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第一章〜子どもたちに会えなくなる日まで〜

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ある日突然子どもたちが私の前からいなくなってしまいました。 会うことも、声を聞くことも叶わず、生きる希望も失いかけていた長い長い1年間のことをまとめていきたいと思っています。
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#連れ去り親

16.私だって連れ去り・引き離し親になっていたかもしれない。

 お葬式の後、私はすぐにでも夫と別居をして、はやく離婚したいとそればかり考えていました。1秒でもはやく義実家と縁を切りたかったし、夫と暮らす未来なんてもう一切見えなくなってしまっていました。  話し合いをして、ひとまず私と子どもたちは今の家に住み、夫が家を出ていくということですんなりまとまりました。  はやく、はやくと焦って、常に私の頭の中では「離婚」の2文字がぐるぐると回っていました。その時に悩みを相談していたほとんどの友人知人には「はやく離婚して縁を切った方がいい」と

17.フライングたくあん

 いよいよ別居の日。ちょっとしたことがきっかけで口論になりました。私もかなりヒートアップしていました。(ちなみにこの時の様子も全部録音されていたようです・・・)私は思わずテーブルに置いてあったタクアンを夫に向かって投げつけてしまいました。すると、夫は携帯を取り出して119番通報をしました。私は「えっ!?タクアンごときで119番通報!?」と不思議でたまらず、夫の携帯を奪い取って電話口に向かって「ただの夫婦げんかなので大丈夫です。ごめんなさい!」と平謝りしました。  すると夫は

18.ついにXデイ

 子どもたちが連れていかれてしまった日です。今までの人生の中で一番、ショックで悲しい1日でした。 子どもが誘拐されました。犯人は夫でした。  私の両親を呼びつけて、リビングのソファにズンと座り「ナリさんに子育ては無理だから私たちが連れて行きます。」と大声でまくし立てて怒鳴っていました。  義母が言うには、私は統合失調症という病気で、家事も育児も出来ないし、子どもたちを殺そうとしたこともあるし、とても危険である。不倫しまくりで家にも帰ってこないし、もう夫婦関係も破綻してい

19.母親失格!私は人間以下!

 子どもたちが連れていかれてしまった日、すごく印象に残っていることがあります。ずっと義父が震えていたのです。小さくなって肩を震わせて、ずっとうつむいていたんです。そんな義父が最後の最後、聞いたこともないような大きな声でこんなことを言ったのです。「犬でも母親は子犬に慕われるのに、お前は子どもたちに全く慕われていない!」 「お前は母親失格だ!人間以下だ!」と。義父はふだんとても物静かな人だったので、大きな声を出したことにもびっくりしたし、そんなことを言われるとは思ってもみなかっ

20.連れ去り計画の全容。

連れ去り計画の全容はこうです。 1.当日までの準備 ①母親が母親として相応しくないという証拠をなるべくたくさん集める。 (捏造でも可) ②母親を精神的に追い詰めじわじわ再起不能な状態にする。心療内科に通っているなら、なるべく薬を強くして、量も増やしてもらうように仕向ける。 2.当日 ①何でもいいのでとにかく子どもを連れ出す為のそれらしい理由をつける。 ②連れ出す時は、なるべく警察官や消防隊などの一般的になんとなく社会的信用性の高そうな第三者に目撃してもらう。 3.その後