6月1日

「相手のことをちゃんと知ろう」と打算じゃなくて手段じゃなくてただただ真っ直ぐな眼差しで相手を見つめようとすることは、例えばそれが恋人同士の間でなら、恋の浮かれた時間が過ぎ去った時に初めて訪れる気持ちなのかもしれない。

体調が絶不調で、病院に寄ってからシャドウへ行った。
入るやいなや、ガーデンさんに尋ねられた。
「ありまさんは、結構頻繁にシャドウに来ようと思ってるの?」
「はい。できるだけ来たいなとは…。」
「残念なお知らせです。今日シャドウのクビ宣告のLINEが来ました。」
「えっ!」
と、LINEのトークページを見せてくれながらガーデンさんが続けた。
「でも、『いや、突然クビとかほんと無理なんで生活的に』って言ったら、とりあえず歩合制じゃなくて時給制でなら良いよってことになったんだけど。(※時給制より歩合制の方がお給料が良いらしいです)」
「そうだったんですか…。」
「でも、もし今後ほんとに辞めるってなった時は、ありまさんの観察日記書けるように、ありまさんの当初の構想通り、どこかで週一でお茶するとか、全然協力できるのでその時は言ってください。」
この瞬間に限らずガーデンさんはすごく、私が観察日記に書くにあたって。ということを考えてくれていた。
しかしそうか、うっすらもしかしたらそういうこともあるかもしれないと思ってたけど、まさか2週目にしてそんな話が出るとは…。

その日は体調のせいなのか、週末を引きずったまま月曜になってしまったからなのか、全然心が現実に接続してない一日で、シャドウに入っても喋っても心が全然場に溶け込めなくて、あ、どうしよう、今日こんな感じでここにいていいのかな…。とおもいながら、頼んだオレンジジュースと、まりさんが準備してくれたお通しを受け取った。この日は何品か載っているプレート的なお通しだった。
お豆腐も卵焼きももやしも美味しい…とぼんやり思いながら無心でもしゃもしゃと捕食していて、ふと視線を感じて顔を上げるとバチーーンとガーデンさんと眼が合った。その瞬間心をガッシと握られて、浮遊した意識が一気にシャドウの自分が座っているカウンターの椅子まで叩き返された。
「具合わるそうだね。」
「そう、ちょっと病院寄って来て…。」
この瞬間眠りから覚めた勢いで意識が覚醒した。毛布に包まれたようにぼんやりしていた五感が急激に鮮明に冴えわたった。「あなたは今この瞬間見られている」と突きつけられることが、こんなにも人の気持ちをこの場に引き戻す力があるということを初めて知った。
就職してひきこもり癖はすっかり治ったつもりでいたけど、たぶんわたしはいつの間にか外に居ても自分の内に引きこもる術を覚えてしまっていたのだ。

今日も隣の席は女の子だった。話しているうちにその子がメイドさんだということを知り、しかも私も知っているお店だった!!
この日も4種4様のお客さんだった。
・ベルハーヲタ
・就活生
・メイドさん
・私
属性だけじゃなくて在り様もそれぞれだった。
先週書いた、ガーデンさんの冷たくも熱くもない曖昧な温度って、そうだ、多様性を許容する温度だって思った。
ふと、先週隣の子がつけめんを頼んで
「わたしもお通しつけめんで…。」
と頼んだ時、ガーデンさんが
「いいよ。」
と言って小さく微笑んだ時のことを思い出した。なんだか南国のような緩さと温かさがあって、好きな瞬間だった。

この日初めて知ったことといえば、つづらばらガーデンさんの「つづらばら」はなんと本名だったということ!素直に驚いていると、
「ロリータ服着て『つづらばら』って言うともうそれだけで『あーそれっぽいハンドルネームはいはい!!わかったはいはい!!』って顔されてたよ。」
とのことだった。

ガーデン観察日記、読みましたよ、と言われた。本人が読んで、どう思うんだろう、とこの一週間感じてた不安に一気に呑まれた。
「遠慮しなくていいですからね。」
即座にその不安のど真ん中を刺された。さらに言葉は続いた。
「先週のマスターが怒った理由も、あんな風にぼかしちゃうと読んでる人楽しめないから…。ご帰宅日記もほんとにちゃんと読んだけど、ありまさんが、お店やそこに通うヲタの人とか、働いてる女の子にすごい気を使ってるのが伝わってきて。私にはそれ、やらなくていいですから。だってほら、店に気を使おうが使いまいがもうどっちにしろ、クビになりかけてるわけだし。」
とガーデンさんは笑って言った。返す言葉がなかった。

「ありまさんのご帰宅日記のよかったところはね…」
と、ガーデンさんはご帰宅日記をおもむろに取り出して、ほんとにちゃんと読んだんですよ、と言いながら、自分の書き込みを探していた。
カウンター越しに見ると、いたるところに蛍光ペンで線が引いてあるのが見えた。
「これ、好きなとこ線引いたんです。」
恥ずかしいからと、書きこみは見せてくれなかったけど、裏表紙の裏の真っ白なページに黒ペンで大きく書かれたものだけ1つ、見せてくれた。
「会話の行間の読み方が良い。」
みたいなことが確か書かれていた。ご帰宅日記に関してこの時色んな感想をもらったけど、繰り返し言われたのは、
「ありまさんが考えてることがちゃんと書かれてる部分が一番良い。」
「ありまさんがどこにいるのか見えない。」
だった。
勝手にメイドカフェのこと書いてるわけだから、絶対にそこに関わる何かや誰かをたった一つでも貶めるわけにはいかない、という気持ち、まだメイドカフェに行ったことがない人もメイドカフェに行きたくなってもらうための作品だから、別に自分の自我とかは最小限しか文の中にいらないなって気持ち、どこにもそう直接的に書いてはいなかったけど看破されていた。

その言葉を聞いて、少し折れ曲がった表紙の本の角を見て、書きこみや引かれたマーカーの量を見た。向かい合おうとする姿勢の、ピンと背筋が伸びている様に風が通り抜けた気がした。勝手に書かせてもらうつもりだったから、そんなにも力を使って向き合ってもらえるって思ってなかった。
たくさんの問いを投げかけられた。なんで女の子を題材にするのかとか、どうして文章の中の自分が薄いのかとか。
一歩間違ったらぶしつけになりかねないその質問も、少し怖かったけど嫌じゃなかった。それは、その全てが私を自己愛のダシにするためのものでもなかったし、あらかじめ準備されたカテゴリに私を押し込めるためのものでもなかったから。
画家が人の輪郭を描く時、一本の線を描くための最良のラインを模索するように、それは厳しいけど、透明でまっすぐな視線だった。

怖かったのはたぶん、ガーデンさんが人の輪郭をなぞるために使っているのが、指じゃなくて、出刃包丁みたいなのでザーーーッとなぞっていくから、間違って思わぬところがえぐられて出血するんじゃないかという怖さがあるからだとおもう。
「書くと全部剥き出しだね。」
とも言われた。

私はもっともう少し、ガーデンさんを一方的に見て、会話を交わして、一方的に享受したものを自分はどんな風に咀嚼するか、ということについて書いて行くつもりだったと思う。というか、今まで自分の外側について書く時って自然とずっとそういう書き方だったから。「あなたのことについて書いていいですか?」と許可を取って書いてたわけじゃないからそうなる。
だけどまさかこんなにも自分の存在までリングに上げられると思ってなかった。
あなたは誰?と問うつもりだったのに、それ以前に私が誰なのかを激しく問われていた。
この日私とガーデンさんがしていたのは絶対に単なる「会話」じゃない。あまりにもお互い丸腰すぎる、「対話」だった。

ガーデンさんは、自分の質問から返ってきた答えから、相手の輪郭を辿る、というようなことを言っていた。
コウモリが、発して返ってきた超音波で距離を測るようなことだろうか。
話していて、こんなにも誰かから興味を持たれたことがなかったかもしれない、とおもった。
だってみんな自分にしか興味がないし、私も誰かに興味を持たれるようなものは何も持っていないと思ってたから、いつのまにかそういうものだと慣れきっていた。
私は私で、自分の本心を誰かに見透かされることへの漠然とした恐怖心がいつもどこかにあったから、接する相手が自分自身にしか興味がないのは楽だった。いつも相手自身の話や相手の承認欲求を隠れ蓑にしていたところが、どこかあったんだと思う。
でもここではもう、私は丸腰にならざるを得なかった。本当に真摯に向かい合わなきゃダメだとおもった。

「あ、速報!!クビ回避!!」
と、スマホを見ながらガーデンさんが言った。
「クビも回避だし、お給料も歩合制でいいって!!」
「あ、じゃあこれまで通り…?」
「そう、何事もなかったかのように。」

先週のガーデン観察日記をガーデンさんも読まれたらしく、その内容にも触れられた。
「しずちゃんに似てしまってた理由、ちゃんと説明できてなかったよね。『嫌いなら似ない』って良い感じにまとめてくれてたけど…。あれ読んでからちゃんと考えてみた。」
丁寧に、言葉を尽くして伝えてくれた。
しずさんも含めて数人と一緒に展示をやって、その展示をやったメンバーをアイドルユニットみたいに見てる人達がいて、自分がシャドウに入った時に、『あのリーダー的なやつがシャドウにきたぞ』と、どんなもんか見てやろうみたいな人達が来たこととか、しずさんがガーデンさんの出勤と同じ日にシャドウの上の階の同系列のお店「珍呑」に出勤してた頃は、しずさんに会いに来たついでとか、しずさんに会う予行演習でガーデンさんのところに来る人がいたらしくて、ガーデンさんはそれが嫌だった。だから、もう手抜きとして、生身の自分の隠れ蓑として、「しずさんぽい挙動を取る」ということをやってしまっていて、それがいつのまにか癖になってしまっていた。ということを話してくれた。
「しずさんに会いに来たひとに、しずさんぽく振る舞うっていうのは、それは、サービス精神ではなく?」
と尋ねた。
「いやー、手抜きでしょう。サービス精神もちょっとはあったかもしれないけど…でもやっぱり手抜きだなあ。」
観察日記を読んでもらった結論としてなのか、それとも私と会った結論としてなのか、ガーデンさんはこう言った。
「ありまさんには、ちゃんと向き合わないとダメだなって思った。もちろん最初からそう思ってはいたけど、もっと。」
それは私も同じだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?