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第一章〜子どもたちに会えなくなる日まで〜

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ある日突然子どもたちが私の前からいなくなってしまいました。 会うことも、声を聞くことも叶わず、生きる希望も失いかけていた長い長い1年間のことをまとめていきたいと思っています。
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#チルドレンファースト

1.はじめまして。

ありぃ・なり と申します。 私には2人の息子がいます。 あまり思い出したくないのですが、彼らと会えなかった時期があります。 ある日突然、子どもたちが私の前からいなくなってしまい、1年間離れて暮らしていました。 とてもとても会いたくて、でも叶わなくて。 会えないのならせめて声をだけでも聞きたくて。でもそれも叶わなくて。それならせめてお誕生日にお手紙とプレゼントを届けたい・・・ そう願いましたが、それすら叶いませんでした。 会いたくても会えない親子がたくさんいること、ご存

3.家族のはじまり。家族のほころび。

 結婚前は、かなりのお金持ちだと思っていた義実家。羽振りの良いお家だったのですが、実は借金まみれだったようで結婚後すぐにお金の無心が始まりました。(私が知らなかっただけで結婚前からずっとだったそうです。)  色んな理由で夫に電話をかけてくるのです。ある時は「冷蔵庫が壊れたから20万円貸して欲しい。」またある時は「急に人に裏切られて急にお金が必要になった。30万円貸して欲しい。」はたまたある時は「転んで入院することになった。保険がおりるまで40万貸して欲しい。」などなど嘘だか

4.るんるんとのんのんの不倫。

 夫の手帳に丸っこい可愛い文字で綴られた手紙が挟まっていました。「愛してる!寝顔も笑顔も全部スキっ!!えっちなところも・・・大スキっ!!」などと綴られていました。 手紙の後半には「バカっぽいところもスキっ!!」って書いてありました。  他人に自分の夫のことをバカっぽいと書かれたことがショックだったのか、自分の夫が、自分以外の人に愛されていることを知りショックだったのか、夫が自分以外の人を愛していることを知りショックだったのか、あまりよく覚えていないのですがとにかくおなかの底

5.ストレスダイエット。

 お金のこと、夫のこと。いろいろ重なって具合が悪くなりました。不思議なことが起こりました。一切の感情がなくなってしまったんです。喜怒哀楽の全てを感じることが出来なくなりました。なぜだか味覚もなくなりました。何を食べても味がしないんです。あと、眠いとかも感じなくなりました。幸い、自分で自分のことをおかしいと気がつくことが出来たので、自分で病院に行きました。診断は適応障害。(ストレス性障害)  ところで、ストレスってすごいですね。私は大学生の頃からぷくぷくと太りはじめ、気がつい

6.不倫は許せる?許せない?

 人によって色んな考え方や意見や立場があると思います。  私は、不倫の是非を語れるほど聡明ではありません。今でもよく分からないのです。  夫によると不倫相手の女の子の存在はオアシスだったそうです。そりゃ義母と私の板挟みで夫も辛かったと思います。オアシス(笑)必要だったと思います。砂漠にはオアシス必要ですもんね。  不倫を許すとか許さないとかではなく、不倫がバレたあとの夫の対応と態度と行動は、のらりくらりと反省したそぶりを見せたり、こっそり関係を続けていたり、逃げたり、嘘

7.男親でも親権がとれる!裏技マニュアル!

 よくあるやつです。 「35年間モテなかった私が100人の女と寝れた!超モテマニュアル!」 とか 「100キロ越えの私がモデルに転職!痩せるためのスーパーマニュアル!」 とか 「貯金ゼロのOLが億万長者になった!誰でも今すぐ大金持ちに!」  とかそういう類いのやつだと思います。ペラペラのホチキスとかで留めてありそうな情報商材。PDFでも買えるやつ。  日本では離婚後の親権をどちらか一方が親権者と定める「単独親権」と言う形をとっています。父母のうちどちらか1人しか

8.砂漠のオアシスは蜃気楼。

 私は夫に「離婚したい」と言いました。夫も承諾してくれました。  ところが・・・!数日後、夫が突然「離婚したくない」と言い出したのです。おそらく不倫相手の女の子に振られてしまったのでしょう。本当のことはわからないのですが、なんとなくそうだと思いました。  あれですよね。砂漠のオアシスは蜃気楼だったんですね。  それからというもの手のひらを返したように優しくなりました。 「たくさん苦労かけちゃったから、今日から家事は全部僕がやるからね。」 「子どもたちは僕がみてるから

9.目には目を。歯には歯を。

「どうしたら許してくれる?」そう聞かれてから答えを出さないまま半年くらいが経ちました。  子どもたちの前や、他の人がいるときには何事もなかったように振る舞いましたが、夫と2人きりの時は私は泣くか、蒸し返して怒るか、無視するか。そんな生活を続けていました。  夫は「ナリちゃんも一度不倫してもいいから、僕のことを許して欲しい。」とおかしな提案をしてきました。  そんなことを言う夫の気持ちがまったく理解出来なかったし、とてつもなく嫌な気持ちになったけれど、そろそろ自分の気持ち

16.私だって連れ去り・引き離し親になっていたかもしれない。

 お葬式の後、私はすぐにでも夫と別居をして、はやく離婚したいとそればかり考えていました。1秒でもはやく義実家と縁を切りたかったし、夫と暮らす未来なんてもう一切見えなくなってしまっていました。  話し合いをして、ひとまず私と子どもたちは今の家に住み、夫が家を出ていくということですんなりまとまりました。  はやく、はやくと焦って、常に私の頭の中では「離婚」の2文字がぐるぐると回っていました。その時に悩みを相談していたほとんどの友人知人には「はやく離婚して縁を切った方がいい」と

23.民事不介入につきどうすることもできません。

 子どもたちがいなくなってしまった喪失感と、先の見えない不安に駆られながらも、私はちゃんとした手続きを踏めばすぐに子どもたちは帰ってくるだろう!とそう思っていました。連れ去りの現場に立ち会ってくれた警察からは「まさか帰って来ないなんて思わなかった。」「民事不介入って聞いたことありますよね?」「どうすることもできないのであとは民事でやってくれ。」と言われ、ちょっと面倒なことになってしまったのかなぁとは思ったけど、この時はまさか自分がここまで大変な状況にいるということに、まだ気が

24.人の命が消えるとき。

 もうすぐ子どもたちに会えるかもしれない!と期待を胸に、先輩の働く弁護士事務所へ足早に向かいました。久しぶりに会う先輩はキリッとスーツを着こなしていて、すっかり弁護士姿が板についていました。   ざっくり、今までの経緯を話しました。ちょっと話にユーモアを交え、夫の不倫相手がAKB48の子に似ていることや、探偵に依頼したけどバレちゃって何の証拠も得られなかった話など、重たい話ではあるけど、時に笑いが起こるくらいにざっくり経緯を話しました。先輩もその話を真面目に聞いてくれたけど

25.弁護士さん探しの旅へ。

 その後の私は、インターネットや図書館で「離婚」や「連れ去り」や「法律」や「民事事件」や「刑事事件」など自分の状況が解決するかもしれない思いつく限りのワードを調べて調べて調べまくりました。その時に、同じ状況の人たちが集まる団体(親子ネットや今はないけどKネット)があることも知り、後にたくさんお世話になりました。  弁護士さんのこともたくさん、たくさん調べました。先輩に教えてもらった家庭法律相談センターの他にも、「連れ去り」や「離婚」に詳しい弁護士事務所はないかなと弁護士事務