秋めいたなーと思うにつけ、隣は何をする人ぞ、なんて言葉が浮かびます。
この言葉と一緒に決まって思い出す昔の隣人がいます。
とにかく騒々しい一家でした。ご両親と小さなお子さん数名のご家庭でしたが…その家の人々は全メンバーが、在宅中、常に喜怒哀楽のどれかがマックスの状態にあるようでした。
で、全メンバー、最大声量が通常の人間の10倍あるの?ってぐらい、声が大きいんです。
声の大きな人が常に喜怒哀楽のどれかがマックスの状態にあって、しかも複数名寄り集まっているので、誰かが大きい声ではしゃいでるか、誰かが大きい声で怒鳴ってるか、誰かが大きい声で泣きわめいてるか──
合わせ技もありました。大はしゃぎする人を大怒鳴りしたり、大泣きする人を大怒鳴りしたり、大怒鳴りする人に大怒鳴りし返してたり…
常時そのどれかでした。
そうやってご家庭内で狂乱するのは、100歩譲ってまぁ、ご自由にという感じではあります。現代の家は気密性も高く、窓さえ閉めていればある程度の騒音は防げるものです。
世知辛いこの世の中ですから、家の中でぐらいは色々気にし過ぎず自由に過ごしたいものだと、私自身思っています。
でもこの狂乱ぶりを隣だった私がこうして書き記せているわけなので、このご家庭の騒音は窓に一切遮られることなく、思い切り外部に放流されていました。
本当に何でそんなことするのかは分からないんですけど、多分、隣家の人々は叫びたいことがある時いつも窓辺にやって来て、外に向かって叫んでいたのではないかと思われます。
もう、だから、当然ながらというか、そのご家庭は引っ越してきた日の翌日、早速そこの集合住宅の管理組合から戸別訪問され、注意を受けていました。
訪問されているのもそれに対する返答も、でっかいでっかい声でした。普通に家にいるだけで聞こえてきてしまいました。盗み聞きの形になったことは申し訳ないとは思いつつ、
「はぁ?それうちですか?本当にうちですか?何かの間違いじゃないですか?別の部屋じゃないんですか?そういえばどっかうるさい部屋あるなーと思ったんですよ」
の一点張りで相手を帰していたことには、つ、つよい…(引)と思わざるを得ませんでした。
我が家は隣だったから確信をもって言えるのですが、その晩もそれ以降も、その部屋以外にそんな大きい音を発している部屋はひとつもなかったです。
ところでその時住んでいた集合住宅には、動物飼育に細かな規定がありました。
たとえば犬は小型犬しかダメでした。
とある祝日の朝の8時、件のお隣さんが我が家のピンポンを鳴らしました。出れば、
「犬を飼うことにしましたのでお騒がせしたらすみません」
と菓子折りを渡されました。
正直なところ、ここだけの話、お前みたいなもんが「お騒がせ」ってワードを使いこなすんじゃぁないよ!と思いました。お菓子は美味しかった気がします。
後日見かけたその犬とは、ボーダーコリーでした。大型犬オブ大型犬だ!
小型犬のみ飼育可という決まりがあっても平気でボーダーコリーを家族に迎える隣家、日頃の行いから一切ブレてないぜ…!と思ったものでした。
しかしその犬さん、隣の家のメンバーの中でいちばん静かでした。
全メンバー地声が大きくて、ただでさえ大きな地声を何倍にも張り上げて常時互いに揉めたり盛り上がったりして、在宅中はほとんど常に窓を全開にし、その窓から全員で外に向かって叫んでいてた隣家。
そんな隣家にありながら犬さんは、全開にした窓の近くで外に向かって吠えるという、全くもってわざわざやらなくていいことを、ちゃんと、やっていませんでした。
その子の鳴いている声が聞こえた時でも、壁の向こうでお犬が声を出しているんだな…と状況が分かる程度の常識的な音量でした。
まったく、あのお宅の中であの犬さんだけが何の問題もなかった。
それにつけても隣家のうるささは近隣中の問題となっていたようで、どこかのお宅がケーーサツを呼んだこともありました。
我が家も聞き取りをされました。
いやあ。
ほんとに迷惑でした。
ほんとに迷惑だなぁ……って天を仰いで、アルカイックスマイルを浮かべ過ごしていたある日。唐突に、ほんとに迷惑な日々が終わる時が来ました。
外出から帰宅すると、
「明日引っ越すのでお騒がせするかもしれません。これまでお世話になりました。隣家より」
というメモ書きとともに、菓子折りが我が家のドアにぶら下げてあったのです。
私は小躍りしました。神はいると思いました。ハレルヤ。
菓子折りもらったからには何かお礼の品を渡さんなきゃかなーとも思いましたが、それまでの隣家の行動を走馬灯のように思い浮かべて、うん…何も差し上げることはない。という結論に至りました。サヨナラ。
そして隣家の引っ越し当日。朝8時ごろから作業していたでしょうか。
いつも通りご家庭のメンバーが互いに叫びあう阿鼻叫喚に加え、引っ越し作業のガサゴソガタコトいう音が続きます。その日の私にはその作業音がクラシックのように心地よく聞こえたものでした。じゃんじゃん奏でてくれと思いました。
そして夜8時になりました。
開始から約12時間がすぎても、隣家の引っ越し作業は何とまだ続いていました。
確か6人家族だったと記憶しているのですが、もしや本当は20人ぐらいで共同生活を送っていたのでしょうか。
その12時間の間も、ずっと叫び合い、2時間に一回誰かが泣き喚いてました。いくら引越しが一大イベントとは言え、基本的には、物を詰め運び出す、そのシンプルな作業内で何をそんなに叫びあう必要がありましょう。今この瞬間、「what is 最後っ屁?」と海外の方に聞かれたいと思いました。「This is it」と言ってみたかったので。
結局隣家の引っ越し作業はその日の夜10時近くまで続いていました。最後の最後までサプライジングでした。
そのお家が隣だった数年間は、「秋深く隣は何をする人ぞ」な季節、(残暑も緩んでいい気候になったし、エアコンにはさよならして窓でも開けよう)と思い窓をガラリと開ければ、「窓をガ、」の時点で、「隣は今日も叫んでる」とすぐさま判明する日々を過ごしました。
今はと言うと、涼しくなったここ数日、窓を開ければ虫の声、鳥の声、風がサーッと吹き抜ける音なんかが聞こえます。
どこかで小さな子が泣いたり笑ったり、ピアノを弾いている方もいるようです。そんなご家庭内の音はみな、壁や窓の向こうで奏でられているのが分かる、常識の範囲内の音量です。
共同生活の秩序が保たれていることは、幸せなことだなぁ…とつくづく思います。
今年の秋も幸せを噛みしめています。
人には色々な事情があり、調子の波もあり、感じ方もそれぞれにある中で、誰にも一切の迷惑をかけずに生きていくことなんてのは不可能なことなのだと思います。
自分はこの秩序を保つ一員であれる振る舞いをできているだろうか。今できているとして、し続けられるのだろうか。できればそうありたい…そう願わずにいられません。
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